見出し画像

南朝正統皇位継承論14-富士谷の伝説5(長慶院法皇の最期)


富士谷の伝説5(長慶院法皇の最期)

1、長慶院法皇の最期

長慶天皇墓富士谷白黒

富士谷にある長慶院法皇の御陵墓(三輪義熈著『長慶天皇紀略』巻頭写真)

長慶院法皇院の最期については、『ウィキペディア』長慶天皇に下記の様に出ていますので、元中3年(1386年)4月以前に崩御とある青木文献の「天授五年九月二十日」説は、藤原石山氏の著書にあるように「身代わり」説として除きます。

元中2年/至徳2年(1385年)9月「太上天皇寛成」の名で高野山丹生社に宸筆願文を納めたが、翌元中3年/至徳3年(1386年)4月に二見越後守宛に下した院宣を最後に史料の上から姿を消している。

次に、長慶院法皇の降誕日は興国3 /康永元年(1342年)である事を参考にして考察します。

三輪義熈著『長慶天皇紀略』には、長慶院法皇院の最期について下記の様に記されています。

応永十七庚寅年二月二十二日、前帝寛成院、富士山阿祖谷の仙洞御所なる、風泉池の宮に於て崩ぜらる。御年五十七。阿祖谷熱都山軽島森の、福地八幡宮の傍の小峰の山陵に葬る。長慶天皇と諡し奉る。宮方遺臣等、足利氏を憚り、山陵の前に、石祠を建てゝ、陽に天照皇太神と祭りけるものゝ如くせり。(三輪義熈著『長慶天皇紀略』113頁、応永17年=1410年)

『大乗院日記目録』によると、応永元年(1394年)8月1日に崩御。享年52。(『ウィキペディア』長慶天皇

三浦芳聖によると、三浦家の系図には、下記の様に記されていました。(数字はアラビア数字に改めた)

応永16(1409)己丑年薨、67才、葬播州西山、後、三州五井一本木万福寺跡遺品を納めて正陵となす。

応永16己丑年薨つちのとうしどしこう、67才、播州ばんしゅう西山にほうむる。三州さんしゅう五井ごい一本木いっぽんぎ万福寺跡まんぷくじあとに遺品を納めて正陵となす。

三浦芳聖の著書には「長慶院法皇は、聖旨を伝える為、全国を遊説中の応永16(1409)年秋、兵庫県加西市の城山に駐留中、足利方の賊の為に襲撃され、創傷は殊の外深く、強力に身をやつした河野左衛門尉に負われて城山を落ち延びられましたが、河野左衛門尉の介抱も空しく、播州西山(兵庫県加西市青野町)に於て崩御されました。河野左衛門尉は長慶院法皇の御遺品を持って富士の皇居に帰りましたが、既に先年乾皮無きまでに粉砕されて松良天皇が何処に落ちられたか分からず、非人乞食に身をやつして各地の隠棲地を回り、応永17(1410)年、豊川市萩町に於て松良天皇に邂逅した。」(大著249頁要約)と述べています。

『長慶天皇紀略』に応永17(1410)年2月22日に崩御となっているのは、富士古文献を記録した人が、上記の河野左衛門尉が富士の皇居に帰って来た時に聞いたか、当時、豊川市萩町又は御油町の薬師堂に隠棲されていた松良天皇から聞いたのではないかと推察しています。

【参照】長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」について

2、長慶院法皇の全国遊説と御鏡

長慶院法皇が、聖旨を伝える為、全国を遊説された事については、下記の資料があります。

天授・永和4年(1378年)、落飾法衣を着し諸国行脚に出立。(後太平記)

なお、天皇は譲位後に南朝勢の協力を求めて、各地を潜幸したという伝説があり、全国に御陵伝説地が点在する。南部煎餅の祖とする伝承もある。(『ウィキペディア』長慶天皇

長慶院法皇が、全国を遊説された時に御鏡を奉持されていた事は、長慶院法皇に供奉していた、四條前内大臣・二條前関白・洞院実世・中院中将・門脇中納言、河野左衛門尉などの忠臣達と三浦芳聖以外は誰も知らないことだと思います。

長慶院法皇は、後醍醐天皇の王政復古の御理想実現のために御鏡の御稜威にあやかって逆賊討伐を実現しようと御鏡を奉持しておられたと思いますが、神風串呂史観から申しますと、御鏡(天照大御神)は、神風串呂の構築のために全国を巡回されたのではないかと考えます。

すなわち御鏡(天照大御神)は、長慶院法皇が崩御された応永16(1409)年秋から昭和24(1949)年秋頃までの、およそ540年間、神風串呂構築計画に従って西山に於て「天之岩戸籠り」をされていたのであると考えます。

この件については、南朝正統皇位継承論11(№199)「2、天照大神の両朝融和計画と元伊勢クシロ」で詳述しましたので下記を参照ください。

【参照】南朝正統皇位継承論11(№199)

【参照】三浦芳聖伝 57、長慶院法皇と御鏡(№180)

【参照】三浦芳聖伝 25、西山聖地を発見(№140)

3、播州西山の神風串呂

画像1

(1)大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 2(№10)

西山聖地西明寺

西山聖地」-「歌垣山」-「西明寺」-「御在所山」-「福江町」-「栄」-「月」-「日向」-「松長」-「岩戸山」

上記、西山聖地歌垣山御在所山の串呂は、大宝天皇の御製を昭示する神風串呂ですが、長慶院法皇が和歌の天才であったことと関連しているように思います。

長慶院法皇と御製との関係はと言いますと、長慶院法皇は和歌を作る天才で『ウィキペディア』長慶天皇に「若年から和歌に優れ、天授元年(1375年)の『五百番歌合』、同2年(1376年)の『千首和歌』(322首が現存)がある他、『新葉和歌集』に「御製」として53首が入集している。」と出ています。大宝天皇は長慶院法皇の皇孫に当ります。

(2)小松天皇御陵と播州西山との神風串呂(№66)

船山西山神増

西山聖地」-「広野」-「青野川」-「青野ダム」-「小松」-「神戸」-「船山御陵」-「小松天皇御陵

小松天皇御陵(磐田市神増原)、小松天皇と長慶院法皇の船山御陵(豊川市八幡町)、長慶院法皇崩御埋葬の地西山(加西市青野町)が一直方向線上に串呂する「青野三串」の実に神秘的な神風串呂です。

(3)西山聖地と八尺鏡野を結ぶ神風串呂(『神風串呂解明』第127号)

紀の川市神通

西山聖地」(兵庫県加西市青野町)-「神通」(和歌山県紀の川市)-「八尺鏡野」(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

西山聖地に御鏡が存在していた時期に超常現象が起きたことを昭示する神風串呂です。この件は、西山聖地に関する唯一の文献、滝川宗勝著「勅語信仰の体験」に詳しく出ています。

勅語信仰の体験

(4)西山聖地と光明寺と三浦芳聖降誕地を結ぶ神風串呂

光明寺

西山聖地」(兵庫県加西市青野町)-「西山浄土宗総本山光明寺」(京都府長岡京市粟生)-「三浦芳聖降誕地」(愛知県岡崎市牧平町大門)

光明寺

長慶院法皇崩御埋葬の地「西山聖地」と「西山浄土宗総本山光明寺」の住所が共に、青野(あおの)、粟生野(あおの)であることを昭示しています。青=主+月です。月と長慶院法皇については下記を参照ください。

【参考】山口保吉著『 芳花鶴水園の聖地』71頁に、興国4(壬午)年11月15日の満月の日に降誕の故を以って長慶院法皇を「月」であらわす。また、同頁に午年生まれの守り本尊が月天子(勢至菩薩)であることから、長慶院法皇を「月」であらわす。


前号(№201)       次号(№203)

串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

**********************************

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
**********************************
最後までお読みいただき有り難うございます。Facebookグループ 串呂哲学研究にご参加下さい。アップデートがすぐに分かります。
https://www.facebook.com/groups/462542897709938/
グループだけの最新情報もあります。
**********************************

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。