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日記:綺麗すぎる学校と穢れた社会

 また。いや、自分はもはや当然のように冷酷な人間になってしまった。でもずっと言ってるか。くあちるは現実じゃ誰かが差し伸べてくれたその手を拒絶してまで進んで孤独でいて、インターネットにしか本当を現さないという。
 現実なんて、大人なんて何も楽しくない。まだ惰性で学校に通っていた数年前の方が“現実は”充実していたさ。だって嫌でもたくさんの人と関わるのだから。そういえば友達が学校という場のことを『無限合コン編』だなんて揶揄していたな。鬼滅の刃にかけたネタなのは考えるまでもないですが、これはなかなか言い得て妙ですね。そう、共学の学校なんて所詮男と女がほぼ毎日顔を突き合わせて恋愛だなんだと思春期の経験を積む場所に他ならない。学歴を求めるのはほんのひと握りの人だけ。他は惚れた腫れたに浮かれて勉学なんてつゆ知らず恋愛に勤しむのです。その根底には性欲があるんだよと教えても、きっとみんな否定するでしょうが事実だから受け入れてください。
 学校とは小さな社会だとよく喩えられますが、本当にその通りですよね。上司(先生と先輩)がいて、同級生(同期)と後輩がいて、一致団結とか切磋琢磨とか、とてもとても綺麗な思い出を作ることに必死でいる。学校は綺麗ですね。でも本当の社会はどうなのかな。綺麗な世界で綺麗なまま育った人間が、果たして穢れだらけの社会にいきなり飛び出して、どれくらいの人数耐えられる?
 汚いことも知るべきなんだ。綺麗な道徳や倫理だけが世界を形作る概念なわけじゃない。穢れた概念も含めて世界と社会なのだから、もっと真にみんなは現実を見るべきなんです。

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