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恐怖心の対象の経年変化を振り返って見えたこと

10歳未満の頃

生まれ育った伊豆半島は地震が多く、大きな地震発生後には数分で津波がくると予想されていた。
おそらく5歳頃から、私は毎日常に”今、津波が来たら..”とシミュレーションしながら行動していた。

一番苦慮してたのは、入浴時の対応。
浴槽に入ったまま流されて助かった人の話を大人から聞いたから、出るべきか出ないべきか、常に決めかねていた。
あまりにも怖すぎて、朝の太陽光の強さと湿度で、地震予知が出来たくらい。
口にすると本当に起こりそうだったし、なにか怒られそうで、誰にも言えなかった。

ただ、海沿いの小学校から、高台の中学校、さらに内陸の高校に進学するにつれ、津波に遭遇する可能性が低くなり、その恐怖心は軽くなっていった。同時に、地震予知も出来なくなった。

上京したら、実家の家族には申し訳ないが、毎日津波の心配をしなくてもよい環境にホっとしたことをよく覚えている。

恐怖心は軽減したはずだった。

20歳頃

上京から、3ヶ月後、元気だった父が急逝した。
事故後、亡くなるまでの3週間は、ずっと瞳孔が開いていたような気がする。
伊豆でも東京でも、どこにいても、大きく目を見開いて、ただ、目の前の風景を注意深く見ていたような気がする。感情は特に覚えていないが、風景や会話は よく覚えている。

その後の私は、”必死”で学び、働き、遊んだ。
そうしないと、ダメな気がしていた。
いつも根底にあるのは、生きたい・やりたい、というより、生きなきゃ・やらなきゃ、だったと思う。

30歳頃

娘が誕生した。
無防備な娘の姿に、自分の弱々しさが露呈した。
もっと強くならなければ、と思うけれど、身体も心も、生活も思うようにならない。
生活も人生も、投げ出すことが出来ない。
私が死んではいけない。育児のために必要とはいえ、生きるための緊張感が、よりリアルになった。

おかげで、以前より努力家になれたし、自立度も高まった。

40歳頃

このままの自分で生きていくことへの不安が強く、変わりたくて、とにかく這いあがろうとしていた。

50歳を前に

死ぬことへの恐怖心が増大し始めた。
きっかけは、父の亡くなった年齢が近づいたこと(と当時は思っていた)。

父の年齢を超えられないのでは..と非論理的な激しい恐怖心が高まり、困っていた。
震えるほど怖いが、ずっと続くのは弊害だ..と、ループを断ち切るべく、恐怖心に曝露させることにした。
父が生きた日数を超えられたら私は大丈夫だ!と暗示をかけ、その時刻に”たまたま”娘と離れて過ごし、無事に、というよりはむしろ楽しくその時間を超えることができ、不安は現実化しないことを強く体験させてみた。

だいぶうまくいったと思っていたのだが、最近、また恐怖心フィーバーがやってきた。

たしかに、その選択・行為そのものも不安を感じやすいというのはある。
が、きっと、ガクガク震えるほどのことではないが、本当に情けないほど、一生懸命生きている方々に申し訳ないほど、”幻想の”死の恐怖が襲ってくる。

何が恐怖なのか...、よぉくよぉく何度も見つめ、不安を具体的にし、対策実行を繰り返した。
娘にもこれが不安なんだよ..と話し、じゃぁやめればいいじゃん、いや..やめたくはないんだな..の会話を何度も繰り返し。。
死の恐怖は、私の一生のテーマなのか..と真剣に内省&行動を続けてみた。

で、気づいた。
結局、娘との分離不安だと。
地震や父の死とも、全然関係ない。単なる分離不安。
死の恐怖を感じるほどに、離れるのが不安なようだ。

ここのところ、娘の成長が凄まじい。鬱っぽかった時代から回復し、すこぶる元気。
元々、生活力は高いほうだが、輪をかけて、咄嗟の判断も動きも機敏。
自分の加齢を感じざるを得ないほどの逆転現象。
(まさに今も、傘を持って、私をお迎えにきてくれているところ)
故に、未来が不安になったのかもしれない。

今までは、どこか、いや、きっと全て娘のために、選択してきたのだろう。
自由奔放にしているように見えても、”娘のためにもっと良くなる”意識は常にあったと思う。

しかし、もはや、娘が生きていくためには、私は大して重要ではない(お金の方が有益だろう)。
仮に、私がいなくなったとしても、それさえも力にして生きていくことができる強さが既に育っている。

もちろん、私は100歳まで生きるつもりだが、”娘のために”は、もう本当に全く不要なのだと、深く諦め始めた。
(フツーに考えてみてみ..自分、娘のために生きてるって..どこか迷惑だろう..どうぞせめて自分のために生きてください)

そして、離れることがこんなにも不安なのかと驚いている。

「なんの利益もないかもしれない、ただ自分が好きなことをするだけ」の予定計画を機に、これほどの死ぬ恐怖心フィーバーが起きるほどの威力。

”私が死んだら、父の死後の私みたいに苦しむだろう..”、不憫で心配でたまらなかった。
娘の力を信じていないだけでなく、全てを父の死のせいにして苦しんだ力のない自分を増大させて、娘を過去の自分に縛りつけていた。
自分の単なる未来への分離不安だと気づいた今、父の死を乗り越えたのはもちろん、結構色々頑張ってこれた自分を絶賛し始めた。
(なんて都合良く、切り替えが早いのだろう自分..)


そういえば、先月。
娘が地方遠征(推し活)で不在時に、急に父がいない寂しさが湧いたと同時に、30年経って初めて「亡くなってくれてありがとう」と涙が出た。父は笑ってくれた。

お釈迦様は、人は亡くなった後に、他者の中で生き続けると仰ったという。
亡くなったからこそ、正直に、素直に会話が出来ていた。
そんな機会を与えてくれてありがとうだし、もちろん生きてくれた祖母や母、姉妹、家族にも、同じようにありがとうだ。
この世は全て幻想だということが、少しわかった気がする。

結局、生きてるかどうかではないが、ここまでこれた自分に、ホッとしている。

ちなみに娘は「そりゃ、ママが死んだらすごく悲しいし寂しいと思う。けどどうにもならないし。そのこととどう生きてくかは関係ないじゃん。強くないし、結構弱いからかなり凹むと思うけど。」と言っていた。

私も、若い頃は同じように考えていた気がする。
その後、しんどいことを他者や周囲のせいにし始めた。
娘にもそんな変化が起こるかもしれないが、一つだけ、私にもわかる大きな違いがある。

親の離婚後、娘は一度たりとも、親の離婚のせいにしてこなかった。
冗談で言うことはあっても、私に怒りや恨みをぶつけてくることは全くなかった。
一時期の体調不良には、その影響を私は感じていたが、娘は否定し、自力で沼から這い上がっていた。
この強さ、高校時代の私は全く持っていない。

さて。これから、どう生きていこうか。

先は見えないけれど、不安はない。
今のところは、だけど。

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