赤へ

新聞の校正室で働き始めてもうすぐ10年になる。
担当する新聞の原稿がひどい! びっくりだよ。
ここで働く前は、趣味は読書だったのが、とっちらかった日本語の原稿を読むようになって、娯楽だった小説も読めなくなった。

「花粉症は、なんとか抗体の蓄積量があるレベルに達すると、次に花粉が入ってきたときに、アレルギー反応を起こす」という話がある。自分のこれは、花粉症と同じ仕組みだと思う。
下手な文章を読みすぎると、こんなことになるんだ。

ところが最近になって、本読みを再開した。
なぜか。
理由は、なんとなく、色々あって。
そう、理由は、先で待っている。いつもそう。行動の理由や根拠は自分では分からなくて、きっかけは誰かからもらって、複雑に絡み合って、何かに導かれるようにつながっていく。それが常。
人生の?、世の中の?、見えない部分はそういう仕組みになっているんだと思う。

20歳の時、小説ばっかり読む時期があった。何冊も読んで、ある日、山本文緒の『ファースト・プライオリティー』を読んだ。短編集。
手に取った時のことを覚えている。読んだ場所も、次の日の気持ちも。
この短編の一つを読んだときに、「本を読んでいたのは、この話にたどり着くためだったのか」と腑に落ちた。若いわたしは、この本を読んで救われたと思った。

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今、また小説を読み始めて、自分は何を読みたいんだろう?と思いながら、何冊も何冊も読んでいる。

そして、今回も出会った。井上荒野『赤へ』。
うっかり忘れてしまう、自分の恐怖が書かれていた。
母の死。インターネットで知る者の死。若い子の死。
小説だと思っていたら……不意打ち。全身をスカーンと貫かれた。ドキドキした。逃げられないし、どうしてよいのか分からなくて怖くて、切なくて、涙が出た。自分に心があると確かめる。
逃げられない死。逃げられない悲しみ。そこに向かって生きている。

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