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ストーンズの3人を手玉にとったつもりの女子大生がいた

ローリングストーンズのプロデューサー、オールドハムは言った「キミらに楽曲を普通に頼んでも、1ヶ月経っても何もしないだろう。だから、キミらを僕の家に閉じ込める。

コンサート・ツアーにも経費がかかる。他の歌手も育てなければならない。
金が要る。ミックとキースには才能があるんだから楽曲をつくって稼いでくれ」。

楽曲のイメージは、”ブロック塀におおわれたキミらが育った殺風景な下町”だった。

二十歳のミックは、小高い丘から眺めた夕暮れの公園をイメージした。家に早く帰っても共稼ぎの親はいない、子供たちが遊んでいる自分の子供時代の風景を描いた。キースが作曲した。

ダイニングテーブルが作業台だった。ベーコン、ソーセージ、ピクルス、トーストパンが、食べ放題と言われてガキ扱いされていた。馬鹿にするなと、ミックは思った。

殴り書きの歌詞と楽譜をオールドハムに渡した。「セコイ歌だろ」とミックが、
自虐的に言った。

「悪くない、これがイメージだ」とオールドハムは言って「"as time goes by"は、やめよう。カサブランカという映画で使ってる。"as tears go by"にした方がいい」と、曲名を変えた。

20才のミック・ジャグワーは、別人に見えた

ローリングストーンズの持ち歌ではなく、マリアンヌ・フェイスフルのデビュー曲になった。マリアンヌは、名門ケンブリッジ大学1年生、才色兼備の新人歌手だった。

最初はgreensleevesのB面のなる予定だったas tears go byがレコードA面に


彼女は19歳で、ケンブリッジの同級生と結婚し出産。

そんなことはお構いなしのストーンズ4人衆。ロックの血が騒ぎ、彼女を”仕事の打合わせ”にたびたび誘い出した。

マリアンヌもしたたか「3人と寝たけど、ミックが最高だった」。

ミックは麻薬も教え、彼女は麻薬中毒になった。ある日、警察の麻薬捜査が入り、ミックは逃亡し、絨毯に巻かれて失神していた裸の彼女が見つかった。

その後、ミックの子供を流産し、錠剤150錠を手当たり次第に服用し、自殺を図ったが失敗。

その後、彼女は、ミックと別れ、立ち直ったが、薬物の過剰摂取のせいで「ゲイになろうと思ったくらい」男声に変貌してしまった。1995年(マリアンヌ49才)の
ビデオ:

彼女は、ストーンズの男たちを手玉にとっていたと思っていたら、逆にもてあそばれていた。

メンバーは反対したが、ミックのゴリ押しで、
ストーンズのコンサートに、as tears go byが加えられている

彼女の最初の夫ジョン・ダンバーは、ケンブリッジ大の学生でありながら、美術評論家、鑑定家として活躍し、ポップ・アーティストのオノ・ヨーコを見出し、ジョン・レノンに紹介し、二人の結婚のきっかけをつくったことでも知られている。

マリアンヌがあえて背徳の道を選んだというより、18才の女性の前にレッドカーペットが敷かれ、有頂天になってそこを歩いただけの感覚だろう。

元・妻のマリアンヌはストーンズ、元・夫のダンバーはビートルズと関わった稀有な夫婦だった。


長文をお読みいただきありがとうございます。

すいません悪い癖で、ビデオをご覧ください:



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