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ロマンス語の時制の名称

ツイッターに上げた「ロマンス語の時制の名称」の表の補足記事です。
記事の最後には参考文献も上げておきます。まず当該ツイートはこちら。

【誤記訂正】ツイッターに上げた表では、スペイン語の点過去の表記に誤りがありました。ごめんなさい。正しくは Pretérito indefinido です。訂正版の表(ver.16/07/2021)はこの下に置いておきます。


そもそも何がしたいのか

フランス語、イタリア語、スペイン語など、いわゆるロマンス諸語の動詞には多くの時制があり、学習者を日々苦しめています。
その一方、動詞の活用形式や、個々の時制が表す基本的な意味で分類すると、時制の仕組みは言語間でよく似ています。ただ、それぞれの時制をどのような名称で呼ぶのかについては、残念ながら言語によってバラバラです。

そんなわけで、ロマンス語の中から複数の言語を学ぼうとすると、
「あの言語のその時制と、この言語のどの時制が対応関係にあるのか?」
という疑問が生じるのは自然なことです。そういう疑問に答えるため、時制の比較対応表を作って用語の異同を見ようというのがこの記事の目標です。

さて、表を再掲しておきましょう(クリックで拡大します)。表の最左列の太字は、それぞれの時制のここでの暫定的な名称です。基本的な意味用法で単純時制を命名し、付随する複合時制には「完了」の文字を付けています。

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なお、ここでいう「単純時制」 とは、動詞自体の語形変化 (主として語尾の形) で時制を表す形式、「複合時制」 とは状態や所有を表す助動詞 (英語の be や have に相当する動詞) の変化形と過去分詞との組み合わせで時制を表す形式のことです。(ただしラテン語は例外です。下記参照)

この表では、「現在-現在完了」「未来-未来完了」  のように、 「単純時制-複合時制」 の組を上下に並べてあります。

説明に入る前に、いくつかの注意事項(=責任逃れ)を述べておきます。

この表はあくまでも形式的で概略的な対応を示したものです。
それぞれの時制がカバーする意味の範囲は言語によって異なります。ある言語で正しいとされる時制の用法が、別の言語でも正しいとは限りません。
日本語の用語は、それぞれの言語での用語の直訳ではありません。
日本で出版されている教科書の多くで採用されている(と思われる)語を挙げています。教科書や資料によって用語が異なる可能性があります。
フランス語には 、「助動詞の複合過去+過去分詞」 という形の 「複複合過去」(重複合過去) passé surcomposé  と呼ばれる時制も存在します。
時制はこれで全部ではありません。例えば、スペイン語とポルトガル語には、接続法に未来と未来完了も存在しています。
 ポルトガル語には、上表中にない pretérito mais-que-perfeito simples (大過去)と呼ばれる単純時制が存在します。 ポルトガル語の大過去の複合時制は pretérito mais-que-perfeito anterior と呼ばれます。
ポルトガル語の完全過去の複合時制の和訳は見つけられませんでした。
ラテン語は時制を表すのに助動詞を使いません。つまり複合時制はありません。したがって、横に並べられた他言語の時制形態とは、厳密には対応していません。
ラテン語には過去未来(条件法)の形がありません。
ラテン語の完了(perfectum)は単純過去とも関連づけられることがあり、その際には過去(praeteritum)とも呼ばれます。
ラテン語の未来完了(futurum perfectum)は前未来(futurum praeteritum)と呼ばれることもあります。訂正版には両方の日本語表記を書いておくことにしました。ツイッターで指摘を下さったおはしうす氏、ありがとうございます。
現代語(仏・伊・西・葡)の未来形は、動詞の語幹+ haber (=英語の have に相当する所有動詞)から発生したもので、ラテン語の未来形とは由来が異なります。
ツイッターで指摘を下さった Michihara 氏、ありがとうございます。
上記以外の言語は調べてません。この記事の冒頭のイラストで、ルーマニアのボールが寂しく涙を流してるのはそういうことです。


というわけで解説

さて表を再々掲しましょう。表に挙げた言語間で日本語の用語が共通しているのは、なんと 「現在」 だけです。単純過去に及んでは、
「(仏)単純過去 -(伊)遠過去 -(西)点過去 -(葡)完全過去 」
 とバラバラの名称が定着しています。

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イタリア語の「近過去・遠過去」、スペイン語の「線過去・点過去」などは独特の用語で、いわば個々の文法業界における方言のようなものです。
ただし、ポルトガル語の 「不完全過去・完全過去」 については、スペイン語にならって 「線過去・点過去」 と呼ぶことはあるようです。

この表のバラバラの名称を見て、「お前らはそんなに学習者を混乱させたいんか。アホなんか?(憤怒)」と絡みたくなりますが、個々の文法研究に関する歴史的な経緯や、既に出版されている書籍などとの兼ね合いもあって、簡単には用語の統一ができない事情があるのでしょう。各言語の文法の専門家からすれば、労力を割いてまで一本化を図るメリットが少ないということなのかも知れません。

過去から見た未来を表す 「過去未来」 という時制は、スペイン語文法やポルトガル語文法ではそのままの日本語名ですが、伝統的なフランス語文法では 「条件法」 と呼ばれます(次節に補足があります)。
時制の名前が違うだけでなく、別の叙法として分類されているわけです。 非現実を述べるという用法を重視すれば「条件法」という名称になり、過去における未来を述べるという用法を重視すれば「過去未来」という名称になるということです。なお、スペイン語の文法用語では condicional presente (条件法現在)となっており、日本語名とスペイン語名が乖離しています。

過去における継続的な動作などを表す時制は、いずれの言語でも 「未完了 imperfect」 にあたる用語で呼ばれます。しかし、日本の教科書・参考書に載っている用語は言語によってまちまちです。
「半過去」 という名称はシンプルですが、実態が分かりにくいのがマイナスです。半分過去ってなんやねん。
「未完了」 や 「未完了過去」 は、内容に即した名称ですが、複合時制の名称との相性が悪いのがマイナスです。素朴に名付けると「未完了完了??」ってことになるわけです。適切な名称をつけるのは難作業なのです。

半過去(未完了過去)を完了形にした複合時制は、「半」や「未」の部分を捨て去って、 「大過去」 や 「過去完了」 と呼ばれます。
ただし、上の注意事項に記したとおり、ポルトガル語では 「大過去」 と呼ばれる単純時制も表外に存在するため事態が複雑です。 単純時制を 「大過去」、複合時制を 「過去完了」 と呼ぶ文法書と、単純時制を 「単純大過去」、複合時制を 「複合大過去」 と呼ぶ文法書があるようです。

フランス語文法やイタリア語文法では、理由は分かりませんが、「完了」という語を避ける傾向があります。代わりに 「前過去」 「大過去」 「近過去」 「先立過去」といった呼称が用いられるのですが、単純時制との関係が用語に明示されないのがデメリットです。
「『先立過去』と『大過去』はどっちがどのくらい古い過去?」なんて質問に即答できる学習者はおらんやろアホ(怒)
イタリア語の 「近過去」 が複合時制で 「遠過去」 が単純時制だなんぞ、名前から絶対判別できんわアホ(怒)………と怒りを表明しておきます。

最後に、接続法に目を向けると、フランス語・イタリア語では「過去」が現在完了の意味に使われていて、未完了過去に対応するスペイン語・ポルトガル語の「接続法過去」と間に齟齬が発生しています。
フランス語・イタリア語で「完了」という用語を避けた結果の謎仕様です。これもアホちゃうか、と私は思うのですが、世の中は理不尽なのです。


もう少し補足と参考資料

実を言うと、上の表の時制の並び順は以下の3分類に基づいています。

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右上の4時制は現在を中心としたグループです。これを過去に平行移動すると、未完了過去(半過去)を中心とする左上の4時制になります。単純過去は現在から切り離された過去です。
例えばフランス語では、この分類によってさまざまな現象が統一的に説明可能になります。興味のある方は、以下のリンクから東郷雄二さんによる解説記事『フランス語の隠れたしくみ』の第17回・第18回・第22回をどうぞ。


最初の方の注釈で、時制の意味の範囲は言語によって異なると書きました。
たとえばフランス語の「条件法現在」とスペイン語の「過去未来」の用法の違いについては、渡邊淳也さんの『フランス語の単純未来形と条件法 : 叙法的対立とその源泉』(2019) の第3節に解説があります。

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/54161

他のロマンス語との条件法の比較に関しては、同じく渡邊淳也さんの『フランス語の条件法現在形・条件法過去形とロマンス諸語における対応形式の対照研究』(2019) も参考になるかも知れません。


イタリア語の過去未来に関して、イタリア語文法の専門家である土肥篤さんより有用なご指摘をいただきました(どうもありがとうございます)。
「過去から見た未来」を表すのに(フランス語やスペイン語では「条件法現在・過去未来」の動詞形を使うのに対し)、イタリア語では「条件法過去 condizionale passato」の動詞形を使うという内容です。
これを踏まえると、元はたとえ同じ形態であっても、歴史的な変化のために個々の言語で用法が違ってきていて、もはや1つの呼称に統一するのが難しい状況に到達しているのかも知れません。(悲報です。泣きましょう)


ポルトガル語の現在完了(複合過去)の日本語訳と、この時制が必ずしも完了を表さないという事実については、彌永史郎さんの『ポルトガル語の複合過去』(1986) および、オンライン公開されている『ポルトガル語文法用語小辞典』の「複合過去形」の項目をどうぞ。


スペイン語の「点過去」という名称がいつから使われるようになったのかという疑問に関しては、 江藤一郎さんの『「不定過去」から「点過去」へ : スペインと日本の時制名称の変遷の歴史』(2015) が有用です。
古い時代の教科書では、「線過去・点過去」が「不完了過去・不定過去」などと呼ばれていたこと、「不定過去 indefinido」 がギリシア語の「アオリスト」の直訳であることなどが述べられています。


最後に、ロマンス諸語の巨大な時制変化表が見たいという蛮勇あふれる方は、英語版Wikipedia の該当項目で10言語の比較をお楽しみいただけば良いでしょう。


それではみなさま、ロマンスに満ちた良い人生をお送りください。Ciao! 


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