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3月10日◆丁寧な仕事をするプライドとジレンマ

家事はそこそこ適当だが、仕事はとにかく気も手も抜けないタチで、どんなときも全力投球してしまう。これは別に悪いことではないし、むしろフリーランスとして活動する自分の売りポイントだとも思っているのだが、なにしろジレンマがつきまとうのだ。今日はそのことについて書いてみたい。

私はフリーランスのライターとしてクライアントワークをメインに行なっている。何でもかんでも受けるフェーズはとっくに通り越し、現在は自分の価値観に沿ったジャンルのことを主に執筆しているので、ストレスはそれほどない。しかし時々自分でも”やりすぎたかな?”と思うことがある。それは、報酬に対して時間や労力をかけすぎた時だ。

多分、そんなに時間や労力をかけなくても、70〜80%の完成度で合格点はもらえると思う。でもそれがどうしてもできない。80%のものを110%くらいにしようと頑張ってしまい、結局そこから倍くらいの時間と労力をかけてしまうのだ。

クライアントからの評価はまずまずだと思っている。精度が高い成果物はだいたいとても喜ばれるし、嬉しいフィードバックをいただくこともある。けれども、時々こうも考えてしまう。

”この金額でここまでやってくれるなんて、ラッキー!”って思われていないだろうか…

わざわざ自己肯定感を下げるようなことなんて、思わない方がいいに決まっている。けれども例えば何かの拍子に、効率よく稼いでいる人の例を見ると、自分の要領の悪さに落ち込むのだ。そして見えない頑張りを努力だと思っているのは自分だけなんじゃないかと、卑屈なキャラに転じてしまう。

ところがある日、救われた一件があった。それも報酬以上に魂を込めまくった文章だったが、取材を受けてくださった側が私の暑苦しい熱意を汲み取ったのか、X(旧ツイッター)で褒めちぎってくれたのだ。それを見た方が、わざわざメッセージをくれたりもした。お天道様は見てるんだなあと、ぼーっと思ったのを記憶している。

とはいえ、お天道様が見ている確率は残念ながら100%ではない。それでもやっぱり手を抜くことはできない。だったら自分のスキルを上げて、90%くらいの労力で今の精度を出せるようになるしかないだろう。丁寧な仕事をするプライドとジレンマはいつ折り合いがつくのか…?理想の境地にたどり着くまでには、まだまだ経験が必要だ。

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