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『鬼滅の刃』シールが“おまけ”でなくなるとき、それはまるで狂乱的な投資のように化ける。(#21)

現在絶賛公開中の『鬼滅の刃 無限列車編』ですが、興行面において『もののけ姫』『ハウルの動く城』を大幅に超え、現在『君の名は。』も射程圏に入れております。

歴代映画興行収入ランキング(興行通信社調べ)
1.『千と千尋の神隠し』(308億円)
2.『タイタニック』(262億円)
3.『アナと雪の女王』(255億円)
4.『君の名は。』(250.3億円)
5.『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(204.8億円)
6.『ハリーポッターと賢者の石』(203億円)
7.『ハウルの動く城』(196億円)
8.『もののけ姫』(193億円)
9.『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(173.5億円)
10.『ハリーポッターと秘密の部屋』(173億円) 

中心ストーリーは“鬼退治”と“鬼になった妹を取り戻す”といった内容らしいです。
“らしい”という曖昧な表現になるのは、まだ見ていないからです。
しかし“キメハラ”とやらにも幸い、まだ遭遇しておりません。

“鬼退治”と聞いてすぐに連想したのは“桃太郎”でした。
また生き別れた肉親を探す旅はこれまでの様々なヒットの作にも登場するプロットタイプだからか、受け入れやすいのかもしれません。

ざっとあらすじを聞いただけでも面白そうな感じがするし、実際人気があるのでその感覚は間違いなさそうです。

おまけがおまけ以上の価値を持つとき…

この人気の許、鬼滅の刃の“食玩”であるシールだけを取り外し、大量のお菓子(ウエハース)が食べられずに捨てられていたというニュースがありました。

収集目的か転売目的かは分かりませんが、食を粗末にするという倫理観からはどうかと思いますが、どうしてこうしたことが繰り返されるのかは一考する価値があります。
食玩とは”おまけ”です。
有名なのは”ビックリマンシール”や“プロ野球チップスのトレーディングカード”など、様々なものがあります。


食玩ではありませんが、似た現象がありました。

“AKB投票券”です。

購入したCDには投票が付録されており、その投票数を増やす目的で何枚もCDを購入し、投票券を抜き取られたCDが不法投棄されるというニュースがあったのを覚えているでしょうか?

脱線しますが、これは不正選挙のようにもみえますが、違います。
正当に投票する権利を買ったのです。
“政党”に投票する権利を買ったのなら、それは不正ですが。
鬼滅の刃やビックリマンのシール、AKB投票券、これらに共通することは“価値がおまけ>本体”であるという点です。
また“おまけ”というぐらいだから、それほど高いものではありません。
上記の例だと印刷物です。
一枚あたり高くても数十円のレベルです。
本来、おまけは本体が消費されるための呼び水です。
それが逆転すると“おまけに本体が付いている”状態になりますので目的から逸れて要らなくなります。

おまけ・付録の歴史

食玩の世界では“収集”という意味でおまけが本体を上回る現象が多く見受けられます。
ただおまけ自体、やはり“おまけ”ですので、持ち運びやすくするため、嵩張らない軽いものとして印刷物が選ばれていたようです。
元々は薬売り(売薬行商)のおまけとして、紙風船や版画が配られていました。


戦後になりグリコは他メーカーに先駆けてキャラメルの生産再開するに伴い、配給統制による販売制限を潜り抜けるための策として、“食品つき玩具”としての販売を始めました。

印刷という点では文字が中心の新聞や雑誌にも付録(語源:記録物を付ける)として図や補足する文章がおまけとなりました。

そもそも“おまけ”とは客側との値引き交渉の末、店側が負けて値引きが成立、“御負けしました”という意味に由来します。
この語源自体も時間の変遷の中でニュアンスを変えていきました。


西洋で浮世絵がウケたのも・・・

19世紀日本から送られた陶器の包みの詰め物に使われた浮世絵『北斎漫画』が高評価を得たという有名な話があります。

詰め物自体に“おまけ”的意図があったかどうかは別にして、新しい価値が提供された瞬間だったともいえます。

言い換えれば、意図とは関係なく価値観の違いだけで“ゴミのようなもの”にも“値打ちある”ものにも変更してしまうことがあるのです。

“おまけ”はモノのコモディティ化が進み、そこに差を生むためのきっかけを提供した歴史でした。

もし本体に“ゴミのような価値しか持たない”人にとってそれは“ゴミ”同然でしかありません。

ですがレクサスのおまけとして“鬼滅の刃シール”をつけたとしても、レクサスは捨てられることはないでしょう。

それにそもそも何台も購入できません。

要するにこうした消費は起こるべくして起きたと言えます。

おまけのコンテンツがすでに価値ある(人気ある)ものであるならば、大体が経済力のある大人が購入(=大人買い)します。
しかしコンテンツは少年雑誌(つまり、基本子供向け)で人気に火が付いたものなのに、それを子供が手に出来ない構造は些か歪であり、ゴミ云々以上に少々やりきれない思いがしますね。

あるいはその屈辱的思いが、大人になった際の“大人買い”の原因となっているのかもしれませんが。

頂いたものは知識として還元したいので、アマゾンで書籍購入に費やすつもりです。😄