【日記】ウクレレ

 どこまでここに書いたか、もう忘れつつある。
 今年の六月から、レッスンで先生にウクレレを習っており、毎月二回、もう半年続いている。
 そこそこ上達している気でいるが、どうだろう。ウクレレソロの曲を、六、七曲弾けるようになった。ビートルズの曲を集めて編曲した楽譜があって、それを頭からやっていっている状態である。
 必然、ビートルズの曲を、今までよりは詳細に味わうことになる。編曲のバイアスがあるから、直接的に楽曲のすごさを感じるというのは難しい。そもそも、元の曲の楽想を知っておくことは、編曲された曲を弾くには必須である。
 今、思い付きで楽想といったが、その曲をどのように運んで、どう仕上げるなどといったイメージがなければ、極端な話、曲を弾くことができない。人は、楽想のない曲を弾くことができない。機械的に並んだ音が出てくるだけでは、曲に聞こえない。
 不思議に思ったのは、シンセサイザーを弄っている時で、元々のイメージだと、全く均一な音が出るものと思っていたのが、わりと、一音一音、謎の揺らぎが発生するのだ。パソコン上で、アナログシンセのエミュレートをしたものだった。ドとレの音を出すとき、PCM音源のように、その音声データを周波数の計算をして、その音だけ短く早く回したのとは、違う音がする。自分でそう感じただけで、実際には違ったのかもしれない。
 何が言いたいのかというと、楽想のない打ち込みの音楽は音楽として成り立たないという、打ち込み音楽の批判をしたいわけではなく、機械的な音楽は機械的な音楽なりの揺らぎがまたあり、その道具をもとに作曲している人間は、自然とそれを感じ取って別の楽想として運んでいるという意味で言っている。

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