【読書録】井筒俊彦全集

 井筒俊彦の『イスラーム哲学の原像』という本を読んでいるという話はした気がする。それは新書だった。いわば、東洋の哲学、宗教をすべて網羅しているかに見える井筒俊彦の、一番入門に近い本である。
 前には、そのどの辺に当たるのかわからないが、大乗起信論という本について書いたものや、『イスラーム文化』などを読んだことはある。しかしそれらも、それほどコアなものではなかった気もする。
 予想するに、特にコアなものは、英文で書かれた論文の類なのではないだろうか。まだ一つも読めたものはない。確か、井筒俊彦の英文の著作が、逆に日本語に翻訳されたシリーズが出ていた気がする。
 誰かが言っていたには、日本人に対して何か言っても無駄だ、と井筒俊彦は感じていた。日本における発信より、何倍も海外への発信の方を重要視していたと。
 確かに、冷静に考えると、日本語のみで出版されたものというのは、市場や関われる人の人数が圧倒的に減る。あまり考えたくない所だが、事実なのだろう。
 しかし、日本人は、日本だけで、情報でも、流通でもなんでも、完結していてくれとどこかで思うものなのかもしれない。もしそれだけだったら、シンプルに話が済むのに。
 話が逸れた。とにかく、単に入門書を読むだけでは、やはり井筒俊彦の全体を少しでも吸収できたとは言えない気がしてきたので、これはこれで読みつつ、これまた読みかけていた、井筒俊彦全集の一巻を、買って読んでいる。
 前週の初めにありがちな、主著ではない、書評みたいなものから、三篇が始まる。
 単に書評というか、日本語に翻訳された海外の(確かフランス語だった)言語地理学というものについての本を紹介するものと、回教(イスラム教)の現代のあり方を語った、海外の辞典の一部を井筒俊彦が翻訳したもの、それからアラビア文学について書かれた本についての書評、と並んでいる。
 このうち、最初の言語地理学について書かれた本の書評からして、井筒俊彦の後年の立ち位置が、完全に刻まれていることを見て取った。
 曰く、本書(ドーザという人の、そのまま『言語地理学』という本)は、いわば解説のように書かれているけれども、創始者のジリエロンという人はとても独創的ではあっても難解だった。それを、万人に分かりやすく、しかし丁寧な筆致で紹介しており、筆が光っている。すごく適当にまとめているが、おおよそそんなことを書いていた。
 これは、井筒俊彦の生涯貫いていたスタンスそのものだ。コアなだけでは、良い研究書にはなるのかもしれないが、全ての人の教養になるわけではない。また、入門書を書くのは、入門くらいか、それより深いくらいの知識しか持たない者には到底書けない。一番深い知識を持った者が、優れた入門書を書くことができる。
 そういうスタンスから出たものであれば、なるほど、『イスラーム哲学の原像』も、放ることなくよく読まねばならんなあ、と反省した。もちろん、そのスタンスが著作というにはまだ本格的でもない時点の著述から現れているということを知れたのも、全集を読んだからには違いないので、こちらも読み進めていくことにした。

 なお、実は、意識してかしないでか、本当に最初に、全集に収録されている、「ぴろそぴあはいこおん」という、ぱっと見では何のことだかわからない、ごく短い文があるのだが、これをずいぶん前に一読して、今回また読んで、とても読み取るべきことが多く、今は語ることができないだろうとしか思えなかったので、ここでは取り上げないでおいた。

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