藤原新也 ~メメント・モリ~
今年11月26日~世田谷美術館にて、
写真家 藤原新也「祈りの軌跡」展が開催される。
藤原新也さんの作品に興味を持ったのは、著書『メメント・モリ 死を想え』を読んでみたのがきっかけだった。
本書が発刊された1983年は、私はまだ生まれていないのだが
初めて読んだときは衝撃を受けた。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」
死を迎える者、また死を見送る者の在り方が、日本とこんなにも違うのか!という衝撃だった。
祭りの日の聖地で印をむすんで死ぬなんて、なんとダンディなヤツだ。
あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。
なぜなら、死は病ではないのですから。
どの写真も印象的な1枚だが、特に最後の写真を見た時、私は「なんて美しいのだろう」と感じてしまった。
自分が生まれ育った国では、人の多くは病院や家で亡くなり、死体は火葬され骨となり、その骨は墓へと納められる。
親族や周りの人に迷惑をかけないように死ぬことが、去る者の礼儀だといわんばかりで、それが当たり前だと思っていた。
しかし国が変われば、死の文化も異なり、自分の肉が他の生物の糧となる。
こんな(自由な)死に方が許されるのか。。
「死は病ではない」という言葉に、改めて「自らの死に方」について考えさせられた。
「メメント・モリ」という言葉は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という意味の警句。
決して死に対する脅しではなく、むしろ励まし。
死を忘れず、今ある生に感謝し、目の前の人生を全力で生きようというメッセージがそこには込められているのだ。
また「メメント・モリ」の対になる言葉で、「carpe diem」(今日の花を摘め)という言葉がある。
「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」というメッセージが込められていて、なんと古代ローマ時代(紀元前約700年頃)から詠われているのだそう。
あの人がさかさまなのか、わたしがさかさまなのか
1944年生まれの藤原さんは、1969年よりアジア全域を放浪し始め、1972年に『印度放浪』で衝撃的にデビューを果たす。
なぜ写真という手法を選んだのか?
またなぜインドだったのか?
その答えを知りたくて調べてみたら、以下のインタビューでお話しされていた。
「インドには失われつつある自然原則というものがあり、その大地で何か自分の身体を試したかったのかもしれない。ある意味では純粋な旅だった。」と仰っている。
またそもそも「表現することをやめよう」っていうところから始まってるという言葉が印象的だった。
あるがままを写真に収めるために、頭で思考するのではなく、身体でがっぷりと対象と向き合う、というようなニュアンスで私は捉えている。
表現としてのアートではなく、あるがままがアートになるとでもいうか。。
藤原さんは、海外ではインドだけでなく、戦地へ赴いたり、日本では水俣病、麻原彰晃事件、東日本大震災の現場へ赴いてきた。
彼の作品の魅力は、それぞれの時代を象徴するような出来事、その渦中にいる人々と時間をかけ、真正面から向き合うことで生まれる魅力なのだろう。
あの景色を見てから瞼を閉じる。
改めて11月の企画展が楽しみに待ちたいと思う。