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発見! 街のメタバース

ありがたいことに、ご時世もあって様々なお客様からメタバースプロジェクトへのお誘いを頂く。

しかし、毎度、自分たちで「メタバース」という言葉を使うとき、かなり迷ってしまう。何しろ、この「メタバース」という言葉の定義が相当にあやふやなのだ。

よくある問いとして、ウルティマ・オンラインの頃からあるMMORPG(同時接続型のオンラインロールプレイングゲーム)なんかと何が違うの? みたいな話がある。実際、クライアントにヒアリングをしていくと、思い描かれている「メタバース」は、往々にしてMMORPG的な仮想空間に近いものだったりする。

このへん、いろいろな識者がいろいろなことを言っていて、MMORPGをメタバースと言う人もいれば、ああいうのは違う、と言う人もいる。そこからわかることは、「ああ、まだこれあんまり明確に定義が固まってないんだな」ということだけだ。

「メタバースの定義」でググると、「メタバース進化論」という本における定義がよく出てくる。メタバースの条件っていうのは、「空間性」「自己同一性」「大規模同時接続性」「創造性」「経済性」「アクセス性」「没入性」の7つなのだそうだ。そして枕詞としてよく出てくるのが「現実と同じように」というフレーズだ。

「現実と同じように」、空間があって、自分という存在があって、たくさん人がいて、何かつくることができて、経済回ってて、常にアクセスができて、入り込むことができる、「現実じゃない」場所がメタバースということなのか。わかるようでわからない・・・。

ただ、メタバースという言葉が登場してから、普段リアル社会を生きていて、「あーこれなんか、メタバースっぽいな」と思わせられる空間やコミュニティに遭遇することが結構ある。理由はよくわからないが、直感的に、「メタバースっぽい!」と思えるのだ。

そんなわけで、今回は、最近「メタバースっぽいなー」と思った場所を訪れて紹介しながら、なぜ自分がそれをメタバースっぽいと思ったのか考察することで、同時に「いい感じのメタバースってこういうことなんじゃないか」について考えを深めるという実験をしてみたいと思う。

1.コの字居酒屋

コの字居酒屋、というのは文字通り、コの字形のカウンターを備えていて、カウンターの中の店主・調理場を囲みながらお酒が飲める居酒屋のことだ。

普通の居酒屋とどう違うのか、と言ったら、一番特筆すべきことはその構造だろう。コの字カウンターというのは、非常にコミュニケーションドリブンな装置だ。構造上、カウンターの向こう側の他のお客さんの会話は聞こえるし、店主は酒肴を調理しながら、常にお客さんとコミュニケーションをとっている。一人で飲んでると話しかけられたりする。

コの字居酒屋では、他のお客さんや店主の存在感が一般の居酒屋と全然違うし、極めてコミュニケーションを生みやすい構造になっている。そのへんがなんかメタバースっぽい。というか、メタバース内にもこんな感じの場所があったら寂しくないだろう。

さらに、その土地で長年やっているお店が多いのでお客さんの多くは常連さんで、ふらっと行けば、いつもの人たちに会える、みたいなところもある。メタバースも、行けばいつもの仲間に会えるのでログインしたりするものだろう(MMORPGなんかだとそういう傾向は多分にある)。

他者が存在していて、賑わいの中に自分がいる、という単純な状況。そんなコの字居酒屋の風景をAIでメタバースっぽくしてみた。

いいねえ。こんなメタバース。

ちなみに、こういうお店は、多くの場合チェーン店とかではないので、その店ならではの、他では味わえない酒肴が供されたりして、それらがいちいち美味だったりする。この日のお通しもメタバースっぽくしてみた。

大根に出汁が沁みている感じはメタバースには早すぎたか。

2.喫煙所

普段、会社に出社して仕事をしている人なんかだと、行けばいつもの人たちにだいたい会える場所、というのが喫煙所である。もちろん喫煙者に限った話だが。

喫煙所にいる人たちは、当たり前だが喫煙所に煙草を喫いに来ている。誰かに会いに来ているわけではない。ただ、煙草を喫いに行くと、同じビルで働いているいつもの喫煙者仲間がそこにいる。

喫煙という目的を共有しながら、偶発的に他者と同じ時間を共有する。そんな喫煙所の有り様って、ちょっとメタバースっぽいなと思う。

「何かをしにいくと誰かがいる」状態。メタバース上では喫煙はできないが、イベントやら何やらがあって、それに参加すると同じ目的を持った誰かに会える。そこでよく知らないけどいつも見る人とちょっと話してみちゃったりする。あるいは他の人が話しているのを聞いてたりする。

ああ、こんなメタバースも良いかもしれない。喫煙所は、仕事の話なんかしていると結構アイデアが出るような場所だったりもするし、こういう空間はメタバースにも欲しい。

3.ラジオ体操

自分にとって、「何かをしにいくと誰かがいる」の最たるものが、「近所のラジオ体操」だ。

朝6:30に、近所の公園に行くと、雨や雪が降っていない限り、近所の人がわらわらと集まって、誰かが持ってきたラジオからラジオ体操の番組が流れてくる。そして、ラジオ体操のピアノ演奏に合わせて、一斉に同じ動きを始める、というか、ラジオ体操を始めるのだ。

これがその映像だ。

これは実にメタバースっぽい光景だと思う。ここにはえも言われぬ、他者やコミュニティとの一体感がある。「フェス感」と言っても良いのかもしれない。朝6:30、日本の公園では老若男女が一斉に同期運動しているのだ。

コの字居酒屋も喫煙所もそうだが、この「行けば会える」「行けばなんかやってる」感というのはメタバースを考える上で重要なポイントなのかもしれない。

メタバース化してみると、これは非常にメタバースっぽい。そしてこれも「他者が存在していて、賑わいの中に自分がいる」感が強い。

4.メイドカジノ

MMORPGをはじめとしたオンラインゲームには、「レベルを上げる」とか「みんなでモンスターをやっつける」とか、ゲーム内での目的がある。その目的があった上で、そこにいる他者とのコミュニケーションが生まれる。

じゃあ、メタバースはオンラインゲームと違うから無目的で良いのか、と言ったらそれはなかなか難しいだろう。その空間を訪れる目的がなければ人は集まらないし、人が集まらなければもっと人は集まらない。

ドラゴンクエストなんかにも出てくるが、「カジノ」というのはしばしばゲーム内のゲーム空間として登場する。そもそものカジノという場が、ゲームという目的を持って不特定多数の人々が集まる場だ。ラスベガスをはじめとした海外のカジノでは、様々な人種の、様々な年齢の人たちがテーブルを囲んで一緒に盛り上がったり、落ち込んだりする。その「知らない人と一緒に盛り上がる」感じがそもそもメタバースっぽいのではないかと思う。

今、筆者は日本にいるし、アメリカのカジノでは写真を撮ると怒られるので、今回は秋葉原のメイドカジノにお邪魔した。

「ご主人さま、お帰りなさいませ」とメイドの衣装に身を包んだディーラー担当の女性が迎えてくれる。そこでは、仕事帰りのサラリーマンや時間がありそうな若者が、日本ではなかなかお目にかかれないカジノテーブルを囲んでいる。こんな「非日常感」もまた、非日常な世界や特別な体験に即時にアクセスできるメタバースっぽさにつながってくる。

非日常感の中で知らない人と盛り上がる。そこでは、自分もいつもと違う自分として存在するのかもしれない。コスプレに身を包んだ人々がそこかしこにいる秋葉原という場所は、そもそもリアル・メタバースなのかもしれない。こんな場所がメタバース上にあったら、それはまあ、行くかもしれない。

お客さんやメイドさんを写すのはご法度なので手元だけメタバース化。

5.巣鴨とげぬき地蔵

現実の中でのメタバースっぽい空間、ということで真っ先に思いついたのが、実は、町の病院の待合室だ。

町の病院の待合室の多くは、高齢者の社交場になっている。多くの高齢者にとっては、病院は身体のメンテナンスをする場であり、同時に他の高齢者と会っておしゃべりをする場なのだ。コロナ禍で、社交を求める高齢者が病院に行きづらくなってしまって、病院の売上はむしろかなり減ったなんていう話もある。

高齢者にとって、自分と同じ高齢者が集まるそんな場所は、心理的安全性が高く、落ち着く場所なのだろうということは察せられるし、町にはそんな場所が必要だ。そんな場所でお友達とおしゃべりして時間を過ごす、というのがもうなんか、メタバースっぽい。

ただ、今回は実際の場所に行って写真を撮りたい。さすがに町の病院で撮影するのははばかられる。

じゃあ、町の病院ではない場所で高齢者が集まる場所ってどこだ? と考えた。それは、巣鴨だ。おばあちゃんの原宿、巣鴨とげぬき地蔵だ。

今回、生まれてはじめて訪れた巣鴨とげぬき地蔵周辺には、噂に違わずたくさんの高齢者が集まっていた。やはりそこには高齢者にとっての心理的安全性が漂っていて、ピースフルな空間が広がっていた。

心理的安全性に包まれた場所で、同じ属性を持った仲間と落ち着いて時間を過ごす。メタバースは、人が集まる場所であり、コミュニティは、人が集まれば発生するし、同時に人が集まる理由になる。ちゃんと機能しているメタバースは、そういう好循環を生み出しているはずだ。

メタバース化した巣鴨。思ったとおりなんか落ち着くメタバースだ。


ここまで、いろんなメタバースっぽいリアルな場所を取り上げてきた。

メタバースにおいて何が重要なのかなー、ということを以上の直感的な尺度で選んだ「街のメタバース」から考えると、メタバースにおいて最重要なファクターは、他者の存在、ということなんだと思う。

一期一会感にしても、フェス感にしても、コミュニティにしても、他者との距離感や関係性が豊かさを与える空間が、メタバースっぽいと感じられるように思える。

現在、いろんなプレイヤーがいろんなメタバースプラットフォームをつくっては、過疎=ユーザーがなかなか来てくれない問題に苦しんでいる、ということを耳にする。重要なのは美しい3D空間ではなく、NFTで土地が買えるよ、とかでもなく、そこでどんな人がどんなことをやっているか、なんだと思うし、私たちも、メタバースにお仕事で関わるときに、何よりも人ありきで考えていきたい。

まあ、あとは、メタバースじゃなくて普通に街に出かければ良い説もあるが、そういうことを言うと身も蓋もないのであんまり言わないようにしておく。

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