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1225「弟子入りと自然の神秘」

いろいろと情報量が多い内容を書くことになるので書く前から面倒だなあと思っているところもあるが、まあまず、私は7月くらいから日本にいる。ウィルス然り、仕事然り、その他のいろいろ然り、理由はいろいろあって、今後どうなるのかも含めてここで共有することもあるかもしれないが、とにかくこの年末年始は、8年ぶりに日本でクリスマスと正月を過ごすことになる。

で、早いのだが、今年は半端なく忙しかったのもあって、夏休みのようなものと組み合わせて、もう今日からお休みに入ってしまっている。年明けは5日だか6日だかから働くはずなのだが、最初は間引き運転気味だろうし、ここから2週間、ちょこちょこ仕事はやるにしても、いつもの、1日10個とかミーティングが入っているようなわけのわからない状況ではなく、それなりにウェルビーイング気味な日々を送ることになるだろう。

前述の通り、ここのところ普段の仕事がなかなかハードコアだし(ゆえにこういう場所に文章を書くこともできないでいた)、そんなに好きでハードコアにやっているわけではないので、こう、ウェルビーイングウェルビーイングして過ごしてしまうと、すっかりウェルビーイングな人になってしまって、ハードコアな人に戻れなくなってしまう恐れがある。別に戻れなくなってしまっても全然良いのだが、仕事はしないといけない。

というわけで、このまま行くと2週間後には元の生活に戻ってくることができないような仕上がりになるかもしれないという危惧がある。なんにもしないで休んでいると戻ってこれなくなる。私はなんか書くと頭の中がまとまる傾向もあるわけで、ここから2週間、忙しくって書きたくても書けていなかったことについてここに書くか、と考えた。とはいえ、ちゃんとまとまったものを書こうとすると時間かかっちゃってやってられないので、いつも通り適当に書いていこうと思う。


妻は、なぜなのか物理学者の大栗博司教授のことを尊敬していて、なんかよく、講演会とかに参加している。今年の春とかにも、オンライン講演会に参加して、サイン色紙を当てていた。他にもいろんな物理学者の先生をフォローしているが、いつだったか、とある文化人っぽい人(私も知り合い)が、YouTubeか何かでそのうちの誰かと対談していて、なんか、その文化人の質問がうんこだったとかで激おこになっていたことがある。「貴重な○○先生の時間をクソくだらない質問で消費しやがって。その1時間、先生がこんなやつとしゃべらずに研究をやっていたら人類はもっと進歩できたかもしれないのに。」という趣旨だ。後日、今度はその文化人さんと私が対談する機会があって、そのときはそのときで、「あんな奴としゃべっちゃダメだよ」なんて言って怒られた。

最近私もこの感覚がすごくよくわかる。というのは、東京に来てからというもの、いつもその音楽を愛聴しているミュージシャンからピアノを習っているからだ。

西山瞳さんの音楽に出会ったのは、数年前、ニューヨークの日本食材スーパーにお買い物に行っていた時で、 Apple Musicのレコメンデーションに、「NHORHM」という謎のアーティストが上がってきて、なんとなく聴いてみたというのがきっかけだった。私は、高校の時、「BURRN!」買って伊藤政則のラジオ聴いているようなヘビーメタル少年だった。で、大学入ってからジャズサークルに入ってからはジャズ青年になった。

で、Apple Musicのレコメンデーションというのは優秀で、そんな私の変わった音楽嗜好をよくわかっているというか「NHORHM」は、ヘビーメタルの名曲をジャズアレンジしたものを演奏する、というプロジェクトだった。そのへんの、「なんか別のジャンルの曲をおしゃれなジャズにしました〜」みたいな軽薄なやつじゃなくて、メタルもジャズも愛していないと絶対に生み出せないような、超かっこいい音楽だった。

調べてみると、このプロジェクトは日本人アーティストによるもので、仕切っているのは西山瞳さんというピアニストであることがわかった。そこから、西山さんの音楽を聴きまくるようになった。好きなミュージシャンはたくさんいるが、たぶんここ2年くらいだと、一番聴いているかもしれないほどだ。西山さんの音楽は、複雑なガラス細工みたいに美しい。

で、私は2020年にコロナウィルスに感染して治ってからピアノを練習していて、そろそろちゃんとジャズをやりたい、誰か先生に師事できないものかと思っていたところ、たまたま長期で東京に帰るぞ、というタイミングで、なんとなく西山瞳さんのウェブサイトを見ていたら、西山さんがピアノのレッスンというものをやっていることを知ったのだ。そのままの勢いで「で、弟子にしてください!」という鼻息の荒い長文メールを西山さんに送りつけ、弟子入りが叶い、定期的に指導を受けている。

ピアノをやっている経緯とかは下記。

それ以来、私は、前述の妻の物理学者の先生に対する、「尊敬する人の時間を余計なことに使わせたらそれは社会の損失」みたいな感覚に定期的に苛まれている。西山先生にレッスンを受けるたび、「この人に、私みたいな者のために時間を使って頂くのは社会にとってとても大きな損失なのではなかろうか。この時間を使ってもっと素晴らしい音楽を生み出してもらった方が良いんじゃなかろうか。」という沼にはまってしまって、落ち込んでしまう。仮に、私は照ノ富士と食事する機会なんかがあったとしたら、「こんな人間と食事なんかしてないでぶつかり稽古でもしててください」と言って帰るはずだ。

しかし、西山先生にピアノを教わるようになって、大袈裟ではなく、どんどん自然の神秘が解き明かされていっているように感じている。ピタゴラスが音楽をやっていたように、音楽って、数学と同じように自然の仕組みをシンプルに構成している根源的なもので、ピアノという楽器は私がもともとやっていたトロンボーンなんかよりも、その仕組みをビジュアライズして科学的に理解するのに適した楽器だ。音の組み合わせを少し変えるだけで、人間という自然界の動物の別の感情にアクセスできてしまう。なぜだかわからないがそうなる。それは自然の神秘ということなのだろう。黒糖焼酎の「れんと」が、クラシック音楽が流れる場所で熟成されている、みたいなのもなんかきっと意味があるんだろうな、と納得したりする。

そんなわけで、先生に「クリスマスまでにどうにかせよ」と言われて渡された課題曲を演奏してみた。硬いことこのうえないが、聴いてみてください。あと、ジャムセッションしたいので、一緒にやってくれる人を募集しています。

そして、西山先生が9月に出したニューアルバムは全員聴くべき。

西山先生はいろんなところに文章を書かれていて、ジャズとメタルについての連載もある。

noteもやられている。


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