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日課記録と成果発表(2020年度)

ちょうど一年前、例のめっちゃ拡散したコロナ体験記を書いたのと同じタイミング、つまり新型コロナウィルスに罹患してどうにか快方に向かって、1週間仕事を休んでいた直後、何だか気が抜けてしまってずーっと部屋で「龍が如く7」をやり続けていて、心身がふやけにふやけ切っていて、折角生き延びることができたんだし、こんな体たらくではダメだ、なんて思って、どうせずっと家にいるわけだし、新しく日課をやることにした。

この日課は複数あって、実は1つ1つについて結構面白いプロセスがあるので、分けて丁寧に記録を書こうと思ったのだが、結構楽しくうまくやれたのもあって、書けば書くほどドヤ感が出てきてあんまり良くないなあと思ったので、シンプルに1記事にまとめることにする。ゆえにいろんな要素がごった煮になってしまうと思うので、散逸した内容になってしまうであろうことを予めお詫びします。

基本的にこれらの日課はゴールを設定せずにずっと続けようかなと思っていることなので、毎年この時期に年報的に進捗の報告を書けると良いかなあと思う。

と言いつつ、まずはどうしてもここから始めないといけないのが、自分のそもそもの特徴だ。

「呪い」をかけるとやめられない

私がアスペルガー症候群(ASD)と診断されたのは2014年のことで、結構最近だ。ASDというのは、いわゆる発達障害の一種でもあるし、自閉症スペクトラムに属する病気、というか特徴というか、そういうものである。心療内科に通院して大学病院で検査をしたのも、普段生活をしていく上でのやっていきにくさが多分にあったからで、自分の特徴をある種、そういった何らかの診断でくくることができたら、もっと自分の特徴というか、癖、みたいなものを客観視できて、生きやすくなるんじゃないか、というのがあったものだから実際にASDの診断を受けた際は結構ホッとしたものだ。これで、自分に対して戦略をつくれる、ということでもある。

はたしてそれはその通りだった。「ライフハック」という言葉は、あまり好きではない言葉の一つだが、自分がASDであるということを知っていると、この自分の特徴を「ハック」できる感じ、つまり特徴をうまく利用して自分を動かすことができる、というのはまあある。今までは生きづらさにつながっていた「クセ」を利用して、ポジティブな作用につなげる、ということだ。

ASDにもいろいろあるのだとは思うが、私の場合、非常に強いのが、「一度やり始めたこと、決めた予定を途中でやめるのが苦手」というのがある。

たとえばジグソーパズルだ。私は一度ジグソーパズルを始めると、完成するまで止めることができない。子供が持て余したジグソーパズルを「手伝ってー」なんて持ってこられると、もう地獄の始まりで、そこから先はもう戦場だ。やめられない、に加えて、一人で全体を把握したい、という特徴もあるので、子供そっちのけでパズルと向き合って他が見えなくなる

2-3年前くらいに、やはり子供がジグソーパズルを手伝ってくれ、と土曜の朝に私を起こしにやってきたことがあるが、私は前日深酒をしており、重度の二日酔い状態だった。パズルに焦点が合わないのもあって吐き気を催しながら、しかしやめることができない。妻によると、そういうときの私はものすごい殺気を放ち、狂気に包まれているらしい。そのくらい、一度始めるとやめることができない。レゴなんかもそうで、ピースが多い大きなレゴを組み立て始めたが最後、完成するまで、体中が痛くなっても手を動かし続けてしまう。

仕事をやっていく中なんかでももちろんそういう傾向はあるわけだが、仕事はまあ切り分けることはできるし、頭では途中でやめたり方針を変えないと人に迷惑がかかっちゃうような局面もあることがわかっているので、結構臨機応変にやるわけだが、それはそれで結構なストレスを感じながらやっている。

「一度始めたらやめることができない」とは別に「一度決めたらやめることができない」というのがある。一番ひどかったのが、このnoteアカウントにおいて、2018年から2019年にかけて書いていた日記だ。そもそも所属している会社でnoteを始めようと思って、noteを運用する前にこのサービスの使い方や特徴、注目の集め方を理解しよう、と思ってこの個人アカウントをつくった。で、そのときに魔が差して、「今日から1年間、365日、このnoteで日記を書くことにする」ということを決めてしまったのだ。

結果、雨の日も風の日も二日酔いの日もネタが無い日も落ち込んでいる日も、365日、完全に嫌々だったが欠かさず日記を平均2000文字程度書き続け、完走したときにはフォロワーが6万人とかになっていた。毎日書いた文章は、概ねしょうもないことばかり書いていたし、今から振り返っても、完全に無駄なことをしてしまったなあと思う。あんまり意味がなかったと思う。嫌々ならやらなきゃいいじゃん、と思われるかも知れないし、意味がないと思ったらやめればいいじゃん、と思われるかも知れないが、無理なのだ。なぜ無理なのかというと、「一度予定を決めたらやめられない」からだ「継続力があってすごいですね!」とか言われちゃうのだが、継続力、とかじゃなくて決めたことをやめられないだけで、やっている本人はエヴァ乗りたくないのに乗らなきゃいけなくなっているシンジくんみたいな状態だし、そこそこ悪夢というか、「呪い」なのだ。

この、実は「やめられないだけ」の「呪い」なんだけど、外から見ると「継続力」なんていって評価される状態というのが「自分ハック」をする上でとても重要なポイントになる。

どうでもいい日記を1年書く、ということではなく、ちゃんと生産性があったり、自分の成長としてストックできるような行為を継続してやることに「決めて」「呪い」をかけてしまうと、この辛い特徴は強みになってくれたりする

そんなわけで、コロナが治って、しかし気が抜けてしまった私が、社会復帰にあたってかけた「呪い」が、今回記録として綴っていくいろんな日課たちということになる。実際1年欠かさず続けてみて、いろんな効果があったので、列記していく。

筋トレとラジオ体操と雨穴ダンス

とりあえず、ずっと家の中にいて心身ともどもふやけてしまっていたわけなので、運動することにした。そもそも運動は嫌いで、かつ、割と過食気味な傾向がある人間なので、放っておくと身体が緩んでいく。

結果的に2019年の10月の時点の私は史上最強に太っていて、体重は今だから書けるが112kgに達していた。私は過去2回、大規模なダイエットに成功していて、2011年に100kg→85kg、そこからすぐにリバウンドして、2015年には105kg、ここで糖尿病の診断を受けてしまって糖質制限ダイエットを始めて78kgまで落とす。しかし翌年にはリバウンドが始まって2019年には112kg。一度は数値的に寛解した糖尿病もすっかり再発していた。このへんの増えたり減ったりの歴史については、いろんな思い出を振り返りつつの写真を貼っておく。

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2011年初頭。100kgくらい。

2011年末。痩せた記念にカツラを購入して撮影した1枚。

2013年。リバウンドして太っている。

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2015年。糖質制限した後、台湾でしゃべっている時のもの。不健康な痩せ方。

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2019年夏。恐らく人生最高体重。これは力士。糖質制限はリバウンド半端ない。右は長洞さん。

これも同時期。力士辞めてYouTuberになりました。みたいなことになってる。今度入江さんに会ったら比較画像を撮りたい。

で、実際糖尿であったことも手伝って新型コロナの症状も重症寸前まで行った感があった。いや、それだけではなく、後日目にした記事によると、「A型の薄毛の男性は新型コロナウィルスが悪化しやすい」という研究結果があるらしく、まあ、私はA型の薄毛の男性なので、「これだったかー」とも思った。

何はともあれ、喫緊の課題として痩せる必要はあるし、そもそも、運動が嫌いな自分ですらうんざりする程度に、罹患から回復期に至るまでの3週間寝たきり生活は自分の身体を重くしていた。

そんなわけで、毎日下記の運動を欠かさずやることにした。

1.ラジオ体操

ラジオ体操シリーズが、骨や関節、筋肉をまんべんなく動かすことができる全身運動であるということはよく知られていることだ。実は効率よく身体をほぐしたり、運動モードにスイッチすることができるものだし、あとまあ、なんだかんだ日本人のルーティーンとしては定番なので、毎日ラジオ体操をすることにした。泥酔して二日酔いで気持ち悪い日であっても、必ずやっている。

2.筋トレ

最初の数カ月は、住んでいる建物に併設されたジムもコロナの影響で閉鎖されていたので、自室で、NHKの筋肉体操の動画に合わせて筋トレを行いつつ、インターバルに、腹筋だったら腹筋、胸や背中ならそのへん、下半身なら下半身の別のトレーニングを適当に挟んで、15-20分くらいやる。筋トレというのはよく言われる通り、同じ部位を毎日鍛えてもあんまり効果が得られないものなので、腕+胸+背中の上半身の日、スクワットとかの下半身の日、腹筋の日、というふうに分けて、3日単位でローテーションしていく。
秋になってジムが再開してからは、筋肉体操は卒業して、YouTubeの「正しい鍛え方」みたいな動画を参考にしながらジムで鍛えた。
今回は三度目の正直でさすがにリバウンドはしたくないし、ダイエットというよりは肉体改造っぽいコンセプトでやっていきたいので、ちゃんと筋肉つけるぞ、ということで毎日やっている。

3.雨穴ダンス

「雨穴ダンス」とはこれのことだ。

ラジオ体操と筋トレだけだと何か物足りなく、もう少し軽やかでしなやかな何かを取り入れたほうが良いんじゃないか、ということと、「どうせ呪いなんだから、呪いっぽい何かはないか」と考えたときに、この雨穴ダンスを2回必ず踊ることにした。

雨穴さんは、昨年の頭に長男に教えてもらったクリエイターさんというかアーティストさんというか、なんだかわからないがそういう人で、知って以来、すっかり魅了されてしまって、今ではサザエさんのタラちゃんの声を聞くと、「あ、雨穴さんだ!」と思うようになった。

そこそこ複雑なダンスだが、今では音だけでも身体が動く。

夏に東京に帰ったときには、時間がなくて、池袋の公園や芝浦の路上でラジオ体操とこの雨穴ダンスをせざるを得なくなってきつかったが、呪いなので仕方ない。一番しんどかったのが、夏に日本に帰っていたときに、池袋に最近できた有名なサウナ施設であるかるまるの非常階段の踊り場でこれを踊っていたら、他のお客さんに見られて驚かせてしまったときだ。

4.有酸素運動

これは、歩いたり、エアロバイクを漕いだり、だ。10-20分くらい。他に課しているルーティーンと併用して、耳で何かを聴いて学習したりしながらやっても良いことになっている。

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というのを1年続けて、ある程度食事にも気をつけて生活していたら、実際、今までにないくらい筋肉がついてきた上に、体重も最高で112kgだったのが、これを書いている時点で80kgまで落ちた32kg痩せた。その上に、筋肉ついたのでとにかく身体が動くようになった。体脂肪率は多分30以上全然あったのが16-17くらいになっている。今まで経験したことがないくらい身体が軽い。仙豆を食ったみたいな感覚だ。秋口に検査したら、糖尿病は寛解していた。

これが痩せる前と現在の比較写真だ。微妙に腹も割れてきた。日課としてはずっとやっていこうとは思うので、今度はリバウンドしないといいなあと願うばかりだ。

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英語

私はニューヨークに住んでいるが、このコロナ禍の中では、stay at homeなわけで、全然人に会わない。家族は全員日本人だし、日本語ばっかりしゃべって生活することになる。たまにリモート会議で英語をしゃべることもあるし、長男の学校の先生から「お前んところの息子全然宿題やってこないんだけど」みたいな感じで連絡が来て英語で説教を食らったりすることもあるが、何しろ日常生活で使わないので放っておくと英語力が退化する。

ちなみに、かれこれ7年もニューヨークに住んでいるので、そもそもの英語力としてはそれなりにあって、日常会話とか仕事で話すぶんにはあまり問題がないレベルではある。

が、言語というのは放っておくと退化するので、1日20分、何らかの英語学習を自分に義務づけることにした。

これについてはいろいろやった。Audibleでオーディオブックを聴いてみたり、TED系のスピーチを聴いたり、シャドーイングしたりとか。

そんな中、去年の秋口に、長男が英検2級を受けて合格するという出来事があった。英検というのは日本のものだが、ニューヨークにも受験会場があったりするのだ。

それを見て、ちょっと自分でもやってみたくなって、折角なので英検1級を目指してみることにした。英検1級って、米国在住7年の人間でも結構鬼で、何が難しいって、単語がオタッキー過ぎて全然わからない。日常会話ではまず出てこないような単語が頻出して、そもそも意味がわからないのであんまり答えがわからない。というわけで、英検1級というのはほぼほぼ単語力のテストになる。

というわけで、英検1級向けの単語帳を買って、単語を覚えていくことにした。とはいえ貴重な時間を使うわけなので、詰め込み型で英検1級合格を目標にするのではなくって、ちゃんとこれらの単語をマスターして、頭に沁み込ませる、ということを目的にした。ので、この冬にあった英検の試験は時期尚早ということでスキップして、今度の5月のやつを受ける予定だ。

で、英検1級なんてマニアック過ぎて役に立たないよ、みたいなことを言われるが、そんな世評に反して、これは実はとても良かった。前述の通り日常会話では使わない単語が多いのだが、映画とかニュースではたまに英検1級レベルの単語が出てくるので、今まで適当に流していた文脈の解像度が上がっていった

例えば、「マンダロリアン」を見ていたら「decorum」という単語が出てきて、そんな単語日常会話では全然使わないが、英検1級の単語帳で覚えていたので、それが「礼儀正しさ」という意味だということが明確にわかったり。ニュース見てても、ニューヨークタイムズの記事とか読んでても、やはり理解の解像度が上がったようなところがあって、なんか、英語のコンテンツを楽しむ力は上がった感じがする。

そんなこと言いつつ5月の英検落ちるかもしれないので、ドヤりすぎないようにする。

中国語

前々から中国語を勉強したいとは思っていた。数年前、中国で大きな仕事をやりかけたことがありつつ、失敗したというかひどい目にあったことがあって、いつかちゃんと再進出したい、というのがある。

先日もこんな記事を書いたくらいなので、実際海外の人と仕事する上で言葉をしゃべれる必要なんてあんまりないと思っているのは確かだ。

しかし、一方で、相手の言葉をしゃべって理解するということは、もう少し感情的な意味で近いところに行くということではある。つまり、機械翻訳だと仕事はできてしまうが、突っ込んだ人間関係はつくりづらいところもある。

で、自分の場合、自分が60歳なり、年を食ったときのことを考える。自分はテクニカルディレクターという職業の人たちが集まった団体を運営していて、現時点では全然現役だし、60を越えたとしても現役ではいたいが、テクニカルディレクターとしてのピークは過ぎているだろう。プログラマーとしてアプリつくったりとかはしていると思うが、プロジェクトをリードしているのはもっと若い世代になっているはずだ。そうなったときに、自分が恐らくできることはいろいろあって、その1つは年月を積み重ねた上での人脈とか関係をベースにして面白い仕事を若い仲間に持って来ることだろうと思う。

日本という国は、段々と面白いものをつくりづらい国になっていくはずだ。人も減っていくわけだし、実際、海外で暮らしていても日本における仕事の進め方のスピード感の無さというのは、年々実感することが多くなっている。

そうすると、国外にも機会を求めないと、みんなが楽しめる素敵な仕事をつくり続けることはできない。で、仕事を進める際に必要な言語能力と仕事をつくる際に必要な言語能力は結構違って、仕事というのは人間関係でつくっていくようなところは結構あるので、仕事をつくる人というのは相手方の言語で気の利いたコミュニケーションが出来なくてはいけないところがある。

自分が60歳を越えても一線で戦って、仲間に仲間として認めてもらえるだけの働きをするためには、そういった形で貢献をしていくという道があるのではないかとも思っている。60を越えても、お荷物ではなくて、いないと困る人でありたい。

というわけで、中国語を始めた1日50分と決めて、土日も含めて毎日勉強する。いま44歳なので、60歳まで毎日続けたら16年中国語を勉強したことになるので、その頃には還暦トリリンガルと言える程度にはなっているのではないか。そうなることができたら「還暦トリリンガル」という本を、ちくま新書あたりから出したい。

最初の2ヶ月は、Eテレの中国語講座のアーカイブを1年分毎日見て、基本の基本を学んでいく。この時点でもう全然わからなくて心が折れそうになる。発音がとにかくわけわからない。

どうにか2ヶ月で中国語講座レベルの基本を理解するものの、聴いても全く理解はできないし、しゃべることもできない。主要な単語とかは結構覚えたし文法も把握した。

中国語講座と同時進行で始めたのがアメリカだとわりとメジャーな言語学習アプリ、Duolingoだ。noteでもDuolingoの日本法人の方がいろいろ書かれている。アメリカの学校では、長男のスペイン語の授業なんかにも導入されていて、結構メジャーな存在だ。私は英語で中国語を学ぶ、という形にしてみた。

ある種ソシャゲ的にミッションクリア形式で勉強をしていって、1つのセッションを5回繰り返すとコンプリート。やっているうちに単語や文法が少しずつ身に付いていくので楽しい。これは、毎日コツコツやっていって、数ヶ月前の1月26日にフルコンプリートした。Duolingoはコンプリートしてやっと基本が身についているくらいの難易度なので、これでやっと基本が修了、みたいな感覚だと思う。

時間を、Eテレの講座を終えた6月に戻して、じゃあ今度はいよいよしゃべってみるぞ、ということで、オンライン中国語教室を始めることにする。日本語対応のオンライン中国語サービスというのは結構いろいろある。

まず、格安で毎日レッスンが受けられる「CCレッスン」の体験授業を受けてみた。はじめて中国の方に中国語を教わってみてとても新鮮だったのだが、会話の内容がだいたい雑談だったので、恐らくこの感じだと学習にムラが出るだろうなあと思った。学びが多い日もあれば無い日もありそうというか。

次に「ECCオンラインレッスン」の中国語の体験授業を受けた。こっちはすごくちゃんとした教材が用意されていて、カリキュラム通りにきっちり授業が進むので良いっちゃ良いが、きっちり進みすぎてNHKの講座を見ているのとあんまり変わらないかなと思ったのと、あとは月2回で1回25分で8,000円以上という、高めの価格設定なので見送り。

3つ目が「ネトチャイ」。体験レッスンを受けてみると、オリジナル教材もあったりして、カリキュラムもちゃんとしている上に、先生もCCレッスンより「教育体勢」にある感じがして好感が持てた。そして安い。月額9,790円で、毎日25分ずつ授業が受けられる。私は毎日学習するつもりだったので、ここに入会することに決めた。

https://netchai.jp/

入会した6月から10月くらいまでは、何人かの先生を試しつつ、A先生という北京在住の先生が丁寧で良かったので、やがてA先生固定で授業を受けるようになった。A先生の予約が入れられないときは、他の先生に別の教材を使った授業をお願いした。10月に、A先生が突然引退宣言して、退職することになってしまったので、A先生が予約できなかったときに出会った、ものすごく発音にうるさくて全然授業が進まないのが印象的だったB先生に切り替えることにした。単語とか文法とかは徐々に身についていたし、文章を読んだりするのはわりとできるようになっていたので、しゃべるのと聴くのを鍛えたかったので、発音に超うるさいB先生はうってつけだった。

B先生はネトチャイの中でもかなり人気の先生なのでなかなか予約を入れづらいが、結構前から予約してどうにか平日は毎日授業を受けることができている。B先生はもともと湖南省出身だが、結婚して内蒙古のエレンホト(二連浩特)に住んでいるという人で、冬は外がマイナス30度だとか言って愚痴る。毎日ニューヨークから内蒙古のエレンホトにつないで中国語教わってるというのも、すごい時代だなと思う。どこなんだエレンホト。いつかB老師(先生)に対面で御礼を言うことなんてあるんだろうか。

基本的な教材は中国語初学者のスタンダード、「汉语会话301句」上下巻だ。私は6月からの10ヶ月でやっと下巻の後半に差し掛かったくらい。

ネトチャイの授業は1回25分なので、残りの時間は前述のDuolingoをやったり、ジムで有酸素運動をしながら単語やフレーズを覚えたりする。ある程度理解が進むと「カエルライフ」さんがYouTubeで公開しているフレーズ集とかについていけるようになってくるので、それをやっていく。ヒアリング用の練習動画なんかもあって、とてもありがたい。YouTubeに上がっているのはサンプルなので、相性が良さそうなら、サイトからは有料で教材をダウンロードしても良いかと思う。私は単語集とかちょこちょこダウンロードして、シャドーイング(お手本に合わせて発音を繰り返す)に使っている。アクセントの記号も一緒に出るので、発音矯正にも良い。

ある程度中国語を学んでいくと、この言語は一にも二にも発音なのだということがわかってくる。中国の人たちは、たぶんわりと音楽的にお互いの言葉を理解しているのではないかと思う。「声調」といって、4種類の音形を組み合わせて発音するのだが、これが合ってないとあんまりこっちが言っていることをわかってもらえない。逆に、多少なり聴いて理解できるようになると、相手が言っていることの意味を理解するのに、結構この声調を頼りにしていることに気づいたりする。

声調には組み合わせのパターンがあって、それが徐々に身についていくと、発音に超うるさいB先生から注意されることも減ってくる。前述のカエルライフの単語動画は、声調を覚えるのにはとても良いと思う。あとはシャドーイング。英語もそうだが、中国語みたいな「音楽的な言語」というのは、たぶんシャドーイングがとても有効なんだと思われる。

最近はDuolingoもコンプリートしたので、YouTubeに上がっている北京大学の「Learn Chinese」チャンネルの動画でシャドーイングや新しい文法を学んでいる。授業は英語と中国語だけどだいたい中国語で進む。1年もやっていると、HSK4級(国際的な中国語テスト、汉语水平考试の、「ギリ日常会話できる」くらいのレベル)の授業とかはだいたい理解できるようになる気がする。私もここのところHSK4級の授業で勉強している。そのうち自分でもHSKとか中国語検定は受けてみようと思う。

で、1年間続けたら、もともとニューヨークの会社で一緒だったwhatever taipeiのShiny(李心宁)と中国語で話す、という儀式をやってみようと思って、「20分だけ私と中国語をしゃべってくれ」とお願いしてしゃべってもらった。これがそのときの動画。どうにかこうにか、コミュニケーションはできている・・・。が、途中で体力が尽きて雑になってしまった。いつも英語で会話しているのでこれは新鮮だった。Shinyと話すのになんでこんなに緊張するんだ、と思った。これは、毎年レベルアップしたことを証明するための儀式にしていこうと思う。Shinyも筋トレしてるらしい。

何はともあれ、中国語がちょっとばかしわかるようになったのはすごく大きい変化で、最近も仕事で深圳の工場と中国語でやりとりしていたが、DeepLとか使わなくても、先方が言っていることがなんとなくわかるので、なんか今までより心理的な距離が近くなった気がして、実際コミュニケーションもうまく行った。

ピアノ

最後はピアノだ。長男がちょうどコロナ禍の前までピアノを習っていたが、あんまり一生懸命ではなかったので辞めた。ゆえに、電子ピアノが部屋にある。

私は中学の頃、ブラスバンド部に入って以来のトロンボーン吹きだ。中高とブラスバンドをやって、大学からはジャズサークル、社会人になってからもバンドでトロンボーンを吹き続けてきた。

が、このトロンボーンという楽器は、良い楽器なんだけどなかなか辛いものがあって、何がつらいって、一人で吹いていてもあんまり楽しくない、というのがある。自分の場合、一番楽しいのはビッグバンド・ジャズでパートを吹いたりしつつたまにソロを吹くくらいのバランスで、つまり、バンドと一緒に合奏しないと楽しくない部分があるのだ。

なので、ピアノみたいな、ピアノだけで複数音が出せて曲が演奏できてしまうという楽器には憧れというか羨ましさがあった。あと、やはり音楽理論に近いところにある楽器というイメージがある。ピアノを弾けるようになると、もう少し音楽というものを大きな視野で捉えることができて、結果的にトロンボーンも上手になったりしないだろうか、なんて考えた。

マイルス・デイヴィスの名言に「すべて学び、そして忘れろ」というのがある。これは、あらゆるプロフェッショナルな活動に通じる言葉のような気がするが、要するに、学びまくって、学びまくった末に、無意識にできるようになれ、ということで、楽器なんていうものは練習すればするほど神経がつながっていって、指や手や口が勝手に動くようになっていって、感情表現とか、音符以上のところにリソースを割けるようになって、聴ける音楽を奏でられるようになっていくわけで、そういう感覚の話なんじゃないかと思う。

ピアノみたいな楽器を通して、音楽の全体像みたいのを学んで忘れることができたら楽しいだろうなーというのはずっと思っていて、これも1日50分、欠かさず練習することにしてみた。

ピアノというのは、幼少期からやってないとどうにもならなさそうなものの最たるもので、実際私はそれまでほとんどピアノを弾いたことがなかったので、44歳の今からやっても無理じゃないかという話はあるが、たとえば、80歳になったときに、駅とかに置いてある公共ピアノで、かっこいいジャズを演奏することができたら、それは楽しそうだなーと思うし、80歳まで36年もあるので、36年続けたら結構弾けるようになっているのではないかと思われる。

ピアノは、まだ先生にはついていないので、ひたすら自習でやってきている。スケールを練習しつつ、そのうち2-5-1とか、ジャズとかでよく出てくる概念を手のうちに入れつつ、コードの押さえ方、ベースラインの弾き方、アドリブのとり方、なんていう、大学のジャズサークルの1年生がやっていそうなトレーニングメニューをこなしていく。

いくつか参考にしているYouTubeチャンネルがあって、このへんはとても勉強になっている。

最近ではピアノにもDuolingo的なミッションクリア型のアプリがあって、私は「SimplyPiano」で基本をやった。このアプリはすごくって、ピアノから出る音の音程を認識して、正しく音が出せているかを音ゲー的に判定してくれる。太鼓の達人みたいなノリで練習できる

「SimplyPiano」を進めていくうちに、ジャズだけじゃなくって、いわゆるクラシックピアノも結構楽しいことがわかりはじめて、最近はジャズの練習とクラシックの練習を半々くらいにしている。が、何しろゼロから1年間練習しているので、全体的に非常に大したことないレベルではある。すっごい恥ずかしいが、これも中国語同様、毎年の成長を記録すべく、動画にしておく。現段階ではまだ全然観賞用ではなくて、来年以降との比較のための記録用です。

ピアノの練習を毎日続ける上で問題になるのが場所だ。ニューヨークで家にこもっているうちは良いのだが、夏に東京に帰った際などはポータブルピアノをかついで出歩いて練習したり、街の練習スタジオを予約して、どうにか練習したり、なかなか大変だった。

あと2年位でジャムセッションデビューしたい。

伊達男になるために

中学校の頃の文集か何かに、いわゆる「将来の夢」みたいなことを書かされた際、私は「大人になったら『伊達男』になりたい」と書いた。当時の私は「水滸伝」を夢中になって読んでいて、その中に出てくる燕青という人物が、下記のように紹介されていて、すごいかっこよかったのだ。

相撲をやらせたら誰よりも強く、弓の名手でもあるが、色白の肌に見事な刺青をして、歌舞音曲や流行の遊びなどなんにでも通じた伊達男

本来の「伊達」という言葉は、外見ばかりで内実がないようなニュアンスがあるが(「伊達メガネ」とか「伊達じゃない」とか)、当時の私にとっての「伊達男」は、いろんなものに通じて人生を楽しんでいる感じのかっこいい人、ということだった気がする。

英語の勉強がてらオーディオブックで聴いた本で、この本があるのだが、この本はまさに日常的な習慣の力というものを説明した本で、聴きながらいろいろ納得したものだ。

習慣というのは、何かの結果を出すとか何かを得るとかのためにやるんじゃなくって、「どういう人になりたいか」「自分がどういう人であるか」というアイデンティティを定義するためのものなのであって、なりたい自分になるためのものであるから続いていくものである。

みたいなことが言われていて、とても腑に落ちた、というか、中学時代の自分の伊達男願望につながった。

日本語と英語と中国語が話せてトロンボーンとピアノが演奏できる体脂肪率が低い60歳男性(仕事ではプログラミングとかもできる)、となれば、A型の薄毛男性でもそれなりの伊達男ということになるのではないだろうか。

この1年結構楽しかったし、自己肯定感も上がった。ゆえに、どうしてもちょっとした押しつけがましい文章になってしまったが、これから毎年、伊達男への道をこんな形で4月に報告できると良いかなと思う。

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