精神疾患は誰もが持っている
「○○ちゃんはメンヘラ入ってる」「あの人サイコパスだよね」
こういった会話は現代の若者なら一度は誰かしら言ったり聞いたりした事があるのではなかろうか。
というのも、精神疾患がより身近なものとして我々の社会と共に生きねばならない存在になってきたからであろう。
その昔、精神疾患といえば「精神分裂病(schizophrenia)」のことであった(現在の統合失調症である)。名の如く、自分の中の精神が分裂して「知らない誰かが自分をコントロールしている」「ずっと悪口を言われている」「ささいなことで興奮して叫んだり物を破壊する」と言った症状である。無論、正常な人から想像もつかないであろうが、彼らは学校・家庭・職場・社会その他多くの環境から強いストレスを受けた際に身体がSOSを発する方法として上記のような手段をとっていると考えている。歴史のある疾患であるがゆえ、徐々にそのメカニズムも解明され、薬物による治療が可能になった。
だが現代社会において多くの人々を悩ませる精神疾患は上記の限りではない。うつ、双極性障害、ADHD、社交不安障害、パーソナリティ障害など枚挙にいとまがない。原因も不明瞭であり治療が確立されているものも限られている。
そこで、改めて考えてみたい。
「精神面での不調とはどういうことか」
身体の不調であれば「痛い」「血が出ている」など客観的な症状としてSOSが出てくるわけだが、精神疾患はどうだろう。「なんとなく悲しい気がする」「自分がおかしい気がする」といった患者自身が紡ぐ言葉による主観的なSOSでしか測ることが出来ない。そしてその発せられた言葉の捉え方も人それぞれであるがゆえ「気のせいでしょう」「ストレスなんじゃない?」と言って返していく医者もいるのである。
しかし、その医者たちでさえ精神的に不調である事は経験してきているはずである。学生の頃から大量の勉強や試験、病棟実習、国家試験などを経て医者になっているのである。そのプロセスが「全て楽しかった!」と満面の笑みで言う医者は誰一人としていないであろう。現在進行形で経験している身としても、辛さでしかないし、楽しさは全く見出せていない。いくつもの試練を乗り越えた先に医者になれるわけだが、超えた先にも困難はたくさんある。寝れるかわからない夜間当直、患者からのクレーム、カンファレンスでの論争など考えたらキリがない。ゆえに医療従事者の精神疾患率は高いというデータもあるわけである。
私自身、精神疾患を勉強していく中で「これって自分のことだ」「あー今自分のことを言われている」と何度も思った。元来センシティブで真面目な性格だからそう思っているだけかと思ったが、級友たち先輩たちもみな口を揃えて「あーあー言う時ってあるよねー」「精神科は自分のこと言われてるってなるよー笑」と言うのである。面白いことに、普段は朗らかでなんの悩みも抱えていなさそうな子ですら「私もああいう時ある」と言っていたのである。
その時私は思った。
『精神疾患は誰もが持っているものではなかろうか』
極端な話、昨日は調子が良かったのに今日は調子悪い、なんとなく優れない。それですら精神疾患の一部なのである。
「疾患を持つ」という表現は全か無かを表しているようであまり好きではない表現なのだが、これを「スケール」として考えると如何だろうか。
0を最悪、10を最高としたときに、「今日のメンタルは9だな」「今日は5くらいかも…」
さらに直線のみならず立体的にも考えてみると如何か。「いま私の中の怒りは後ろにいる。だから抑えられている」「あの人の言葉に傷ついた。悲しみが前に出てきた。」
このように精神活動を3次元的に構築し、「疾患」ではなく「状態」としてとらえていくと、普段精神疾患とは無縁だと考えている人でもハッとするのではないだろうか。
疾患を持っているか否かではなく、「精神のスケールのうち、今どこにいるか?」という概念が当たり前になれば、世の精神疾患への捉え方は劇的に変わるのではないだろうか。前述のスケールにおいて、2や3が続くようであれば病院に相談するなどして落ち込み続ける事を防げるのではないだろうか。そしてそれがうつ病などとして発見される前にカウンセリングを受けたり仕事や学校との向き合いを変えていくことができるのではないだろうか。
この国が精神疾患へのアクセスを狭めようとしている原因として「心の弱さは甘え」「我慢が美徳」「辛い思いをして耐える」という考えが根強く残っているからではなかろうか。遡るとそれは第二次世界大戦を経験しており、辛く苦しい思いをすればいつか勝てるからという考えが今も根強く残っている事が一因と言える。
この国は二度と戦争をしないということになったわけだが、この75年の歴史で「生きるために我慢する」という刷り込みがなくなったのである。現代は我慢をしなくても生きれる。辛さに無理してまで耐えなくてもよい。武器を捨てた人間は理性による戦いを選んだわけだから、その理性を保つために様々な葛藤や苦悩が生まれるのは当たり前ではなかろうか。その忌まわしき呪縛から解放された世の中でもまだ「精神疾患は心の甘え」と考える人が多いのは大変遺憾である。
私は精神疾患は誰の心にも存在しているものだと考えている。絶対的なものではなく、相対的なものであり、特定の条件で出現したり、ある状況を回避すると消えたりするのである。人それぞれ姿形が違うように、精神状態も全く異なっている。何事においても完璧な人間はこの世にいないように、精神疾患を全く持っていないという人はこの世にいないと考える。既存の概念を変えていけば、より多くの悩める人たちが気軽に精神科へアクセスできるようになるのではないだろうか。
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