継続の絶対性と瞬間の絶対性
未来のためにできること…
できることとは誰にとってのできること?
知り合い?それとも自分?もしくは社会と呼ばれる見えないけれど大きな存在にとって?
小難しいことを一生懸命考えても、きっと明日には忘れてしまうんだろうな…
でも、メモがわりに書いておこう。
この9月でくも膜下出血で倒れてから丸9年になる。長かった様な短かった様な…
気がついたら高次脳機能障害と呼ばれる障害を負ってしまった。高次脳機能障害の症状は多岐に渡っていて、一人一人違う。でも、そもそもの人格が違うから違って当たり前だ。
私の場合は記憶する事が苦手になってしまった。
どこで何をして、誰に会って、何を食べて、どうだったか…
それら全てが記憶として残らなかった。
2015年の1月に巨大未破裂脳動脈瘤が見つかり、破裂予防の為の血管内手術をしている時に破裂してしまったらしい。手術した急性期病院には2ヶ月入院していたらしいけれど、その時の記憶は一切ない。
その後、リハビリ病院に4ヶ月入院をしていたらしいけれど、その時の記憶もほぼない。覚えているのは病院のスタッフの顔で、しかも男性が一人だけ…
入院中に病院から脱走してしまったことや、毎食をiPhoneで撮影していたこと、料理するリハビリ等、全て何も覚えていない。それでも写真として残っていて、その時自分が生きていた事を証明してくれている。
タイトルの「継続の絶対性と瞬間の絶対性」とは、画家だった私の祖父と写真家だった父の作品造りに対する取り組む姿勢を表した言葉だ。
絵は描き始めた時の思想・心情を描き上がる時まで保たなければならなかったらしい。一方写真は、シャッターを切る瞬間に全てが凝縮されていなければならなかったらしい。今でこそ写真はデジタル化されて撮って直ぐに答えが分かるが、昔はフィルムだったから現像から上がってこなければ答えは分からない。
そのあたりの違いから、私の祖父は写真を嫌っていたらしい。
話しが芸術論になってしまいそうなので、本題の「未来のためにできること」に戻そう。
今の私にとって「未来のためにできること」は、もっと高次脳機能障害と呼ばれる障害を世の中に伝えていく事だと考えている。
誰にでも起こり得る障害で、その当事者数は増え続けている。そういった障害がある事を知ることにより、早くからのリハビリが可能となり、予後に良いと思っている。
1000文字だけではきびしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?