世の中の"物書き"に愛をこめて
"物書き"へのリスペクトが止まりません。
と、辞書にはこのように記載されているのですが、
私はもう少し広い解釈で、「文章を用いて何かを表現したり、何かを伝えたりする人たちのこと」と捉えています。
なので小説家、評論家、エッセイスト、コラムニスト、記者、といった方々はもちろんのこと、このnoteという世界で記事を書いていらっしゃる方々も"物書き"にあたると考えています。
さて、かくいう私もこの記事を以て、晴れて"物書き"への仲間入りを果たすことになるわけですが、
noteという媒体の存在を知って自分も発信していきたいと思ってから、実際にこの記事を投稿するまでに数か月かかりました。
どんな内容を発信するべきなのか、何に需要があるのか、記事の質はどうか、言葉の使い方は正しいか、などなど、本当に色んなことに頭を悩ませていたわけなんですが、二の足を踏んでいた理由を正直に言いますと、
めちゃくちゃびびってました。
はい、ひよってたんです。
自分が書いた文章を発信するってこんなに怖いんですね。
これまでnote内でもたくさんの素敵な記事を読んできました。
中身が素晴らしいこともそうですが、まずそもそも「投稿する」という行為が尊いものなんだなと、発信する側になってようやく実感しました。
私は年間1,000時間以上を読書に捧げるほど本が好きで、本さえあれば、待ち合わせの相手が何時間遅れてこようが一向に構わない人間なんですが、
それだけ本を読んでいても、物書きが抱いている「自分の文章を世に出す恐怖」みたいなものに考えが至ったことはありませんでした。
「あの作家の作品は全体的にオモシロイけど、これはイマイチ」とか、
「この小説家はこういったところの描写がスゴイ」とか、
批評家ぶって好き勝手に"物書きさんたち"を評価してきたわけですが、
いざ自分の文章がこき下ろされるかもしれないという立場に立つことを考えると、やっぱり萎縮してしまってました。
もちろん色んな考え方があるとは思いますが、そもそも文章を書くことってすごく難しくてエネルギーが必要なことなんじゃないかなと思ってます。
言葉一つ一つの選び方、言葉の響き、その言葉が含むニュアンス、語呂、文章のリズム感、文法の正しさ、などなど、もちろん他にも上げるとキリがないくらいたくさんの要素が存在しているんだろうと素人ながらに感じています。
それらを緻密に組み立てて文章を生成していくわけで、
それだけでもすごいことなのに、それを世に出すという勇気には敬意を表さずにはいられません。
今後、このnoteを通じて様々なことを発信していく予定ですが、
世の中の全ての"物書き"に敬意を表しつつ、愛をこめて書いていきたいと思う今日この頃です。
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