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SNSは「反応しない人」が多数派

遅ればせながら明けましておめでとうございます。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。

一発目は何を書こうかなーと色々と考えていたときに、朝井リョウさんの『スター』という小説を読みました。朝井リョウさんの小説は、現代社会のリアルな光と闇に巧みに切り込んで、それぞれの境遇で生きている人たちの葛藤や声にならない心の叫びを、これでもかというくらい的確な表現で言語化してくれます。

登場人物がたまに自分と重なることがあるのですが、「なんかモヤモヤするんだけどうまく言葉にできない」という心情や想いを、スルスルと紐を解くように的確に表現してくれたときの快感はやみつきになります。

あるテーマについて体系的に学ぶよりも、朝井リョウさんの小説を読むことの方がよっぽど学びが深いと感じることもしばしばです。昨年出版された『正欲』も、「多様性について理解したいなら、とにかくこれを一冊読んで!」と言いたくなるほど多様性について考えさせられる作品でした。

「スター」という小説は、SNSの普及で誰もが発信者となった時代に生きる我々が直面する現実や、止めることのできない世の中の潮流、それが与える人生への影響、変わりゆく感性や価値観など、さまざまな観点からまさに現代の"光と歪み"を問うような内容になっています。

SNSを頻繁に使う人もそうでない人でも、これを読むとSNS含め情報の発信の仕方や受け取り方、自分自身の価値観について深く考えさせられるのではないかなと思うので、興味のある方はぜひ読んでみてください。


で、前置き長くなりましたが、今回は朝井リョウさんの『スター』を読んで、SNSとの向き合い方を改めて問われたときに感じた、私なりの大事な考え方について書いてみたいと思います。

いきなり結論ですが、SNSと付き合うとき大事になってくる考え方は、
SNSにおいては『反応しない人』が圧倒的多数派だと認識しておく」ということなんじゃないかなと思います。


そもそもですが、Xやインスタ、YouTube、noteなどの各種SNSは、フォロワー数やイイね数、コメントの多寡、拡散具合などで評価されるようなプラットフォームになっています。

ここについて、発信している内容の”質”が問われているかと言うと必ずしもそうとは言えません。フォロワーが数万、数十万といる人が社会的影響力を持っていることは間違いありませんが、その人が発信する内容が質としてとても高いもので、正しい情報を発信しているかどうか、というのはまた別の話です。

間違っても、「バズっているから質が高いものだ」「いいねがたくさん付いているから正しい」なんてことはありません。

実際SNSでバズった商品などを購入してみた結果、実際に使ってみると「あれ?」ってなる、という経験をしたことがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

質や正確性に関して、
【発信者という”器”の影響力 = 発信されたものの”中身”】
と紐づけてはいけないということですね。


有難いことに私のnoteのフォロワーさんも1400を超え、自分が書いた記事が多くの方の目に触れていることに感謝と責任感を持ってやっていますが、フォロワーが1,000人以上いるからと言って、例えばフォロワーが20人くらいの人が発信している記事より自分の記事の方が優れていると思っているかというと、もちろんそんなことはありません。

いいねが1つもついてない記事でも、たまたま目に触れた記事で「めちゃくちゃおもろいやん!」ってなることもしばしばです。(だからnoteって面白いんですよね。)

SNSにおいてフォロワーの数やいいね、コメントの多寡、拡散具合などは、必ずしも"中身の質"とは直結しません。

というのも、「イイね」など"良い"リアクションでも、誹謗中傷など"悪い"リアクションでも、リアクションをする人は全体のごく一部に過ぎません。発信された情報には触れるけど、「目に見える形では何も反応しない」という人の方が圧倒的に多数派なわけです。

私をフォローしてくれてる方は倫理観があって優しい方ばかりだからか、今までnoteで誹謗中傷を受けたことはこれまで一度もありませんが、計量経済学を専門としている経済学者の山口真一の研究によると、世のクリエイターの4人に1人は誹謗中傷を受けたことがある一方で、ネガティブな情報を書き込んで誹謗中傷する人は、ユーザー全体の0.00025%しかいないとのことです。つまり誹謗中傷する人はほとんど固定化していて、彼ら彼女らが無差別的に誹謗中傷を繰り返しているということです。(わが国における誹謗中傷の実態調査:http://www.innovation-nippon.jp/reports/2022IN_report_hibou_full.pdf

もちろん誹謗中傷以外の肯定的なリアクションをする人も含めるとアクティブユーザーはグッと増えるわけですが、それでも全体から見るとかなり少数派であることに変わりはないでしょう。もちろん誹謗中傷を受けたら傷つきますし、嫌な気持ちになります。逆に肯定的なリアクションは嬉しいし、励みになったりします。

ただ、それはあくまでほんの一部の人の評価にしか過ぎないということです。そこに一喜一憂する必要はないということですね。

詰まるところ何が言いたいかというと、
発信者側に回るのであれば、たとえ誹謗中傷が来たとしてもそれはほんの一部の人の意見にしか過ぎないのだから、それでそこまで傷つく必要はないし、たとえ"イイね"が全然付かなくても「自分が発信してるものは質の低いつまらないものなんだ」なんて思い込まなくていいということです。

逆に受信者側に回るのであれば「否定的なコメントがたくさんついてるからダメなものなんだ」「バズってるからいいものなんだ」と短絡的に判断するのではなく、しっかりと自分の感性や確固たる判断軸で判断していくべきなのではないでしょうか。


下記は『スター』のなかで、質の高い本物の映画製作にこだわりたい主人公が、質が低くてもSNSでバズれば作品が評価される世の中に対して葛藤するシーンでの、浅沼先輩の一言。

「今ではもう常識っぽくなっちゃったけど、登録者とかフォロワーがある程度いればあなたの投稿に広告つくようになりますよーって仕組み、とんでもなくない?いくら老害とか古いとか言われようと、私はずっと気持ち悪い。だって、影響力があるとか有名だとかっていうのはあくまで”状態”なわけ。中身じゃない。再生回数が多いっていうのはその人の状態で、大切なのはどんな中身が再生されているか、でしょう。」

朝井リョウ,『スター』,朝日新聞出版,2023年


誰でも発信することができ、誰でも誰かのスターになれる時代だからこそ、発信する中身にこだわる姿勢と、”状態”ではなく中身で判断する審美眼を養っていきたいものですね。



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