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清潔な言葉への嫌悪感
いつものように昼の二時過ぎに起床した。
ベランダに出ると、これまたいつものように秋晴れの空が広がっていた。飼い猫と共にしばし日光浴をする。
そして出来得る限りの家事を済ませ、家を出て今日もnoteに書くためのネタ探しを始める。
なんと安定したルーチンであろうか。おおよそ無理したところが一切省かれた生活である。
近場にあるフリーwifi完備のフードコートに腰掛け、やおらPCを開く。
noteにアクセス。すると、トップページ上に、いくつか定期で開催されていると思われる様々なコンテストが目に飛び込んでくる。以下のようなものである。
等々。そこに掲載されている記事を何稿か見てみると、なんともnoteらしい清潔で感動的な文章が連なっていることであろうか。もちろんその中のいくつかはそうではなかったけれど、全体としてどことなく空虚な感じがした。
もちろん、文章には好みがあるし、いくらインターネット上と言っても、今は昔とは違い、公共性が求められるものだから、清潔で平易な文章構成が今のnote界隈では最も無理なく受け入れられるのであろうことは理解している。
しかし、なんとも引き付けられる気がしないのだ。その清潔な言葉に。
私は自分を棚に上げて批判したい。
もっと苦しんでいる人の、生き血で書いたような言葉が見たい。地獄の底から響いてくる低いうめき声のような言葉が見たい。
我々はいずれ死ぬのだから、もっと不幸でいいはずである。もっと不幸を嘆いていいはずである。
それでも、嘆きのような言葉を目にする機会はとても少ない。まるで、現実を生きているかのように、「やさしさ」と「清潔さ」の原理がインターネット上でも言葉を支配している。
ああ、完全に頭がおかしなやつの言い草だ。書いていて眩暈がしてきた。なんだか最近とても気分がよろしくない。優れない。
こんな気持ち、誰がわかってくれるのだろうか?
・・・
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