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餅は餅屋であってくれ…

感染症専門家の岩田氏の苦言とやらがAERAに掲載されたようです。

こちら読んでおりますと、岩田さんの後出しジャンケンでしかないという印象が拭えません。

結果論でありますし、酷い言い方ですが、彼ではなくともこれらのコメントは出来ますよね。

では感染症専門家ならではのコメントがこの記事のなかにあるか?というと、そのようなこともないです。

これを取材し、記事として掲載したAERAもこの程度で読者を満足させられると考えたことが残念でならないです。

もしかすると、岩田さんも「AERAならこのくらいのことで良かろう」と高を括ったのかもしれないですが…。

いずれにせよ、岩田・AERA双方ともに自らの株を上げることには繋がらず、その逆の効果となったに違いないと思います。

岩田氏は、専門外の著書も多く名の知れた方でありますが、私が以前読んだ『1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方(光文社新書)』では極端な解釈をしていることが気になったことがありました。

落語が好きだというくだりで「圓生・志ん生・志ん朝で耳が肥えていたので寄席に行っても楽しめなかった」など古典落語の名人を挙げ、落語は彼らを聴くに限る。とおっしゃっているのです。

往時の名人の高座が素晴らしいのは確かですが、落語はナマで聴いてこその良さがありますので、そこでの愉しみを体験しきれていないことを大変残念に思いました。

現代でも落語協会、芸術協会、立川流などに実力派の噺家は大勢居ますし、彼らは伝統芸能を引き継ぎ盛り上げようと意気込んでいます。

おそらくその辺りの噺家を聴かずして結論を出されたのでしょう。

落語が好きだと公言するのならば、過去の名人で留まっているのでなく、伝統芸能を育て盛り上げようという思いで寄席に通ったり、新しいCDを聴くなどして、新たな名人(候補)を探し出すくらいの行動があって欲しいものです。それでいて結果的に「志ん生じゃないとダメ」というなら仕方がありませんが…

クルーズ船の時もメディアに出て色々騒ぎ立てましたが、研究者といいながらもリサーチやリアルタイムでの行動が十分に出来ていないので、彼の言動に触れても結局、なんだか「どっちらけ」になってしまいます。

今回の記事でも「第4波が来るのがわかっていた」なんて言うのでなく、ならば年末段階で貴方は何かトライなさったんですか?専門家なら助言なり行動なさって下さいよ、と申したいのが私の切なる想いでした。

私はただ彼を否定したいのではなく、研究者然とした行動を期待したいのです。

「餅は餅屋」として、感染症専門家であるのならば、今般の感染症が終息することに向けて、少しでもタメになる言動を行っていただきたいと思います。

一方でメディアはメディアで、専門家という肩書の方から取材出来たと慢心するのでなく、その言説の内容をしっかりと判別して流布するように「正しく見る目」を養って頂きたいと思います。

まぁ、最終的には見るものも読むものも我々が判断するだけのことですが、玉石混交のなかのくだらない石に惑わされるほどの馬鹿ではございませんよ、国民は。

もう1年以上諸々を我慢して過ごしているので、目も耳も相当鍛えられているんですから。

両氏にはどうか我々を見返して欲しいものです。


おしまい

最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは麦チョコ研究助成金として大切に使用させて戴きたいと思います。