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池袋に見つけたオアシス

自分の理想のお店を持ってみたい。

そんな夢を誰しも一度くらいは持ったことがあるのではないだろうか。上品で落ち着いた雰囲気の店内に、好きな家具だけをそろえて、売り物は……海外のお洒落な雑貨でもいいしお洋服でもいいし、お菓子を売っても良い。パンとかチーズとかワインなんかでもいい。

とにかく自分好みにデザインした、その場にいるだけで幸せになれるような、そんなお店を。

全ての人にその良さがわかってもらえなくても良くて、でも誰かにとってお気に入りの場所で、憩いの場で、帰る場所になるような、そんなお店を持てたらいいなぁと小さい頃思い描いた妄想をたまに思い返す。

実際にはそんな状態でお店は経営できないだろうし、そんな簡単にお客さんが来てくれることもないだろうし、きっとお店をつぶしてしまうだろうことはカフェでバイトしているのでわかってはいるけど。

あるいは、そんなお店に僕が出会いたいだけなのかもしれない。

大学4年生の今、授業数は減り、大学に行く用事もなければ人と会うことも少なくなった。たまに大学に行けば、周辺に立ち並ぶビルが冬空を背景に寒々しく映ていて物寂しく感じる。かろうじてアルバイトがあるのでまだましかもしれないが、なんだか味気ない時間だけが体を突き抜けて過ぎ去っていくようだ。

前回のnoteでは忙しくてどうしようもないみたいなことを書いていたくせに、1週間で退屈な日常に変貌しようとしていた。

そんな社会にもまだ出ていない大学生の、ちょっとした寂しさを汲んでくれるお店を欲しているのかもしれない。
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今朝、目が覚めたら空がだいぶ明るかった。時計を見ると、針は12時を過ぎていた。

彩りの乏しい日常に囲まれているとはいえ、流石に今ある大切な時間をいたずらにむさぼるのはもったいない気がした。このまま悠々自適に自堕落な生活を送っても悪くはない。が、せっかく時間がある。もう少し有意義に、若者らしい華やかな生き方をしても良いのではないだろうか。

寝床から抜け出して洗面所で顔を洗った後、朝食をとった。やりたいことを一つやろうと決心し、洋服に着替えて家を出た。

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東京は池袋に、梟書茶房という一風変わった喫茶店がある。Esola池袋4階のワンフロアを占める大きなブックカフェだ。

老舗ホテルのフロントを思わせるアンティークな店内に、「かもめブックス」代表の柳下さんが選んだ1000冊以上の本や雑誌が並んでいる。珈琲や食事はドトールがプロデュースしているという。

エントランス周辺はずらりと本が並んでいて、豪邸の一角にある書斎のような空間が広がっている。面白いのが、そこにおいてある約2000冊の本はすべてタイトルが隠されていて、選者の紹介文だけが書かれている。装丁も題名も隠された本を買うための唯一の手掛かりとなっていて、手に取ったときのインスピレーションのみが購入の決め手となる。

最近は題名にとにかくインパクトを与えて興味を引こうとする書籍が多く、「最強の~」「知らないと損する~」なんて枕詞の付いた本が大量に出回っている。そんな中、視覚情報を全て遮断した本を揃えるなんて、なかなか挑戦的な試みだ。面白い。

商業的だけど、コンセプトがお洒落で落ち着いた空間にデザインされている。ガツガツしていなくて心地よい。


空間の彩りを際立たせているのが、様々な所に散りばめられた言葉だと思う。詩のような洗練された言葉とリズムの良さが読んでいて心地よい。

例えばお店の紹介文。

砂山は、小さな小さな砂粒からできています。もしも、気まぐれに、そこから数粒の砂を除いても、砂山は変わらず、砂山のままに見えますね。
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さてその行為を、何度も繰り返したらどうなるでしょうか。最後に一粒だけの砂が残されているときに、我々はそれを「砂山」と呼べるのでしょうか。
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いえ、まさか。それは砂山ではありませんね。ではでは、砂粒が何粒だったら、それを砂山と思えるのでしょうか?砂山が砂山に見えるための最小の砂粒の数が、どこかに存在するのでしょうか?
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この設問は「砂山問題」と呼ばれ、論理・哲学などを考えるときに引き合いに出されます。概念を構成する最小単位を考えるのは、とても興味深いことです。
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梟書茶房を作った二人は奇矯です。菅野眞博は「珈琲」を、柳下恭平は「本」を、それぞれに偏愛し、彼らは人生という砂山から、それらが取り去られれば、どれだけ大量の砂粒が残っていても、それらを人生とは呼びません。
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その偏愛の二人がであり、本と珈琲の魅力を伝えようとして作ったお店が梟書茶房です。ここは、書房でしょうか、茶房でしょうか。融合したそれらを、彼らは「書茶房」と呼びました。(引用:公式HP)

品の良さだけでなく、読み終えた時の、ちょっとホッとするような安心感。知らず知らず飲まれてしまう世の中の激しい潮流から、フッと外れたところに運んでくれるような不思議な働きがある。


店内はフォトジェニックなカフェとして認知されているからか、多くの人で賑わっている。生活感の或るアットホームな空間とは言い難い。家のような、帰る場所というには少し違う気がする。

けれど、とても心地よい空間だった。それを説明するに足る十分な証拠を提示するのは難しい。実存する物理的な場所というよりは、精神的なもので概念的なものなのかもしれない。辻村深月の物語に出てくる、鏡の中の世界のようなものだ。

自分好みでホッと安心できる、素敵な書茶房だった。

#日記 #エッセイ #池袋 #梟書茶房 #大学生 #とは

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