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奈良出張記(5)

北岡 裕

 かつて浅草橋にサンムーンという冷麺の美味しい店があった。平壌の高麗ホテル直伝の味といわれていて、実際に食べると確かに平壌の記憶が蘇った。

 申し訳ないことにこの店は焼肉メインの店だったのだが、焼肉は高いので冷麺ばかり頼んでいた。肉を食べたことはほとんどなかった。
 そんなある日のこと。朝鮮新報の仲のいい記者から「サンムーン潰れたかも!」と連絡があった。食べログを慌てて見たら閉店の文字。にっくきコロナは、冷麺の名店をも奪ったのだ。
 
 西の横綱は神戸にいる。新長田にある「元祖平壌冷麺店」。実は冷麺は平壌の料理。そして夏の料理ではなく冬の料理。オンドル(床暖房)が効いた部屋ですするのが本来なのだが、やっぱり涼しい料理は暑い季節に食べたい。夏の方が売り上げがいいそうである。

 新長田周辺に兄弟が開いている店がいくつかある。平壌というのはここにもかかっていて、実はみなさん在日コリアンでは珍しい平壌出身。在日コリアンの人たちの多くは朝鮮半島南部や済州島の出身で平壌出身は珍しい。

 微妙に店ごとに味は違うそうだが、ここの冷麺は本当に美味しい。スープは水キムチのスープを使っている。ちょっと酸っぱいのだが気にならない。普段ぼくは、ラーメンでもうどんでもスープはほぼ飲まない。だがこの店だけは、完全に飲み干す。

 在日朝鮮人社会でもこの店の存在は際立っていて、神戸の…、冷麺が…といっただけで話が通じる。

 ここの冷麺と焼肉を食べるのが実にいい。〆の冷麺ということばに、ぼくは反駁したい。いやいや冷麺って主役ですよ。主役なのです。そのわけがこの店に行けばわかる。

 京都の四条烏丸から阪急に乗り十三。三宮で降りて新長田。新長田の風景は奇妙だ。建物に新旧がない。震災の影響は既にないように見えて、独特な残像が街中に映し出されている。

 出張を終えてカジュアルな服に着替えて、もうすっかり真夏の空気の新長田で冷麺を食べた。数年ぶりのこと。

 歳を重ねて旅の意味が変わってきた。初めての街を訪ねるのも旅だけど、何度もひとつの街に通い、居場所を作るのもまた旅だと。

■ 北のHow to その151
 冷麺は冬の食べ物なのです。暑い時期の食べ物に見えて実は違います。このお店の麺は注文を受けてからうつ。うちたてです。実にぜいたくです。でもそこまで高くない。お勧めです。

 

 

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北岡 裕

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北岡 裕
著述業。東京在住。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。2003年から5回訪朝。一般社団法人内外情勢調査会での講師。週刊金曜日、週刊SPA!朝鮮新報など日本、在日メディアで数多く執筆。現地での実体験をもとに、新たな日朝関係の可能性について発信しています。