祖父のはなし。
私に読書を教えてくれた祖父が死んだ。
いつ腑に落ちるかはわからないけれど、死んだらしい。いろいろあり、怪我をしてから、どんどんと弱っていく様子だったけれど。とはいえ、つい1ヶ月ほど前は、農業で鍛えた強靭なその右手で、私の右手を握りしめていた。
脳の損傷が大きかったので、記憶は錯綜していたし、次第に応答すらできなくなっていったので、
私の手を握る彼の思うところは、私からは何一つ読み取れはしなかったけど、
それでも、強く握る右手から祖父は生きていると実感した。
頑固で、意思が強く、とても厳しい人だった。言葉が口から出にくくなってもなお、やはり彼は頑固だった。嫌なものは嫌だ、と表現していた。
そして、いつまでも学びを怠らない人だった。昔のことから今のことまで、多くのことをよくよく知っていた。
と、ここまで書いたのが、その当日。
その日から数日経った今、私は少し違う気持ちでいる。
祖父がいないということが腑に落ちた。というよりは、祖父はずっとみんなの中にいる、と思えるようになった。そんな気がする。
数日間で、たくさんの人が挨拶に来てくれた。たくさんの人が祖父を見て、涙した。聞こえてくる限りでは、誰から見ても厳しい人だった。と同時に、誰から見てもおそらく誠実で温かな人だった。少なくとも私はそう感じた。
祖父からは、なにかにつけて、つべこべと口出しをされたが、
その分、いろんなところで思い出すことができる。
「菜箸を出さないと怒られるなあ〜」とか、「床に物置いたら怒られるなあ〜」とか。考えてみると、怒られることばかりだ。絶対的地位にあった祖父だったのに、私が大声で反発し、親戚がみな、シンとしたこともあった。
祖父から季節ごとに届くお便りはもう来ない。
祖父に話しかけることはもうできない。
祖父の作るお米や野菜はもうない。
自然な月日の流れの中にあった祖父の愛を今になって感じる。
気づくのが遅かったなあ、と思わないのが不思議なもので、大切なことを教えてくれていたんだなあ、としみじみと思える。
少し遠くへ行ったじいちゃん、
私が気づかぬ間にたくさんのことを教えてもらっていたようです。
これからも厳しく、頑固でいてください。時に私も言い返しますから、倍の力で言い返してください。
また会える時までに、もっと立派な人間になっておくね。孫より。
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