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幸せの定義

友人の猫が、逃げ出した。

我が家にも2匹、猫がおり、そのうち1匹は、時々脱走を試みるお転婆ガール。ゆえに、決して他人事ではない。

さらに、今回逃げ出した友人の猫は、私も何度かペットシッターとして関わっており、かわいい甥っ子みたいな存在でもある。

そして、今回の逃亡劇は、友人の旅行中に起きた出来事であり、逃げ出したのは、彼(キジトラ・4才・♂)の住み慣れた家からではなく、預けられた先の家からだった。
そんな状況を考えると、そもそも、どこの誰とも知らない他人の家で何日も過ごすことは、彼にとってはそれなりにストレスフルだったのかもしれない、と、ちょっと切ない部分もあり。
私がペットシッターを申し出ればよかったのかもなぁ、という思いも、一瞬頭を掠める。

そんなこんなで、何か私にできることはないだろうかと、チラシを作って近所に掲示をお願いしたり、猫が隠れているであろうあたりを友人と一緒に探し回ったり、SNSで情報拡散を呼びかけたり、時間が許す限り、彼をなんとか見つけ出そうと協力しているわけなのだが、そんな最中にふと、こんな思いが湧いてきたのだ。

彼にとって、家に帰ることが、本当に幸せなことなのだろうか。

寒くて震えてやしないだろうか。
お腹を空かせて、どこかで倒れてはいないだろうか。
他の猫と喧嘩をして、大きな怪我を負ってはいないだろうか。

飼い主の頭の中には、不安と心配が渦巻く。
なんとか彼を自分の家へと連れ戻し、暖かい環境と、十分なごはんを用意して、彼をこの腕の中に抱きしめることが、彼にとって最高に幸せな猫生であるはずだ、と思って疑わない飼い主。

けれど、本当にそうなのだろうか。
最初は慣れない環境に戸惑い、餌も十分に食べられず、おなかをすかせているかもしれない。

でも、ふと彼の立場に思いを馳せると。

肉球に初めて感じる、土や草、アスファルトの感触。
人工的なエアコンの風とは全然違う、大地を吹き抜ける、生きた風の匂い。
見たことのない、未知なる生き物たちとの出会い。
そして、壁のない、どこへでも好きなところに行ける、自由な世界。

そもそも彼らの祖先は、そんな大自然の中で生き、天寿を全うしてきた生き物。
彼らのDNAの奥深くには、自然の中で生き抜く術がきちんと刻まれており、然るべき環境に置かれれば、自ずと生きるためのスイッチが入るよう、設計されているのではないか。

そんなことを考えると、2LDKの小さな世界に連れ戻すことが、彼にとって本当に幸せなことなのかと、ちょっと考えてしまうのだ。

それこそ、勝手に彼らの幸せを定義し、決めつける人間のエゴなのではないだろうか、と。

実際問題、逃げ出した猫を放置することは、飼い主の倫理感が問われる問題であり、動物愛護の精神からしても、社会的にも許されないことであるのは、間違いない。

それでも、そんな風に思ってしまうのは、組織を飛び出して、自由だけれど自己責任の世界へ飛び込んだ自分とも、どこかで重なってしまうからなのかもしれない。

今夜も、私と友人は、逃げ出した場所の近くで、彼の大好きな餌を用意し、息を潜め、彼の気配を感じようと五感を研ぎ澄ませていた。
かすかに聞こえる猫の鳴き声と、茂みの中を移動する何かの物音に一喜一憂する。
今夜は、すぐ近くに何かの気配を感じながらも、その正体が彼なのか、ついに確かめることはできなかった。

もう放っておいてよ。
僕は今、自由な世界を満喫しているのだから。
悪いけど、そっちへは戻りたくないんだ。

そんな声が、なんとなく聞こえたような気がした。
しかしそれもまた、人間のエゴが生み出す幻想に過ぎないのかもしれない。

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