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13 ポジティブ日記① 夫に抱く負の感情を帳消しにするために

 夫の不機嫌以外は、家族としてうまくやっていけていました。子どももいるし、別れるという選択肢は一ミリも思いつきませんでした。ただ、一生添い遂げるために、どうすれば家族円満に毎日過ごせるかということをひたすら意識して生活しました。そこで思いついたのが日記です。記念日とか、お出かけしたとか、友人が訪ねてきたとか、楽しいことやいいことがあったときだけ、日記をつけるのです。いいことだけ書き留めて、繰り返し思い出していけば、感謝の気持ちで毎日を過ごせる、夫への不満も気にならなくなる、と思ったのです。ちなみに、1冊終わらせるのに3年かかりました。

日記概要

 念願の結婚式を済ませ、多くの人に祝福された。本当に夢みたいな一日。大好きな人と念願の結婚ができて、赤ちゃんも授かって、仕事も決まった。この私が。信じられないくらい幸せだった。日々大きくなる胎動。
「ねぇねぇ、いま動いたよ!ほら、ここ」
「…どこ?わからん」
「止まっちゃった。また動いたら教えるね」
「うん。じゃあ後で教えてね」
胎動はタイミングがあるから、夫がいるときに伝えるのはなかなか難しかったが、それでも夫婦になっていくこと、家族になっていくことの変化を実感していた。


そしてかわいい娘が生まれた。夫が、ちゃんと子供に愛情をもってくれるのか、ちゃんと父親になってくれるのか、様々な心配をしていたが、生まれたばかりのわが子を抱く姿はすでに父親の顔だった。嬉しそうに愛おしそうに娘を抱っこし、目に涙を浮かべていた。

退院後は、親子3人の生活が始まった。日に日に成長していく娘。子どもがこんなにかわいいなんて知らなかった。娘が1歳になるまでは、私の仕事はお休み。妻であり母である自分を楽しんだ。育児は試行錯誤の連続だったが、特に大きなトラブルもなく、すくすくと娘は成長した。お宮参りには両家を呼んでお祝いをした。記念日や誕生日のお祝いの度にこうして両家で集まって、みんなで家族になっていくのだ。仕事を頑張る夫。家で過ごすのが楽しいわたし。義家族とも良好。毎日かわいくなっていく娘。順風満帆だった。
 
娘はすくすくと育ってくれた。少しずつしゃべるようになり、ますますかわいくなった。ベビーカーに娘を乗せ、毎日いろんなところにお出かけをした。近所の水族館とか、ショッピングモールとか、海岸とか。

毎朝、夫が出社した後の2時間くらいで掃除洗濯夕ご飯の下ごしらえを終わらせ、お出かけの準備をする。午前中は娘の機嫌がよく、泣いて抱っこすることもほぼない。夫が仕事から帰ってくるまでの自由時間。自由と言っても、小さな娘のお世話で思うようにはいかないのだが、それでも、お出かけできたりカフェに行ったりできるということが幸せだった。

家に夫がいるときは、娘のかわいい写真を二人で見るというのが日課だった。わが子のかわいさを共感できる人は世界でこの人だけ。大事にしなければいけない。

私は春に仕事に復帰することになっていた。だから限られた日々を一日も無駄にしないように楽しんだ。夫は趣味のスポーツを再び始めていた。平日の夜も土日もジム通いや飲み会で不在のことが多かったが、夫が好きなことをして機嫌のいい時間が増えれば、家族はうまくいく。私は娘の成長を誰よりもたくさん見ることができるから、息抜きは子育てそのものだ。たまにカフェに行ければそれで充分。夫は私にべたべたしてくることもなく、いい意味で自立した関係だ。

結婚記念日にはホテルのディナーを予約することが恒例となった。この日は初心に戻って、仕事も家事も頑張るための区切りの行事。相変わらず家事はしないが、娘を大切にしている夫。父親として少しずつ自覚が芽生えてきているようだった。
 
辛い時があっても、基本的に不幸になることはもう考えられない。家族や友達、仕事があればなんだって乗り越えられるのだ。

 

別れるという選択肢はそもそもない

 ここまでモラハラの特徴と出来事を書いてきましたが、一日中不機嫌なわけではありません。その不機嫌は3日に一度とか、生活のほんの一部なのです。それ以外は気も合うし楽しく過ごせていました。ただ、ときどきものすごく冷たい人、とは思っていました。モラハラとはまだ気づいていません。冷たいのは時々、なので、日々の幸せを犠牲にしてまで別れたいとも思いませんでしたし、仕事と子育てと充実した毎日であることには変わりなかったのです。

 そして、結婚後すでに、平日の夜も土日も夫は自分の趣味や用事で基本的に家にいない、という生活が普通になっていきます。文句を言ったことは一度もありません。自由にさせてくれてありがとうと感謝されたこともありません。ただただ、夫がいないことが日常になっていったのです。必然的に仕事も子育ても家事も、ワンオペになっていきました。

 私自身は家が好きなので、これが私の生き方、息抜きは友達と月に一度くらいカフェに行けたら満足、と思って、いや言い聞かせていました。夫は毎日息抜きしているのに、この当時は「不公平」という言葉に気づかないフリを一生懸命していたのです。気づいたら終わり、そう本能が忠告していたのかもしれません。


次回に続きます




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