身体の痛み、負ける痛み
スポーツ選手はみんながみんな、万全の状態で競技をしているかと言ったらそうではありませんよね。
疲労が溜まっていたり、調子が良くても試合中に身体の一部に痛みが出たり、そもそも慢性的な痛みを抱えている場合もあります。
それでも勝つ為に、勝負の世界に身を投じる。
自分の身体は大切だけど、それよりも大切なことは勝つこと。
勝負の人達はこういった精神が宿っていると思います。
あるバスケットボール選手が、集中する為に身体の痛みを処理する方法としてこんなことを言っていました。
「1秒だけでもいい、自分の身体から離脱するんだ。外から自分を見つめてみて、なんだ、落ち着けばいいだけだと言い聞かせる。」
そうすると多少の痛みは気にならなくなり、自分の力が出せるようです。
自分の身体を、他人の身体のように扱う。
自分の痛みを、他人事のように感じることで無効化する。
これは他人だったらどうなってもいいということではなくて、その人の痛みはその人にしか分かりませんよね。
痛みに苦しんでいる人を見て、どれくらい苦しいのか想像することはできます。
痛みに寄り添って、その人を労わることはできます。
でも残酷な言い方かも知れませんが、自分が痛いわけではない。
自分の身体から離脱した瞬間に、自分の身体は他人の身体になります。
自分から他人を見た時に、痛いかも知れない、痛いかも知れないけど、落ち着いてよ、これくらいにラフなスタイルで接することができる。
これが本当に他人だったら、ひどい話ですけど、自分の身体に対して他人事なのだったらこれくらいでいいですよね。
「痛みに対処する」という言い方ではなく、「痛みを処理する」術という言い方をしているのは、
自分の痛みと向き合うわけでもなく、受け入れるわけでもなく、他人事としてある意味で残酷に、突き放すということなのだと思います。
自分の身体がどんなに痛かろうが関係ない。
勝負に負ける方が痛い。
勝負の世界の人達はこんな言葉は言っていませんが、そんな風な心持ちで勝負に挑んでいるはずです。
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