体が記憶した映画 ーラテンアメリカ 光と影の詩ー
こんにちは、ぷるるです。
私には、急にワンシーンだけ音楽や匂いつきでよみがえる映画があります。
例えば植木に水をあげている時、友人と買い物中に、NYのタイムズスクエアを歩いていた時にもそれは起きました。前触れもなく突然に。
好きな映画ですが当時映画館で2回見たきりだし、ストーリーを細かく覚えてもいないから、長い間不思議に思っていました。
そしたら先月「映画にまつわる思い出」というお題があったので、ちょっと掘り下げることにしたんです。
何とか考えがまとまった時には、締め切りも終わっていたんですけどね。
でも、せっかくなので書いておこうと思います。
ちょっと長いですが、どうかお付き合いくださいませ。
その映画は「ラテンアメリカ 光と影の詩」。
アルゼンチンの監督、フェルナンド・E・ソラナス氏の作品です。
簡単なあらすじをご紹介します。
マルティンの成長と自立を、のびやかでからりとした南米の自然や個性豊かな人々との関わり、合間合間に挟み込まれる『幻想シーン』を通して、清々しく描いた作品です。
私が思い出すのは『幻想シーン』ばかりでした。同時に映画音楽や当時の映画館の匂いなども、セットでよみ返る訳なのです。
この作品の大きな特徴である『幻想シーン』にはこんなものがありました。
マルティンが授業を受けていると、教室に突然雪が降り出す。
フエゴ島は時々、島が大きく斜めに傾いてしまう。
旅の途中に、赤いドレスの少女がふと現れては去る。
突然に深い森の中にハンモックで揺られる少女(マルティンだったかも・・・)が登場。
ブエノスアイレスが浸水により、水の都になっていた。
これらが、ほんっと〜に綺麗なんですよね。美しい音楽ともぴったりマッチして。しかも現実なのかマルティンの空想なのか、よくわからない。
そして幻想と現実を行きつ戻りしながら旅を続けたマルティンが、成長し大人になるところで映画は終わります。
私の知る限り、この作品はサブスクにもレンタルもないようなので、以下に結末も書いておきます。気になる方は飛ばしてください。
***以下ネタバレあり***
メキシコに着いたマルティンは、結局父に会わずに島へ帰りました。
旅先で父と関わった人々から話を聞くうちに、自分が父から今も愛され続けていることを知ったからです。
「もう父さんを探さない。父さんはいるんだ。いつも僕の心の中に」
目的地のメキシコに着いた時、マルティンはもう巣立っていました。愛を受け取ったことが、彼を大人にしたのです。
***ネタバレ終わり***
ところが・・・・
今回深掘りするためパンフレットを読み返し、私はこの映画に『当時(あるいは今も)南米が抱えていた政治腐敗や経済危機の現実』という、もう1つのテーマがあったことを思い出しました。
既得権益にしがみつく支配者層と搾取する西欧諸国、そして弾圧される庶民たちが、あの美しい『幻想シーン』を通して描かれていたのです!!
ソラナス監督はこの映画の制作中にアルゼンチン大統領から名誉毀損で訴えられ、法定証言後には銃撃まで受けました。まさに命がけの作品と言えるでしょう。
しかし、私の心には自立と成長という、自分にリンクしたテーマだけしか残りませんでした。当時の私は社会問題への興味が本当に薄かったから。
受け手に素地がないと、映画本来のメッセージを心に留めることができない実例を体現してしまいました。お恥ずかしい限りです。
では、私にこの映画の真意は全く届いていなかったのかというと、それは違うと感じます。
なぜなら、この映画がフラッシュバックした時。
大抵、私は『岐路』に立っていたからです。
岐路というと一大事に思いがちですが、そんなことはないですよね。人生は選択の連続で、選択の数だけ岐路は存在するのですから。
他人から見ると些細でも、自分にとっては大きな岐路ということもあるでしょう。
事実、今年の3月末から4月の中頃は、何度もこの幻想シーンが浮かんでは消えました。
確かに私はこの頃、ある岐路に立っていたのです。
胸には戸惑いと不安、そして迷いを秘めていました。
映画では主人公が人生を決められず旅に出ます。そして訪れた先では人々が搾取から生じる望まない岐路に追い詰められていました。
ヒリヒリした痛み、不安、切実さのなかに、誰もが立っていたのです。
けれど同時に、破壊されても広がる空や吹き抜ける風、会わずとも父を知った主人公の成長もありました。そこに見える創造性の回復とかすかな希望。
もし、これらを知る『もうひとりの私』が、言葉ではなく映像や音、匂いなどの五感を通して、その声を伝えようとしていたらどうでしょうか。
それが道を選ぶ助けになっていたとは、考えられないでしょうか。
4月の終わりに岐路から歩き出した私は、今そのように感じています。
映画の幻想シーンはまた、記憶の底に沈んでいきました。
そうであるならこの作品は『体が記憶した映画』と言えるかもしれません。
つまり、『私にとって本当の名作』なのだろうと思います。
<おまけ>
この映画は音楽も実に素晴らしかったのですが、今回調べたところ、なんとアルゼンチン・タンゴ・ミュージックの王様、「アストル・ピアソラ」が担当していました!
当時はピアソラを知らなかったのに、30年もその音が心に鳴り続けていたとは・・・うーん、やっぱりすごいですね、ピアソラ。
*今もピアソラに詳しい訳ではありません。
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