忌野清志郎のこと
RCサクセション、特に忌野清志郎は私が初めて夢中になった日本のミュージシャンです。
私が生まれた時にはもうバンドマンだった清志郎ですが、中3の頃その魅力に「射抜かれて」しまいました。
今日はその思い出を語りたいと思います。
(忌野清志郎およびRCサクセションの説明は、上記リンクからどうぞ)
普通、ミュージシャンを好きになるきっかけは「曲」だと思いますが、私の場合は「詩集」でした。
最初は表紙の絵にひかれて。そしてパラパラっと中を見て・・・
その詩にやられちゃいました。
そう、私は曲を知らないまま、ファンになったのです。
学校帰りの電車で、夕暮れのリビングで、真夜中ふとんにくるまって。
私は何度も何度もこの詩集を読み、胸を熱くしました。
お小遣いをもらってすぐ、レンタルレコード屋に走ったことを覚えています。この詩にどんな曲が載るのかワクワクしながら。
そして清志郎の第一声を聞き・・・
えーっ、なんじゃこりゃっっ!!!と、叫びました・・・
男性にしては高めの声で激しいシャウト。はっきり言って無理。
なんであの詩がこんな曲になっちゃうの?
私が脳内で作り上げていた詩の世界は、完全に壊されてしまったのです。
私はその日のうちにレコードを返し、すぐさま友達に電話して「RC最悪だったわ!」と文句を言いました。
なのに数日後。私は再び・・・
RCサクセションのアルバムを借りていました。
自分でもよくわからないけど、そうせずにはいられなかった。
脳内に清志郎の声が残って、離れなかったんですよね〜。そしていつしか「あれ?この歌詞にはこの曲しかないじゃん?」みたいな。
それからはただのファンですよね。高1からライブにも行き始めました。
最初は女子らしく、ラブソングに夢中でした。
「トランジスタラジオ」や「君が僕を知ってる」などを始め、RCサクセションは珠玉のラブソングが目白押しでしたから。
「私も好きな人からこんなふうに想われたい、愛されたい!」
少女の胸はときめきました。
そして「清志郎は深く一途に人を愛するんだ!」と、うっとりしていました。よくあるファンの誤解ですよね。
そして清志郎の実情を知るにつれ、その幻想はまたもや壊されるわけです!
特に女関係は・・・ね〜・・・夢など巨大ローラーでのされた上に、粉砕機で粉々に成り果てましたよ。
そういうことを清志郎は何も隠さなかったですから。エッセイにもバンバン書いてましたしね。
こうして私はちょっとずつ大人になっていったわけです。
でも清志郎という人は、出会った時から別れの日まで、延々とこちらの「清志郎像」をぶち壊すミュージシャンでした。
例えば私の大好きな曲に、「ぼくの自転車の後ろに乗りなよ」があります。
これは自転車二人乗りする自分と恋人を、詩情豊かに描いたラブソング。
初めて聞いた時はキューンとしました。
でもこの曲の真意は、後半の超激しいシャウト部分にあったのです。
「ぼくは〜悪くないっ!」
「ぼくは〜それほど悪くないっっ!!!!」
「ぼくは〜ちっとも悪くないっっっ!!!!!!!」
とある事情により周りから総スカンを喰らった高校生清志郎。
そのことに激昂して作ったのが真実。ラブソングは見せかけだったというわけです。
・・・よっぽど心が痛かったんでしょうね・・・。
他にも泉谷しげるへの恨み一筋で作った「あきれて物も言えない」。
ヤマ師=泉谷さん。
原発全然いらんだろ、と思ったから作ったアルバム「covers」。
結婚や子供は不要と豪語していたのに、我が子ができたら手のひら返し。
息子溺愛ソング「タッペイくん」を、ライブで熱唱。
突然自転車にハマると、ツーリングにも参戦。
映画「丹下左膳」に夢中の時は、どこでも丹下の衣装で登場。
法螺貝の魅力に取り憑かれ、人のライブでも吹きまくり。
ある著名なエッセイストは、パパの歌を出した清志郎に対し「親バカぶりにあきれる」的なコメントを寄せました。
でもファンにしたら、「わかってねーなあ」って感じです。
だって清志郎はいつだって「今」の人だから。
今、自分の熱が向かうものを歌う人なのだから。
発禁、ライブ拒否、人気の低迷、ファンの離脱。
彼にとってはどうでも良いこと。
ロックとは「自由を希求する魂」の発露。
自由なんだから制限あるわけないのです。
そして清志郎は、その存在がロックそのもの。
だから彼が奏でるメロディは、もうそれだけでロックなのです。
私は彼のそんなところが、最高の高に好きでした。
ところで清志郎の好きな曲を絞るのは、実に至難の業です。
でも頑張ってBEST3を選んでみました。
◆夜の散歩をしないかね(アルバム 「シングルマン」より)
◆山のふもとで犬と暮らしている(アルバム「ハートのエース」より)
◆多摩蘭坂(アルバム「BLUE」より)
「ROCK ME BABY(アルバム「GOD」より)」を入れるか迷いましたが、今はこの3曲でしょうか。
私は邦楽だと歌詞を中心に聞き、曲は二の次になります。
だから正確には「好きな歌詞BEST3」になるのかな。
やっぱり私にとっての清志郎は、「言葉の人」なんでしょうね。
そんな清志郎が亡くなり、もう14年がすぎました。
当時いろいろな媒体で追悼されましたが、私はこの2冊が心に残っております。
あと甲本ヒロトの弔辞でしょうか。
ロッキンオンジャパンは、RCが低迷期の時も、発禁処分をくらった時期も、変わらず記事を載せてくれました。
社長の渋谷陽一さんは清志郎が超大好きだから、インタビューでそれはしつこく絡むんです。でも清志郎は無口だから、返事がいっつもローテンション。
このやりとり、好きだったな。
今では清志郎の名前を見たり聴いたりすることも、ぐっと少なくなりました。
若い人は清志郎なんて知らないんじゃないかな。
歌を聞いてもピンとこないだろうなあ。
でも私はそれで良いと思っています。
ロックとはいつだって「今」なのだから。
今の子は、今のミュージシャンを愛するのが自然です。
ただ私には「今」ですけどね、清志郎。
これからも、いつまでも。
しかしこんなに語ったのに、全然足りません。まだまだ書けるなあ。
清志郎はやはり特別なんだと、今更ながら痛感。
とはいえこれ以上長くなってもアレですし、最後に今のBEST3アルバムをご紹介し、お別れしたいと思います。
ご精読、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?