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独学のすばらしさは「自由」にあり。

こんにちは、ぷるるです。

昔から、ゆるい独学が好きです。
自分のテンポで、興味のあることを学んでいく。

かつては「そんなもの我流に過ぎない」などと言われ、しょんぼりする事もありました。

しかし最近は独学の力が見直され、実にうれしい限りです。

「独学」というと、「独学=我流」と本流でない学びといったネガティブなニュアンスが浮かびがちですが、これに対して私は、「独学」を「学びの主体性」と再定義しました。(以下略)
高橋 俊介 : 慶應義塾大学 SFC研究所上席所員

東洋経済オンライン「キャリアをつくる独学力」より引用

うーむ、素晴らしい、大賛成!
私も「学びの主体性」は持ち合わせているつもりです。

実際、去年の夏から語学の独学を新たに始めてますしね。

独学の対象は、限りなく広く自由なはず。


土佐弁の習得、がんばってます!!



土佐弁は、高知県の東部や西部で話される方言です。
坂本龍馬のセリフが有名でしょうか。

私も子供の頃「土佐弁」に心うばわれた一人です。
「鬼龍院花子の生涯」という、古い日本映画がきっかけでした。

この作品が子供に適切かはさておき、ポイントは初めから終わりまで、登場人物が全員土佐弁を話していること。

「雪が降るね」は「雪が降りゆう」
「私は鬼政の娘だから」は「あては鬼政の娘じゃき」

初めて聞く単語、イントネーション、語尾の特殊さ・・・「〜ぜよ」に「〜ちゅう」だの「〜にゃあ」とか「〜やき」など。

そのどれもが私の胸をきゅううっと締め付けました。

か、かっこいいぜよ・・・・

この言葉、あても話してみたいぜよー!


とはいえ私は高知県に縁がなく、親戚、知人、友人もおりません。
学校で話してみたものの、皆の反応は冷ややかでノってくれる人は皆無。

そのせいかこの情熱は、やがて日常の中に埋もれ消えていきました。


ところがそれから数十年後、会社の昼休憩中に私はこんなサイトを見つけたのです!

方言だけでなく、江戸言葉やふなっしー語にも変換できる優れ翻訳。

・・・方言変換サイト!?

この瞬間、埋もれていた情熱がよみがえりました。
まるで同窓会にて、初恋の彼への気持ちが再燃するかのように。

「今なら土佐弁を、我がものに出来るかもしれない!」と。

さっそく地元の方言で試したところ、正解率は7割といった感じ。
すぐに土佐弁にも挑戦しました。その結果はこちら。

吾輩も土佐猫じゃと、げにまっことかっこええ!

激しく興奮した私は、しばらく友人に『エセ土佐弁LINE』を送りつけ楽しんでいました。ええ、友人たちは嫌がっていましたけどね。

でも・・・やがて飽き足らなくなりました。

だってやっぱり、話したいぜよ!


文字じゃなくてこの口で、「なんちゃあ、ないきに」とか、言いたいがぜよ!

一度可能性の扉が開かれると、人の欲望は留まるところを知らないものですね。


そんな気持ちが天に通じたのでしょうか。
私は数ヶ月前、Youtubeにて「土佐弁講座」なるものを発見したのです!

講座は基礎編から応用編まで14本。
日常使いの土佐弁を、ミニドラマ仕立てで教授してくれる優れもの。

会話も自然で、これは信頼できると確信しました。

「どういたが?」って言いたい!言いたい!


さっそく土佐弁講座基礎編01を受講した私は、夫に成果を披露しました。

しかし彼は「なんかゾワっとする」と速攻拒否。

最初はムッとしましたが、ふと我が叔父を思い出しました。
彼は酔うと関西弁を話すクセがあるのですが、生粋の中部人。
関西に縁など全くないくせに・・・私はそんな叔父を苦々しく思っていたのです。

だけど客観視すれば、私は今まさに「叔父状態」ではないのか。

なんと不名誉なことでしょう!


しかし、アインシュタインもこう言っています。

「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」と。

土佐弁のイントネーションや使い方につき、自分がどれだけ無知かを知った私が、より一層学びたくなるのは当然の帰結と言えましょう。

独学の真髄は自由意志での学び。何を学ぶかもまた自由。
それを一体誰がはばめるというのか。

否、誰にもそんな権利はない!!


そんなわけで、暇を見つけては土佐弁の習得に励んでいます。
いつか高知に行き、ネイティブ相手に会話をするのが目標ですね。

そして四万十川を眺め、カツオに舌鼓を打ち、桂浜の波打ち際を歩いてやろうじゃありませんか。

憧れの四万十川の絶景(写真A Cより)


その時はもちろん、心の独り言も土佐弁でキメる所存です。


一緒に皆様も、いかがですか??



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