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ぷるぷるパンク - 第10話❸

●2036 /06 /18 /20:00 /管理区域西部・緩衝地帯
 
 袈裟の男は合掌の姿勢を崩さずに頭(こうべ)を垂れ、後退りながら体の向きを横に変えた。そして白い光の中でさらに深く頭を垂れるとすうっと消えた。一連の出来事に呆然としたぼくは、目の前の事象を飲み込もうと努めた。しかし、男が消えた箇所にはまた別の男が現れたので、混乱は一層深まる。黄色い袈裟を着た同じようなトゥルクの僧はしかし西洋人で、消えた男と同じように胸の前で手を合わせていた。
 
 西洋人の僧は流れるように丁寧な所作で二礼して、ぼくらに向き直って手を下ろすと漸くその表情を崩した。
「初めまして。私の名はゲオルグ・エッセル。12年前の地殻変動の頃より、世界から切り離されたこの地で、反体制派を統べています。」
 流暢な日本語が彼の口をついて出ると、失礼ながらも面食らったぼくは彼をまじまじと見つめてしまう。
「あなた方がサマージの輸送トラックでこの地に降り立ったと聞き、監視をつけさせてもらっていたが、彼らは敵わなかったようですね。単刀直入に聞きます。あなた方は何者ですか? スールさん。」
 自分に話かけられているとは夢にも思わなかった『スールさん』こと嶺サウスが、しどろもどろで俯いて「さっちゃんは」と口を開きかけた瞬間、ノースが慣れた美しい仕草で合掌と一礼をして口を開いた。
「あたしはノース。そしてこちらのスールがあたしの妹。こちらはクズリュウ。」
 エッセルと名乗った僧は、ぼくらそれぞれに一礼をした。その所作がとても丁寧だったので、恐縮ながらぼくも慣れない頭を下げた。ノースはさらに続ける。
「あたしたち双子は、羽田空港襲撃事件のあと閉鎖したカワサキ・サマージを離脱し、RTAに追われています。」
 エッセルさんはその表情にはっきりと驚きを浮かべた。
「なんと、あなた方も。実は、私たちも、もう何年も前にホクリク・サマージを離脱し、この地でRTAと対立している。ここら辺では隠れサマージと呼ばれる者だよ。」
 柔らかくなった彼の言葉にサウスの目に輝きが戻る。しかしスールさんの件が相当恥ずかしいのか、口はつぐんだままだった。
 エッセルさんがゆっくりと歩き始める。言葉は無くても(ついてきなさい。)と言っているのがわかった。ぼくらは彼の後に付いて、同じようにゆっくりと歩き始めた。
「この地には日本で最も古く、最も大きいトゥルクの寺院『永平寺』があります。地殻変動をきっかけに、そこからZENが流出し始めました。」


 ぼくらは足を止めて顔を見合わせた。ZEN。やっぱり。
 エッセルさんはぼくらに構わず歩き続ける。
 
 再び歩き始めると、少し先を行くエッセルさんとぼくらとの間の足元に、水が溢れ出すように音もなく映像が流れ始めた。
 
 永平寺の地下の祠から湧き出す液状のZEN。
 日本政府は、いまだにエネルギーを生み出さないぷるぷるパンクの保管・維持のために、国内の各プラントで必要なPFC溶液をア国からの輸入に頼っているが、それには莫大なコストがかかっていた。
 そもそもZENとはその溶液を指す言葉なのか、湧き出す祠そのものなのかは明らかではないが、少量のZENから大量のPFC溶液がいとも簡単に精製される。
 しかしZENの流出をいち早く察知したRTAが、技術提供を口実にア国として公式に介入した。技術が必要だった日本政府は苦渋の決断の末、ア国の技術指導を受け入れ、永平寺にて共同採掘施設の建設を開始、数年前に稼働が始まった。
 
 利益分配案の話し合いが平行線を辿り続けている間にも採掘は続き、ZENは貯蔵タンクでもあるAG-0の地下空間でいっぱいになってしまった。ア国は第二の貯蔵タンク建築を進めようとしたが、日本の資金は尽きかけていた。流出するZENを捨てるか、国民にこれ以上の負担を強いるか。共同採掘ではどうにも採算性が厳しい。行き詰まった政府は強行策である単独申請計画を実行。それが羽田空港襲撃事件のきっかけになったのだった。
 映像はそこまでの説明を終え、白い空間の中に溶けるように消え去った。
 
「エッセル」ノースが歩調を早めて彼の後ろに追いついた。
「何故、ここのサマージはRTAと対立しているのですか?」
 エッセルさんは漸く歩みを止め振り返った。
「それはトゥルクが祈りの力でぷるぷるパンクを調和に導こうとしているからだよ。」彼は大きくため息をつき、続けてゆっくりと語り始めた。
「ある頃から、RTAはトゥルクの過激派に兵器や資金を注入することで、調和への祈りを暴力的に推し進めようとした。それがサンフランシスコで生まれた最初のサマージです。しかし、我々隠れサマージは、永平寺がある日本のトゥルクの中心地において、より原理主義的なトゥルクに回帰しています。我々は、祈りの力を信じている。」そういうと彼は肩をすくめた。
「祈りへの想いが、この地域の暴力の原因になっているのは大変な皮肉です。」
 
「あなたがたはお強い。どうでしょう。我々の隠れサマージと共に戦ってくれませんか? あなた方の目的とも合致しているでしょう。」
 目的を考えると確かに重なっている部分も多い気がした。四者の間に沈黙が流れる。均衡を破って口を開いたのはやっぱりノースだった。
「エッセル、ありがとう。でも私たちは行かないと。」
 彼は少しだけ残念そうな表情を見せた。しかし、まるで宇宙の始まりから存在する答えを見たかのような納得の笑顔を見せると丁寧に深く頷き、再び手のひらを合わせて合掌した。


「助けが必要な時は呼んでください。再び現れましょう。」一陣の風が吹くと、白い空間もろともエッセルさんは消え去り、ぼくらは同じ夜の暗いバリケードの前に立っていた。
 
●2036 /06 /18 /20:32 /管理区域西部・緩衝地帯
 
 荷物をタコにくくりつけて再び歩き始めたぼくらは、通りを遮る倒れた鉄塔に辿り着き、それをくぐったり跨いだりして越えて行く。地球環にうっすらと照らされたその鉄塔によじ登ったサウスは、公園の太鼓橋で遊ぶように懸垂でぶら下りながら前進している。


 ぼくはサウスを見上げ、気になっていたことを聞いた。
「スールって誰? 口が勝手に喋ったの?」鉄塔の上からサウスが答える。弱く湿った風が夏の匂いを運ぶ。
「さっちゃんの本名だよ。嶺スール。サウスのスペイン語」
 
 子どもみたいにはしゃいでは、いつも先頭を行くサウス。でも実はそれって、ぼくらを、そして基本的には双子の片割れノースを守る責任感の裏返し。本当は大人なサウスなのだ。
 例えば銃を握っている時、一人でスマートフォンを見ている時、暇で何も考えていない時、そんな時々のサウスが、不意に大人びた表情を見せると、二人はやっぱり双子なんだということを思い出す。
 しかし、さっきトゥルクの僧を相手に大人みたいに話したサウス、もとい『嶺スール』は、そんな大人サウスとも違っていて、なんていうかとても神々しかった。
 
「あ、お祭り!」サウスが叫んで鉄塔の高い位置から勢いよく地面に飛び降りた。ぼくは鉄塔の最後の鉄筋を跨いで越える。
 マップ情報から想像していたよりはかなり小さい「大通り」に出た。さっきまではかすかに聞こえていたような気がしただけのトゥルクの太鼓の音がはっきりと聞こえ出す。
 タタン、タタタン、タタン、タタタタン。コロン、コロロン、コロン、コロロロン。
 
 朽ち果てたJA共済の看板やスーパーマーケットやガソリンスタンドの跡地が道沿いに並んでいて、ここが地域の幹線道路だったことを示している。その数百メートル先に並んだ幾つかの赤い提灯がぼんやりと見えた。
 地図によるとその角が観音ゲート参道の入り口だった。


 賑やかな灯りが、外に向け弾ける炭酸の泡のように溢れ出し、まだ見えない喧騒が太鼓の音に絡みだす。祭りの予感。遠くから見つける祭りの空気は、幸せの予感だ。子どもの頃に家族ででかけた祭りがぼんやりと思い出された。
 
 サウスはすでに走り出していた。鉄塔を過ぎて幹線道路に入ったノースもすぐにぼくに追いついた。振り返ると、目が合った彼女が珍しく微笑んでいたから、ぼくも少し笑った。祭りは人を笑顔にするのだ。
 
「クズリュウ、わざとやってるの?」
 え? ぼくはノースの質問の意図がわからずに、笑ったまま、顔を歪めた。わざと?
 
「ほっぺにちゅうして欲しかったんだ、あたしに。」
 イタズラっぽく微笑むノースの顔を見ることができず、ぼくは咄嗟に下を向いた。
 血の気が顔から一瞬で全て引いたのも分かったし、なんなら、血が引く「すう」っていう音も聞こえた。そしてすぐにまた別の「カァ」っていう音を立てて血が逆流して戻ってきたから、ぼくの顔は相当赤くなっていたと思う。
 
「え? え? 共有モードオフになってなかった?」ぼくはただ、しどろもどろ。
 ノースはそれに答えずに、サウスを追って夜の中へ、きらきらとした地球環が伸びる先へと走り出した。
 空の高い位置まで戻った三日月は白く、『何も見ていない』とでも言うような顔で横を向いている。雲はまだ夜のあちこちに少しずつ残っていたけど、星が地球環に負けないくらい明るく夜空に散りばめられていて、田舎の空は高いな、と思った。
 
「ちょっと待ってよー!」ちくしょう。なんだってこんなこと・・・。ぼくはあほなのか、クズなのか。

●2036 /06 /18 /20:52 /管理区域西部・観音ゲート参道

 息を切らして二人に追いつくと、そこには突然賑やかに煌めくナイトマーケットが広がっていた。

 狭い道路いっぱいに雑然と並んだ露店の列が、視界のずっと奥にまで伸びている。威勢のいい声が重なり合って飛び交い、透明な塊になって通りの空気をぐらぐらと揺らしている。露天の軒先にぶら下がって耀(かがや)く提灯の連なりや、ぎらついた裸電球の光を孕(はら)んだのれんが柔らかく落とす灯りが、通りを行き交う人々のさまざまな表情を赤く彩る。
 四方に広がる淡い影を引き連れて駆け回る子どもたちが、妖艶(ようえん)に着飾って彷徨(さまよ)う女たちの合間をパチンコ玉のように飛び跳ねた。
 どこからともなく聞こえるトゥルクの太鼓の音がガソリン発電機の低いモーター音と絡み合って、幻想的なこの光景にしっかりとした現実感を持たせていた。

 上を見上げると、廃墟の屋根や電柱にくくり付けられた紐が通りを覆うようにジグザグに渡されていて、それぞれにびっしりと吊るされた細長い紙を輪っかのように繋げた色とりどりの短冊が、ひらひらと自由に夏の夜空を彩っていた。

 つづく

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