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ぷるぷるパンク - 第11話❶

●2036 /06 /19 /19:00 /国道134号由比ヶ浜交差点・九頭竜鳴鹿

 九頭竜(くずりゅう)鳴鹿(なるか)は、国道134号を西に向けて運転しながら双子のことを考えていた。
 手のひらに残るサウスの柔らかい髪の感触を思い出す。本当に可愛らしい子たちだ。荒鹿や芦原が、双子と一緒にいる理由を詳しく聞いたわけではない。しかし空港の事件とか、関連する何か大変なことに巻き込まれ、そのせいで彼らは世界を救わなければならない羽目になったのだろう。
 もちろん世界救うと言うのがさっちゃんのジョークだっていうのは十も承知。あの子達と一緒にいると、あの子たちなら、私たちが生きるこの痩せていく世界を変えてくれるんじゃないか、とか、そんな期待さえしてしまう。
 お姉ちゃんのノースがいてくれるから、ボケ荒鹿についても心配無用。ノースはとてもしっかりした子だ。あの子が荒鹿と同い年なんて全く信じられない。私の育て方が悪かったのだろうか、鳴鹿は思う。いやいや、そこは私じゃなくてうちの両親だろう。自分があいつを育てた覚えはない。

 由比ヶ浜(ゆいがはま)の交差点を若宮大路(わかみやおおじ)に左折し、道沿いのコンビニに車を止めた。車のシートを倒してスマートフォンでSNSをチェックする。流れてくる様々な動画をザッピングしながら、犬みたいに吠える猫の動画につまずき「澄(す)まし汁(じる)」というアカウントの視聴に30分以上も費やしてしまった。

 鳴鹿は車を降りると、尻のポケットからタバコの箱を取り出し、車のボンネットのサイドに腰をかける。唇の端に細いタバコを咥えて火をつけた。
 スマートフォンで時間を確かめると、車を止めてから既に2時間近くが経っていた。鳴鹿は、ため息をつくようにして吐き出した白くて長くて薄い煙は、夏の空気に紛れて消えてしまった。タバコの先から出る濃い方の煙がゆらゆらと立ち上り、夜空に届く。



●2036 /06 /19 /19:00 /藤沢市街・芦原

 藤沢駅に程近い住宅街の中にあるジメジメとしたワイン屋で、芦原(あわら)はワインを選んだ。
 産地(カリフォルニア)とエチケットのデザインだけを決め手に店主のアドバイスを軒並み無視して選び続けていったから、店主の禿げた老人は芦原に聞こえるように嫌味を言い始めた。
 結局10本の支払いを済ませた芦原は、ずっと無視していた店主に頭を下げて、箱に入れたワインを車まで運んでもらうことになり、なんとも気まずい。

 芦原は特にお酒が好きな方ではなかったが、慌ただしく過ぎたこの二週間を振り返ると、そろそろお酒を飲みたい気分だった。
 いつからかずっと一人で生きてきた。週一で顔を合わせるバイトの鳴鹿だけが世の中との接点だった。それが急に賑やかになった。双子とは二週間、毎日寝食も共にしたのだ。寂しいと感じるのは人としてまったく恥ずかしいことではないはずだ。
 誰にともなく言い訳をしながら、自動運転が普及する前の古臭い車を運転し、昨日四人が曲がって消えた交差点を過ぎて自宅兼ショップの建物に近づいた。
 助手席の窓から体を乗り出して、見えなくなるまで手を振り続けていたサウスを思い出す。
 さっちゃんは、ほんと面白かった。芦原は一人にやけてしまう。

 不意にショップの前の人影が目に入った。今日ショップは休みにしている。
 その人影は店内を覗くわけでもなく、離れようとするわけでもない。咄嗟にバックミラーとサイドミラーを確かめる。似たような背格好の男が一人道の向かい側の少し離れたガソリンスタンドの角、向かいの芦原のショップ前の男を確かめられる位置にいる。尾行されているわけではなさそうだが、経験上、嫌な感じがした。すぐに地下の研究室に向かう裏の路地から、もう一人の男が出てきた。

「ちっ。」芦原は頭を低くして自分のショップの前を通り過ぎた。
 しばらくワインはお預けかもしれないな、と思う。遊行寺の坂を登り切った辺りで路肩に車を止める。
 芦原は助手席に無造作に置いてあったヴィジョンゴーグル、スマートフォン、スマートウォッチのそれぞれから物理SIM(シム)を抜き出して力を込めてそれをへし折ると、窓を開けて植え込みの茂みにそれを捨てた。
 それから車を出すと、旧東海道から国道1号線に合流し、あてもなく、そのまま横浜方面へ進み続けた。

●2036 /06 /19 /11:20 /管理区域西部観音ゲート付近・平泉寺茉幌

 月一回の居住許可証の更新のため、平泉寺(へいせんじ)茉幌(まほろ)は自分が籍を置かせてもらっている坂井(さかい)市内の産業技術総合研究所を目指していた。
 観音ゲートでピックアップトラックの運転席の窓を開け、センサーにIDをかざすと車止めのバーが上がる。ゲートを抜けて開けた視界に、白い地球環が大きく輝いている。今日の地球環はその溝までくっきりと見える。
 助手席に座った八歳くらいのその少年は黙ってスマートフォンを見つめている。

「のぉマホロぉ?」視線はスマートフォンから離れない。語尾が揺らぎ、母音を置いてくるようなこの地方のアクセントで少年は平泉寺の名を呼んだ。
「今日は環(わ)っ子(地球環)が、ひって白うてきれいやの。」少年は、空気を確かめるように言った。
「いっぺん、うら(ぼく)も、外にぃ連れっててくれんかの。」少年はついにスマートフォンから顔を上げて、ねだるように平泉寺を見つめた。
「だめだよ、すこやか。そんな目で見たって。」平泉寺は少年を振り返らずにそう言って、ゲートを抜けると旧幹線道路沿いのスーパーマーケット跡の駐車場に車を止めた。すこやかと呼ばれたその少年はスマートフォンに目を戻して、不服そうにシートに沈み込んだ。
「おばさまのお手伝い行くんでしょ。おばさまに約束したじゃない。」平泉寺はドアを開け、ステップから軽やかに飛び降りると、助手席側に周り、そのドアを開けた。すこやかはシートベルトを外さずにボイコットの姿勢を見せるが、平泉寺の感情に訴えかける作戦は、これまでの彼の短い人生の中でことごとく成功した事がない。諦めて車から飛び降りた。

 背伸びをした平泉寺は荷台の横から1メートルほどの長さの布の包みを引き摺り下ろし、それをすこやかに渡した。ふらつきながら布の包みを受け取るすこやかと、彼に構わずマーケットへと歩き出す平泉寺。すこやかはその小さな両手で包みを懸命に抱え、彼女の後ろを小さい歩幅でちょこまかと追いかける。
 午前中のマーケットは人影がまばらだった。みな、掻き入れ時の夕方以降に備えているのだ。

『無法地帯のナイトマーケット』として悪い意味で有名になった観音ゲート前の闇市は、昼間の明るい時間帯に訪れると、震災の傷跡が生々しく残っているのが分かる。
 元から住んでいた住民を強制的に移住させ、震災で壊滅したインフラを復旧しない閣議決定が下されたため、廃墟群となった地域だ。
 当時の総理大臣の「再現(さいげん)ではなく最現(さいげん)」という一見耳障りが良いけれど、全く意味をなさない言葉で世の中から切り捨てられた地域なのだ。
 
2020年世界各地の発電プラントで起こったPUNK非活性化によって引き起こされた世界恐慌。石油資源を持たない日本において、貧困に直面しはじめた一般市民への経済的な影響も、そのような閣議決定への世論を後押しした。
 時を前後して国立公園化を名目に、この奥越地域に管理区域が設定された。
 内側に残された人々や移住を拒否して残った外側の人々が、密かに推し進めた復興計画の中核事業であり、内外の交易の要として栄えるようになったのがこのマーケットである。

 いまでは県内外から人々が集まる自由市場のようになっていて、区域内で手に入らない食品や趣向品など内側の住民へ向けた物品、逆に内側から外向けに生産された反物なんかの伝統工芸品が取り扱われていた。同時に無法地帯と化したこの地域ならではの、薬物、横流しの武器やコピー商品なんかの違法な物資もどこからともなく流入し、さらなる治安の悪化が懸念されているところだ。

 闇市の空を覆って風に揺れる涼しげな短冊は、震災以降廃止された区域内の奇祭「勝山左義長まつり」の飾りつけで、この地域で古くから信仰されてきたトゥルク教と、輪廻の象徴である地球環を祀ったものだ。今ではこのマーケットのシンボルとなっている。
 希望として、祈りとして、この地に残された人々が、誰からともなく飾りつけ始めたそうだ。

 マーケットの半分くらいまで来たところで、すこやかが駆け足で平泉寺を追い越し、露店の屋台の裏手にある廃墟のドアをノックした。
「おばさまぁ。」彼はドアの前に直立し大きな声を出すと、追いついた平泉寺に振り向いて笑った。それと同時に銀髪のベリーショートがよく似合う70代くらいの老女がドアを開けた。
「あらぁ、多々川(たたがわ)すこやか君。よう来たのぉ。マホロも。」玄関ドアを開けた彼女はエプロンを外しながら歩いて、通りで待つ平泉寺に並んだ。すこやかはすぐにおばさまを追って通りに戻った。

「天気がええで、椅子出そっさね。」
「これ、どうぞ。」すこやかが布の包みを老女に手渡すと、老女はそれを露店のコの字型の屋台のカウンターに置いた。それから老女はゆっくりとカウンターの後ろに周り、パイプ椅子を三脚抱えて持ってきた。「ほうれ。」と言ってそれを露店の軒先に置くと、すこやかが慌てて椅子を広げるのを手伝った。

「私はすぐに行かなきゃいけないから」平泉寺はそう言って勧められた椅子を断り、椅子に座って彼女を見上げるすこやかの頭を撫でた。
 老女はゆっくりと椅子に腰掛け後ろに手を伸ばすと、布の包みを手元に引き寄せた。

 平泉寺は、膝に包みを置いた老女を確かめるように見つめながら、老女が落ち着くタイミングを探していた。
「絹の生産量あげられなくて。」そう言いながら、すこやかの長めにもつれた髪を掬い上げて梳かす。
「ほやでのぉ。」老女は何度も頷きながら包みを開けると、てらてらと日差しを白く反射させる絹の反物が顔を出した。皺だらけの指先でそれをそっと撫でると、満面の笑みを浮かべて平泉寺を見上げた。

「ひってぇ、かわらしのぉ。ねんねのほっぺのようやってんの。」方言をなんとなく理解して、平泉寺はにこりとして少しの笑顔を返す。
「最近はポリイミドとかの生体材料の製糸ばっかりなんです。PFCの、」平泉寺の言葉を遮るように老女はすっと立ち上がり、すばやく歩いて屋台の裏にまわった。カウンターの内側にかがみ込み、台の下から何やら探し当てると文庫本のようなサイズの紙の包みを取り出した。

「マホロぉ、これ、ちょ開けぇ。」
 カウンター越しに包みを受け取った平泉寺は、慎重な手つきでそれを開けた。
「あぁ! マホロの絵ぇや!」
 平泉寺が畳んである絹のスカーフの一角をそっと持ち上げると、すこやかは驚きと喜びで立ち上がった。
「近頃は、曼荼羅描ける人もぉ、ようけえんくなってのぉ、ありがとぉな。」老女はカウンターの裏から戻り、再び同じ椅子に座った。

 すこやかは平泉寺の手から絹の曼荼羅を慎重に、しかし素早く取りあげると、二人が見えるようにそれを広げた。漆黒の背景に鮮やかなミントブルーと優しいサーモンピンク、曼荼羅としては珍しい配色のデザインで、描かれているトゥルクの高僧たちはタコをモチーフにデフォルメされている。

「ありがとうおばさま。」そう言って平泉寺はすこやかの前にしゃがみ込んだ。それから「巻いてみて」とすこやかを振り返ると、すこやかは器用にスカーフを平泉寺の頭に巻いた。
「かわらしのぉ。」老女は目が見えなくなるほど顔をくしゃくしゃにして笑う。
 平泉寺は立ち上がると合掌して頭を下げた。「では、また後で」と言って歩き出そうとした平泉寺を、老女が突然小声で呼んで引き留めた。座ったまま平泉寺を指差し、自分の耳と口元を指差し、手招きをした。

「マホロ。」老女が囁き声で話し出すと、平泉寺は腰を曲げ、スカーフを巻いた頭を低くして耳を老女の顔に近づける。
「ようけ分からんけどのぉ、昨日ぉPFC着た人らが、ここいらのマーケットにおったんを、見た人がおるてゆうてのぉ。」平泉寺は目を見開き、口を開きかけるが老女が話を続けた。
「あまり、大声で中の話はせんほうがええて。」平泉寺は視線を動かさずに口を閉じ、そのまま黙って頷いた。まっすぐに立ち直って老女の目を見つめると、今度は老女が頷いた。
「お御環(みわ)(地球環)がようけくっきり見えとるでぇ、明日も晴れるでの。」突然老女は声のトーンを変え、話題を変え、空気を元に戻した。
「ほならね、マホロ」すこやかは老女と一緒に手を振って平泉寺を見送った。

 ピックアップトラックのギアをドライブに入れて、アクセルを踏み込んだ。スピードがあがるごとに、ディーゼルエンジンの音は落ち着き、平泉寺の後ろには土埃が舞い上がる。
 なんだろう。この嫌な感じは。

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