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ぷるぷるパンク - 第8話❷

●2036 /06 /09 /11:26 /藤沢(芦原邸)
 
 しばらくすると芦原さんはウェットスーツのようなものを着て戻ってきた。芦原さんの子どもみたいな体の線が浮き上がって見えるので、ぼくはなんとなく申し訳ない気持ちになって、彼女から目を逸らした。
「ほら、これがPFCスーツ」と言うと、彼女は手に持っていたスーツをぼくらに渡した。
「やったー!」双子が声合わせる。
 芦原さんから受け取った黒いスーツは、しっかりした厚みから想定していたよりもかなり軽く、ほぼ重さを感じなかった。マットな質感で気持ちのいい手触りだったから、ぼくはそれを撫でながら、着替えられるような壁やらついたてやらをキョロキョロと探した。
 突然双子が服を脱ぎ始めた。
 ぼくの存在を無視するように、その場でぼくの姉ちゃんの服を脱いで、簡単に畳んで足元にちょこんと置くと、あたりまえのように全裸になった。
 
 ぼくは驚いて、部屋の仄暗い照明をやんわりと跳ね返すその美しく張りのある身体の曲線を、ただただ見つめていた。
 
ノース「見ないでよ。」
サウス「変態。」
 二人が思い出したように、腕で体の前を隠す。
「あ、いや、だって、いきなり」ぼくは急いで双子から視線を逸らし、こそこそと部屋の隅に移動して、こそこそと着替えた。「だって・・・。」
 もう、なんなんだよ。ぼくが存在してないみたいに扱っておいて、身体を見たら変態扱い。全く、なんなんだよ・・・。
 
 気を取り直して、ぼくはPFCスーツを顔に近づける。部屋を構成する冷たい金属と比べるとこの継ぎ目のないこのスーツは微妙にあたたかくて、干したばかりの羽毛布団に潜り込んでお日様の匂いに包まれたように気持ちがいい。微かに金木犀の香りもする。
 そしてスーツを足や腕に通して、へその上あたりにあるファスナーを首元まで上げる。
 ぼくや双子が着ている物に限っては、サイズに余裕があるのかもしくはストリートスタイルなのか体の線がそのまま出ることはなかったので少し安心した。
 三人がスーツを着て、芦原さんの指示通りに部屋の中央に集まると芦原さんが左手を上げた。
「左手首の内側の質感変わってるとこ、ここ、右手の親指で触ってー。」
 言われた通りに、質感の違うツルッとした部分に触れると、突然しゅっという音がして、一瞬締め付けられるような圧を全身に感じた後、その感覚が消えて元に戻った。
「おお、これこれ!」サウスが嬉しそうにしている。双子を見るとスーツが体にピタッと張り付き、綺麗な身体の線がくっきりと浮き上がっていた。ぼくは咄嗟に視線を下げた。なんか、おっぱ・・・。ぼくは咳き込む。なんか、なんか、これ、裸よりいやらしくない? いいの?  なに? なんなの・・・?
 動揺をかくせずにいたが、自分に置き換えてみると急に恥ずかしくなって、両手を体の前に出して後ずさった。
「よきですなあ」サウスが正面からノースの両肩を掴む。ほとんど跳ね上がりそうに喜んでいて微笑ましい。と少しの現実逃避を挟んでみる。さもないと、双子の身体の線にぼくの精神がやられてしまいそうだ。
「これ、めっちゃかっこいい! 写真撮って!」テンションマックスのサウスに対して、ノースはいたって普通のテンション。
「ほんとね」
 
 ぼくらが着替えている間、忙しそうに部屋の中を歩き回っていた芦原さんが立ち止まると、金属の床に規則的に並んでいたPUNKの放射能ハザードマークが黄色く発光し、その周りの半径一メートルづつの円が光で区切られた。そのうちの一つの中心に芦原さんが立つと、しゅうっという減圧音がして、彼女が立っている円の区域が10cmくらい下がった。
 ぼくらもそれぞれ指示された円の中央に立つと、それぞれの円が同じ音をたてて少し下がった。
 
「いいかな」と、ワクワク感をまったく隠しきれていない芦原さんが言うと、床に円状に埋め込まれた照明の光量があがり、それがすぐに天井まで届くと、それぞれが円柱の光るカプセルの中に入ったようになった。見上げた天井には、床と同じような素材の金属が同じように円状になっていた。
「じゃあ、いってみよう」
 三人はそれぞれ左の手のひらからタコ¾¾プラークリットを発生させ、それを握り潰す。全身が白い光で覆われる。そしてぼくらはアートマンに変身した。
 
「いいねー。そのままー。」
 いつのまにかヴィジョンゴーグルをしている芦原さんが変身した三人の間をゆっくりと歩き回りながら、何かを確認している。
「嶺ちゃんたちは1秒以内に変身したね。正確には0.74444秒。すごい。」少し背伸びをしてノースのうなじ部分を確かめた。
「おお、去年のモデルだ。サウスちゃんも同じ。さすが、速くなってるねえ」
「さっちゃんのもサマージの中では最新だよ」
「そうだね、今年出た最新と比べてもほとんど遜色はないよ。ほら、これ、見える?」
 芦原さんが指でなにやら空間を操作しているけど、そこには何も見えない。
「ほんとだ。」ノースが答える? え? 何か見えた?
「芦原さん、何も見えないです」
 自信なくそれを声にすると、芦原さんが口元に不思議そうな表情を浮かべ、ぼくの後ろに回り込む。
「これは、すごい。」
「え?」
「このロゴ。」
 
 芦原さんがぼくだけマスクを上げるように言うと、彼女の視界がヴィジョンを通して壁のスクリーンにミラーリングされた。
「ちょっと見てて」
 ぼくはマスクをあげて部屋の奥のスクリーンを見ると、そこには芦原さんの視界が共有されていて、まずは嶺ノースのうなじ部分についている、ピザの一切れみたいな扇形の中に同心円のアーチが入ったロゴが映し出された。
「これ、みんなが知ってるATMAロゴでしょ、そして、」芦原さんが歩いてぼくに近づく。
 ATMAロゴはよく知っている。それが全く知らなかったロボットについている、なんいていうか、すごく違和感を感じる。
 
 スクリーンにぼくのアートマンのうなじ部分が映し出される。
「これはちがうロゴだねえ。」正三角形の中に正三角形が三つある、三つ鱗のロゴだ。
「なるほどー。RTAか。」考え込む芦原さん。
「え? RTA?」双子が顔を見合わせる。
「サマージの?」
「そうだね、サマージに裏で資金や物資、兵器や情報を流しているRTAだね。2024年に設立されたアメリカの情報機関」
 芦原さんは操作ボードに戻ると、タッチペンを使って、ものすごいスピードで何かを書き散らかし始めた。それがひと段落すると、スクリーンには年表のようなものが映し出された。
 
 2025年 | ファーストモデル | シリア戦線 | ア軍援護・データ収集及び動作確認
 2027年 | セカンドモデル | 台湾解放戦線| ア軍アートマン部隊正式編入・前線で活動
 2028年 | サードモデル   | 中央アジア諸国間紛争 | (以下省略)
 
「これ、ATMAのアートマン開発史。アートマンは近年医療の現場では実用化され始めた義手や義足といった思考エネルギー、言ってみれば感情のエネルギーを変換させる反物質の実体化という面では夢の技術なんだけど、最初は兵器として生まれたんだ。」
 
 芦原さんは、後ろで腕を組んで部屋の中を歩き始めた。意味のない部屋のあちこちがスクリーンに共有されて酔いそうになる。
「2025年にファーストモデルをリリース、シリア戦線へ投入。そのあと、研究者たちがそれはもう一生懸命改善を重ねて今に至る訳だけど、実際ファーストモデルありきなんだよね。研究プロセスなんかはなにもなくて、突然存在したファーストモデルから、全てが始まっている。」
 部屋の左奥にある存在感のなかった台のようなものが静かに起動し、ホログラフィで立ち上がったファーストモデルから最新モデルまで3Dのモデリングがスクリーンの年表の前をくるりくるりと移り変わる。
「ファーストモデルが突然現れたわけだから、宇宙人や未来人からの技術提供なんじゃないかっていうトンデモ系の研究者たちもいたりする。」
 
「ちょっとスキャンするよー。」芦原さんがそう言うと、ぼくのいる円柱の中に天井から青い光の筋が降り注ぎ、その強弱を変えながら動きまわる。
 おそらく、その光がぼくの全身をスキャンしているのだろう。スクリーンの一部のウィンドウにプログラム言語? のような意味のわからない文字列が高速で羅列される。
 
「やっぱり。ほら、ファーストとほとんど同じ。存在が謎とされてきたプロトタイプ。」
 次に芦原さんは、操作ボードのバーチャルキーボードを叩くとんとんという音を鳴らしながら話している。スクリーン上に何か別のフォルダを開き、そこに現れた別の文字列をドラッグしてスキャンのウィンドウに入れると、何百もある文字列のうちの数行が点滅し始めた。
「ほお、年式的にまだヴィジョンが連動してない感じね。」
 
「Appleがヴィジョンゴーグルをリリースしたのが2024年。当時のヴィジョンには脳波スキャンがなかったんだけど、2025年にATMA-NEURA社が脳波スキャンを導入したゴーグルをリリースしたんだ。まだまだおもちゃみたいなレベルだったけどね。ファーストモデルにはそれが連動している。ってね」
 てねって、普通に話しているけど、話にうまく追いつけないのはぼくだけだろうか、と双子を振り返ると二人は必殺技の構えをして遊んでいた。
 
「はい、マスクかぶっていいよ。」首元のボタンを押すと、ぷしゅっといって後頭部からマスクが現れ顔を覆った。スクリーンに映し出されていたいろいろな情報が、ヴィジョンゴーグルをつけている時みたいに視界の中に見えていた。
「ビジョンが連動したよ。」骨電動ではっきり聞こえるようになった芦原さんの声にも感動した。
 必殺技の構えをして遊んでいる双子のアートマンに目をやると、ぼくの視界にはそれまでの情報に加えてさらに、二人それぞれの体に重ねて現れるターゲットマークや、動作予測ライン、そしてゲームみたいな体力ゲージまで現れた。ビューを切り替えると、今度はサーモグラフィのようなグラデーションのオーラが二人の体の周りに表れた。サウスのピンクのオーラは、サウスの呼吸にあわせて元気に動き、ノースの黄緑色のオーラはほとんど動いていない。
 
「おおすごい! って二人はこれでいろいろ見ながら戦ってたわけ?」
 双子のアートマンがぼくの方を見ているけど、表情まではわからない。そりゃあ、強いよ。
 
「なくてもさっちゃん勝てるよ」必殺技の構えのままサウスのオーラがヴィジョンの中で膨らんだから、慌てて視線を逸らした。
「そ、そうだね。ガンバルます。」語尾がカタコトになってしまい、研究室が静寂に包まれる。
 
「クズリュウくん。」
 その静寂を破るようにノースのマスクが上がるぷしゅっという音がする。ノースのオーラがヴィジョンの視界の中で急に不安定に動き始めると、素顔のノースがぼくに向けてゆっくりと話し始めた。
 
「あたしとさっちゃんはね、子どもの頃から裏って言われる方の社会で生き伸びてきた。暴力も盗みも当たり前の社会。
 あたしはね、あんたが言うように普通の子たちみたいに暮らしたいって、ずっと思ってきた。どこか遠くの国に行って、さっちゃんを学校に行かせたり、学校帰りにママのお見舞いに行ったり。
 空港が終わったら、そうするつもりだったんだ。」
 再びの沈黙が研究室を覆う。
 
「でもね、クズリュウくん。裏側から逃げ出したところで、どこに行けると思う? どこにも行けないし、表側になんて行きたくったって行けないんだよ。」
 悲しみと強さを同梱させた眼差しをぼくに向けるノース
 
「でもね、クズリュウくん。」ノースは繰り返した。
 
「あのセーラー服のあの子を見て、考えが変わった。なんとかなるんじゃないかって。常識が通用しないってことは、そこには違う常識があって、あたしたちが行きたいのは、多分そっち側にあるんじゃないかって。」彼女は視線を逸らして、別のどこかを見つめている。
 
「さっちゃんも、そう思った。」サウスが口を挟む。サウスのオーラはいつの間にか落ち着いて、ゆったりとした平和な波長に変わっていた。
 
「あたしたち三人はね、あんたも含めて、サマージとRTAに追われている。あの子の力を手に入れて、そうすれば、あたしたちはサマージもRTAもぶっ倒して自由になれる、はず・・・。」
 
 ノースの表情から、不意に自信みたいな強さが消えた。しおらしい。というか彼女もこんな表情になることがあるのかと思うと、なんだか意外だった。
 そして、自由・・・。自由か。そうか、そうなんだ。
 ぼくは・・・、ぼくは勘違いしていたのかもしれない。
 
 おそらく双子もぼくも、お互いが違う境遇の中で自由を求めていた。
 これは救うとか救われるとかではなく、自由を手にするかしないか、みたいな話なのかもしれない、理解が合っているかどうかは分からないけれど、きっと。
 
 ノースが続ける。
 「だから、君にはほんとに強くなってもらわないと困るんだよね。」
 彼女のスピーチは、サウスと比べると普段から物静かな部分があるだけに、空間にも、心にも響いた。
 
「なんか、ごめん。」
 ぼくは、なんだか泣きそうに胸が苦しくなってきて、謝罪が自然に口をついて出た。
 ぼくは二人のことを何も知らない。強くて、綺麗で、たくましくて、お互いを想う大きな気持ちがあって、そんな二人だ。
 そして、この二人には「生きていく意味」みたいなことがあって、今やそれでいっぱいに満たされて、それが今にも溢れ出しそうだ。「生きていく意味」が体を形作る表面の、肌とか髪の毛とか、目とか口とか、そんな人間の境界線の外側に溢れ出しそうになっている。
 それに比べて、ぼくは、ただ、何も考えずに生きて、勝手にヒーローを気取ったりなんかして、ただ、ただ、恥ずかしい。ぼくはマスクを上げて顔を出し二人を見た。
 
「アラシカ。」サウスがマスクを上げてぼくの方に向き直る。強く真っ直ぐな視線とたくましい表情がマスクの下から現れた。
 突然の名前呼びは、姉ちゃんのおかげなんだろうけど、なんだか、すっごい嬉しい。なんだか、ぼくは、赦されたような、そんな、気分。裏とか表ではなく、ぼくらは自由を求める同志なのだ。
 
「強くなってね。」そう言うと、サウスはすぐにマスクを下げ恥ずかしそうに表情を隠して横を向いた。
 
 ぼくは次にノースに向き直った。目が合うと、一呼吸後にノースは頷いてからマスクを下げ、彼女の表情は隠れてしまった。ノースの目は、気のせいか少し潤んでいるようで、それを隠すためにマスクを下げたようにも見えた。
 心拍数の急上昇がモニターされていない事を祈りながらも、昨日の大船のカフェから突然始まったこのドタバタ劇で、この人たちと共有している時間の中で、ようやく、そして初めて安らぎを感じている。
 
「そうと決まれば、サウスちゃんの必殺技を解析していこう!」芦原さんがぱんぱんと手を打ち鳴らして、湿った空気を吹き飛ばすと、何の前触れもなくアートマンに変身した。

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