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同胞を見つける喜び


どんな場面であれ、仲間を見つけると嬉しい。

ほんの些細なことでも、共通点を見つけると仲良くなれる気がする。

同じ世界観を持っているかもしれないと期待する。

もちろん見当違いなこともあるけれど、共感できる相手はいないだろうかと探す気持ちはやまない。

自分が誰とも異なる特別な存在でありたいという欲求と、同じ価値観をもっている人に出会いたいという気持ちは、誰しもの心に共存している。

更新される史上最高

SNSなどのメディアに触れていると、たくさんの人の考えや意見を目にする。

すると、自分と同じ考えを持った人というのは案外多いものだと気付く。

そこから仲良くなりでもすれば、「この人以上に気の合う人はいない!」と確信することになるだろう。

史上最高の出会いをしたと思う。

ところが人生とは不思議なもので、それほど確信したにもかかわらず、それ以上の出会いがあったりする。

これは対人に限らず、あらゆるもので同じことがいえる。

どんなに熱中したり大好きだと思うものがあっても、他へ目を向けている限りは新たなわくわくする出会いがあるのだ。

違いを感じる

いろいろなものを食べると舌が肥えていくように、体験も増えれば増えるほど比較対象や検討材料が増えて物事のよしあしがより鮮明にわかるようになる。

ある人と価値観が一致していると思っていても、より一層一致する人と出会えば違いが明瞭になる。

これは当初一致していると思っていた人との共感性が薄れるということではない。

新たな仲間を求めて

共感できる人を見つける楽しさを知ってしまったから、いろいろな人とかかわりを持ったりこれまで関わってこなかったジャンルに手を出すのをやめられない。

同胞はどこにだっている。

むしろ、自分が今まで関わってこなかったジャンルで仲間を見つけたときの方が感動もひとしおだ。

違った文化背景を持っているのに同じところにたどり着いた、その軌跡を知りたいと思う。

一か所にとどまっていれば安定安心かもしれないが、新しいことを知れば変化や恐れはあるもののその先に新たな仲間との出会いがたくさん待っているのだ。

同じことを憂い悲しみ、喜びたたえる仲間の存在は私たちを孤独感から救う。

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