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負荷を分散させるシステムが必要だ

コロナ禍で外出が自粛される中、私はありがたいことに(常時ではないが)在宅ワークをさせてもらっている。

すべての仕事をリモートにすることは不可能だが、リモート化はこれからも進んでいくだろう。

仕事に限らず、大学の授業もオンラインで実施されているところが多く、学業の場でも発展が見込める。

インターネットの普及

今回はコロナの影響で一気にリモート化が進んだが、インターネットの普及はそもそも目覚しいものだった。

小学校などの義務教育でも教科書のタブレット化が進められているし、これからはどこでも授業を受けられるような時代になっていくのだろう。

これは大変喜ばしいことだ。

病気など諸事情で通学が困難な生徒も平等に授業を受けることができるし、録画等の対応があれば振り返ってわからなかったところを簡単に復習できる。

オンラインではできないこと

そして、よいことばかりではない。

オンラインでは教師が休憩中の生徒の様子を知ることができない。

部活動など勉学以外の活動を知る機会が減ってしまうし、ちょっとした挨拶や世間話をすることもなくなる。

また、学校によっては給食が出ていた状況も、一変する。

そうした「今までは学校教育の場でできていたけれど、オンラインになるとできないこと」は、そのまま家庭に降りかかってくるのである。

誰が仕事を担うか

これが問題である。

今の時代は共働きが当たり前で、子どもがいても男女ともに社会に出ていくことが一般的である。もちろん共働きじゃなかろうとそれぞれが仕事をこなし、自らの役割を担っている。

そこに、これまで学校が担っていたタスクをこなす余裕などない。

結局、父親か母親のどちらかが無理をしたり仕事を休むなどの対応をとってしまう。

それではダメだ。

最も望ましいのは、その役割を新たな「職」として、給仕や生徒の道徳・倫理的教育を行う専門職が現れる(作られる)ことだろう。

この役割は昔ながらの日本であれば祖父母や地域住民だった。

今でもそれが可能な地域はあるし、核家族から少し離れた人間が関係を結ぶことが望ましいが、都心部など周囲との関係が薄いところでは難しい。

何れにせよ、働き盛りで現在進行形で仕事を担っている父母に、それ以上の負荷をかけることだけは避けるべきだ。

歪みは生まれるが解消される

何事も変遷期には問題が起きるものである。

本来ならもっときちんと制度として国が補助すべき案件なのだろうが、少なくとも今回のような急な「コロナ禍」の対応では家庭に負担がかかってしまっている。

「新しい生活様式」が定着していく中で、

「新しい働き方」
「新しい教育方法」

など、現状に即した新しいルールがさらに必要となってくるだろう。

今は苦しいというところもあるかもしれないが、世界は徐々に変わっていく。

悲観せず、かといって楽観せず、きちんと問題を見据えて行動してほしい。

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