「質問返し」が嫌なのは信頼関係がないから
質問に質問を返す人がいる。
私は質問返しをしてくる人のことを嫌いだなと思うことが多いのだが、私自身は質問返しすることが多い。
なぜ自分は良くて、他者の質問返しには苛立ちを感じる場合があるのかを考えてみた。
話し合いは双方の意見あってのもの
些細な会話では意識しないかもしれないが、基本的に話し合いを行うとなれば双方のフラットな意見が必要となる。
互いが前提条件を正しく理解し、同じ土俵で話をしなければならない。
ただ話を聞いてもらう時や、一方が他方に説明するような場面であればこれは適用外だ。
私が質問返しするパターンは相手の質問の意図がわからない時であって、そのままの言葉を返すのではない。
前提条件が不明な場合や質問の意図がわからない場合だけなので、同様の質問返しをされても私は苛立たない。
対等さを損なっている場合
ところが、せっかく対等に意見交換しようというのに、私が質問した内容をそのまま「あなたはどうなのか?」と返してくる人がいる。
もちろん、私の意見を聞いても意見を変えないなら構わない。
けれど、過去の言動や振る舞いからその相手に対しては信用することができないのである。
私の言葉を聞いて意見を変えたり、私の言葉をそっくりそのまま返してきたりする。
相手のその態度が、卑下して気持ちを押し込めているようで可哀想で、嫌になる。
思うことがあるならそのまま言えばいいのに。
私は対等な関係を望んでいるのに。
相手によっては、「君の意見をそのまま通していいよ」という優しさによって意見を合わせにきているのかもしれないが、それこそ悲しい。
私の望みは意見を通すことではなく、双方にとってベストな答えを探すことなのに、それができないからだ。
いずれにせよ、質問したことに対して素直な意見を言わない人は信用できない。
信頼できればなんでも話せる
結局のところ、「質問返し」が嫌なのではない。
相手の話し方を知っているから、先入観があってその先の展開を想像して嫌になるのである。
振る舞いひとつとか、言葉ひとつでどうこうなるものではない。
関係をきちんと結んでいれば、信頼関係があれば、些細なことで苛立ったりしない。
しかし、この関係を回復させるのは難しい。
互いに嫌な思いをしたくないのであれば、それこそお互いに対等に話し合う必要があるので、そこで質問返しをされていたら堂々巡りなのだ。
だからなるべく、最初から良い関係を築くのが一番。
こじれてしまった関係をどうにかしたい場合は、双方の努力が必須である。
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