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貶されて悲しいのは相手による。

好きなものを貶されると悲しい。

貶す(けなす)とは、つまり欠点を取り上げて悪くいうことであるが、そのような場面はどうしても時々発生する。

好み自体はそれぞれある

自分の好きなもの、魅力的に感じるものを、他者も同じように感じるとは限らない。

どんなものにも長所・短所はあるし、どこに着目して「いいな」と思うかは人それぞれだ。

欠点があるのはもちろん事実だし、それを否定するつもりはない。

当然ながら自分がされたら嫌なので、誰かが「好き」というものを悪くいうことはしないようにしている。

本来すべき行動

賛同しかねることは多々ある。

嘘をついて同調する必要はない。

しかし、相手を大切だと思っていたら、言わずにおくという選択ができるはずなのである。

「思ったから」
「事実だから」

そんなのは関係ない。

結果を考えてみてほしい。

目の前の人が好きだと言っているものに対して、マイナスな意見を言う。

そうするとどうなる?

きっと相手は悲しむだろう。
嫌な思いをするだろう。

それらを知った上で好きだよとでも返すだろうか。自明なのに。

そして、貶した側は、それで満足なのか?

そんな自分の意見を話して何になるのだろう。

結局相手による

とはいえ、見も知らない人が貶す発言をしていたとしても、きっと気に留めない。

どうでもいい相手からだったら、こちらも気にしないだろう。むっとしても、関わりをたてばいい。

好きな人、関わりのある人たちが言うから、悲しくなるのだ。

自分が好きなものを、好きな人にも好きでいてもらいたい。
きっとこれはわがままだろう。

だけど、そういう気持ちが「好き」ということだ。

せっかく関係を持ち続ける相手のことは、なるべくお互い傷つけずに、いらない事は言わずに、大切にし合いたい。

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