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だって、人間だもの

この世はいろんな極論に溢れていて、
昨今増えつつある、『個人の選択で食生活を選ぶ人』に対しても、様々な声が上がるし、選択をした人自身も自身の選択について各々の表現で発信している姿を目にするようになった。

私も1年前の今頃は、アクティビストさん達の投稿を引用して、自分の選択について共有していた。

でもとある時から、アクティビストさん達の表現方法に強い口調が多いような気がしてきたり、同意出来ない表現が増えてきて、共有するのを辞めた。

(ここで言うアクティビストさん達は、ヴィーガン・気候変動・動物愛護などを発信されてる方々です。)

同時に、なぜ私は、現代の動物性食品が溢れる社会の影響で起こるいろいろを知ったのに、未だフレキシタリアンという基本菜食だけど動物性も口にする食生活から脱出出来ないのだろう… と考えてみた。

すると昨晩、寝付く直前に1つの答えが降ってきた。

それは私が人間で、人類としてこの世に存在しているからだ。と、気づいた。

人として生きる以上、人を思いやり、人のために生きることが、生命体としてまず第一にある基本のように思える。

もちろん文明の発展によって人間が及ぼした、自然界への影響は許されるものではないし、人間中心になってしまった世界をもっと他との共存のに持っていくべきだとは思うけど、その過程で取り残される『人』が出ないように、人が人を思いやることを忘れてはいけないと思う。

だけどアクティビストさん達から聞こえてくる声は、
人間がどれほど愚かで酷い存在で、
人間以外の動物や、自然界を思いやれる人こそが正解、
みたいなニュアンスに聞こえちゃうんだよね。

「きっとこの人達は、人間嫌いなんだろーなー」って感じちゃって。

【買い物は投票】という表現をよく聞くようになって、確かにその通りだとは思うし、私も自身が納得いく&応援したい企業や商品には、買い物という形で民意を表明しますが、
自分が投票しない企業達の存在も忘れてはいけない。

だってそこにも関わる『人』がいて、民意が大きく変わることで、民意の支持を受けなかった人たちの人生はもしかしたら良くない方向に行くかもしれないから。

だから私は、ただ動物性を口にすることを減らしたり、環境配慮された商品を選択するだけじゃなくて、これまで&今でも民意のほとんどを支持を得ている、アクティビストさん達は「環境破壊」と攻撃するかもしれない企業や業種の人達のこれからを、同時に考えることを心に停めておこうと思うのです。

何かに優しくする一方で、何かを知らんふりするのは、違う気がするから。

まあ、市民レベルで何か出来るのか、分からないからもやもやしてるんですけどね。

(´・ω・`)

より良い未来への平和な移行って、どうやったら実現するのだろう…(ふわふわ)


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