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「大事なことだから」


「大事なことだから、一回しか言わない」
何度となく耳にしてきた言葉。

他者の話を一度で理解できないことは、悪いことだと思ってた。
何度も質問するのは自分の理解力や知識の無さの露呈だと、
そしてそれは恥ずかしいことだと思ってた。
聞き返すのが怖かった。
「こいつ分かってない」と思われるのが嫌だった。
正直、今でも怖いと思うことがある。
聞き返しても分からなかったらどうしよう?
相手が私と意思疎通を図ることを諦めたらどうしよう?という恐怖。
特に母国語以外の言葉でコミュニケーションを取るとき、未だにスムーズにはいかないことがある。
聞き返した回数、聞き間違えた回数、言い間違えた回数は星の数よりきっと多い。
単語すら拾えず、焦りからうまく喉が開かない感覚になって、ただ相手の目を見つめるしか出来なかったことは何度もある。

そんな時、何で聞いてないの?何で聞き返すの?と言われたことは今のところ、日本国外では、無い。
多少面倒くさそうな顔をされたことはあるけれど、ハッキリと言葉にして言われたことは一度も無い。

「大丈夫、ゆっくりでいいよ。」
「言いたいことはちゃんと伝わってるよ。」
「もう一回言うから、分からなかったらそう言って。」

恐怖で縮んだ気持ちを少しずつ開かせてくれたのは、いつだって暖かい言葉だった。


意思の伝達が、偽りのない気持ちをあなたに伝えることが、もっと簡単だったらいいのに。
例えば、心の中をそのまま見せることができたらいいのに。
そうしたら自分がどんなにあなたにこの気持ちを伝えたいと思っているか、分かってもらえるかな。
でも残念ながら、未だに人体にはそんな機能はなく、まだ最先端技術も開発には成功していない(と思う。もし既に存在してるなら誰か教えてね)。
言葉で、表情で、身振り手振りで、表現するしかない。
全力を尽くしたとしても、聞き間違い、意味の取り違い、意図のすれ違いを100%避けることは出来ない。


そんな中で「一度だけ」にこだわる理由がどこにある?
集中して聞いてほしいから?
そもそも大切な話なら、話し手の発言を理解したいと聞き手が思っていれば、そんな前置きをしなくとも集中して聞くだろう。
集中したとて、意思伝達が必ず上手く行くとも限らない。

では「一度しか言わない」と言うことで話し手が得られるものはなんだろう?
自分の発言は、貴重であると相手に思わせること。
相手を焦らせて圧倒すること。会話をコントロールすること。
相手より上に立つこと。
が出来る可能性がある(相手が反撃するタイプではない場合だけれど)。
相手が聞き取れなかった場合に、相手を責めることができる口実を得られるから。
「さっき言ったよね?一度しか言わないって」
「なんでちゃんと聞いてないの?」
これは決して健全な関係ではないと思う。
学校の先生、先輩、職場の上司、親、友人。
誰とでも起きうる会話だけど、この発言が出た場合、もはや会話の目標はわかり合うことではなく、命令のようだ。
まるでスパイ映画のミッション伝達、一度聞いたら消えてしまう音声データのよう。
でも私達の日常がそこまで緊張に満ちている必要はない。
目の前の人との会話は、リスニングとスピーキングのテスト、ではない。なぜなら「まだ正解が作られていない」からだ。
答えはまだ未来の中だ。
日常は、一度きりの試験ではない。
何度でも間違ってやり直せる。

「大事なことだから」、何度でも言う。
繰り返し形を変えて伝える。
結果として、届くかは分からない。
それでも伝えなければいけない、という気持ちが根底にあること。
それがコミュニケーション、対話の真髄、だと思う。


ひとつひとつ、染み付いた考えを磨き直し、自分を写し、呪いを解いていく。そんな毎日。

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