因幡の白兎を知っていますか?
因幡の白兎をご存知だろうか? そして今「知っている」と心でうなづいた方に聞いてみたい。
「あの話のオチって、どんなの?」
恐らく9割程度の方が正答できないであろう。因幡の白兎の話は出雲の大国主の嫁取り話なのだが……最終的に大国主は兄弟神である八十神を退ける。
記紀神話体系に組み込まれている「皮を剥がれた兎」の話は、元来独立した物語であった。筆者はひょんな事からある会社を経営している旧家の方から「元の話」を聴く機会を得た。今日はそのお話をしてみようと思う。
因幡の白兎の話の前段、ウサギが一計を案じて海を渡るのに鰐(古語に於いてはサメを意味する)を並べてその上を渡るというのは、シベリア方面の人々にも伝わっているらしい。シベリアでは渡り終えた兎は猟師に仕留められてしまうという事だ。ある学者はウサギを若い女性の暗喩として、行き倒れていた女に乱暴したという話を提唱している。剥がれた皮とは着物の寓意であろうか。
それはさておき、遠方の美姫を嫁に迎えるべく旅立った神々。兄弟神に荷物を預けられ遅れてやって来た大国主はうつ伏せになりシクシクと泣いているウサギに出会う。ワニを騙して海を渡り、皮を剥がれた後に兄弟神八十神は、海水で身を洗い身体を乾かせば傷が癒えると嘘の治療法を伝える。それが故にウサギは全身にヒリヒリとした痛みを覚えて動けない。ここで大国主は身体を真水で洗い、蒲の穂を体にまぶすという治療法を教える。後に薬や治療の権能を持つ大国主らしい説話である。
さて、ここからだ。
神話における因幡の白兎のエピソードはあくまで皇統に関する正統性を陳述する目的なので、白兎は「美姫と結ばれるのは大国主だ」と予言して退場する。しかし、考えてみよう。八十神に騙されてメソメソ泣いていた「白兎」に何故予言の力が与えられたのか? なぜ唐突に兎は語るのか?
老爺は語る。
「それは、予言ではなく宣誓なのです」