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保険は必要か?保険不要論者が言わないこと。

不透明な未来に様々な不安が押し寄せる。その一つが健康の問題である。私は健康には気をつけている。日々の運動、健康食材の摂取等。それでもがんになるかどうかはわからない。

これから述べることは私のようにお金に不自由している者対象の話である。お金持ちで病気になってもいくらでもお金をかけられるとか、資産運用でその見込みがある方以外のための話である。


1.森永 卓郎「がん闘病日記」


がっちりマンデーを観た。森永卓郎氏が出ていた。憔悴のほどが見てとれ、痛々しく、見ていられない。

ご存じの方も多いだろうが、彼はがんになったのだ。同年代の方である。本当に年の近い方の動向には身につまされることが多い。

保険不要論を日ごろからおっしゃっていた。で結局3000万円ぐらい治療費がかかるとか月額100万治療費がかかるとかネットニュースで話題になっている。その著書にもこうある。

健康保険が適用される標準治療のなかでがんと向かい合うのであれば、【1】自己負担3割、【2】高額療養費制度、【3】医療費控除の優遇策により、がん保険は不要      

森永 卓郎「がん闘病日記」より


ところが、次の文章を読むと、

必要になるのは、・・・どうしても延命がしたい場合だけです。私の場合、・・・個人でがん保険に加入していなかったため、毎月預貯金が100万円ずつ減っています 

森永 卓郎「がん闘病日記」より


そしてさらには、

なまじ高額医療費制度の存在を知っていたものだから、保険診療の範囲内だけで十分だと思っていた・・・ がん保険の加入を検討しておく必要がある              

森永 卓郎「がん闘病日記」より


となっている。この一連の文章を読むかぎりどうしたって保険は必要という印象をうける。

彼の場合は健康保険が適用できない自由診療を行うというのでこんなにかかるということだ。健康保険の範囲内で完治できれば良いが、そうでないならいくら金がかかるかわからない。
(いずれにしてもお大事になさっていただきたい)

2.健康保険か自由診療か


以前も書いたが、日本は世界でも手厚い医療保険制度があり、医療費は安い。仮に高額であっても自己負担の限度額を超えた分が戻ってくるので、結果的に安くすむ、だから医療保険は不要だと言う保険不要論者がいる。しかし何が起こるかわからないことだから保険をかけるのである。

私は様々な節約をしてきたが、保険だけは加入して月額費用を上げた。


がんになった知人が陽子線治療(300万ぐらいかかる)を行ったらしいと聞いた。知人は医療保険にはがっちり入っており、とにかく関係する治療は何でも行っているようである。がんが治る薬、手術等あらゆる最新の医療技術の進歩の話を聞く。しかしそれらのほとんどは健康保険ではカバーできないのだ。

もし自由診療が必要な状況になったら?例えばカミさんがもしそうなったら、お金の心配などしている暇はないと思うのだ。全力で何でもいいからあらゆる治療を受けて欲しいと思うし、


個室で治療を受けると健康保険でカバーされず、お金が別途かかるとか言っている場合ではないのである。抗がん剤で髪の毛が抜け、苦しみの中、せめて個室で看病したいと思うのは当然である。

それがもし自分であったら、同じである。あとに残る家族の資産を医療費で削減して欲しくはない。そういう心配を最小限に抑えるために保険に入っているのだ。

3.保険というのものの意義~保険不要論者が言わないこと


不透明な未来において確かなことが一つある。日本の人口は減り続けていることである。減少しつづける日本の医療保険体制は盤石とは全く言えないのだ。

今後、保険料負担の引き上げや、公的保障の引き下げが続けば、「3割負担や高額療養費制度自体が見直される」といった未来も遠くはないように感じます。

医療保険の不要論者である筆者が医療保険に加入した理由|医療保険の再整理https://route100.jp/article/5813


というような人口減少に伴う未来への医療保険体制への不透明感もあるのだ。


もっと言えば保険不要論者の視点に決定的に欠けているものがある。それは自分がかけた保険金が自分に戻ってこなくてもどこかの誰かの役に立っているということだ。保険というのは相互扶助の精神から始まったのだ。私の保険金は私が一生健康で不要となっても、誰かの役には立っているのだ。一定の割合で瀕死の病気にかかる方は必ずいるのだから。

保険とは決して保険料と治療費の費用対効果だけでその必要性を測るものではないのだ。

      (何度も言うが私は保険会社の回し者ではない。
         先行き短い高齢者の一人にすぎない)

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