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後からわかる「どん底」の温かさ

「好きこそものの上手」とは言いますが、ことキャリア形成という観点からすれば、どんなに好きなことを柱にしても、大好きぃ♪ ワクワク♪ 楽し~い♪ というポジティブな感情・感覚だけでやっていかれるはずはないという、ごく当たり前のことに気づくまで、私は大分時間を費やしました。

子供時代・学生時代は、成功している人の栄華の光だけに目を奪われて、その水面下にどんな痛みや困難が広がっているのかを想像もせず、表面だけを見て羨ましいと思っていました。好きだから始めた習い事などでさえ、何となくつまらないなぁと思い始めると足が遠ざかり、また別に興味をひかれることが出てきたりして、意識的・無意識的にそれらしい理由をつけて、止めてしまっていました。

そして、そのまま社会人になり、30代半ばになり、器用貧乏というコンプレックスを抱えるようになっていました。

"自分には秀でたものが何一つない" そんな時に出会ったコーチングが新しい扉を開くきっかけに

「何一つ人より秀でたものがなく、自分には特筆すべき長所もない。好きなことが何かもわからない。今の仕事じゃないことだけはわかるけれど…。」

なんとか自分を変えたいと願っているものの、転職する自信はない。海外生活へのあこがれは夢のまま、借金して留学する勇気もなく、赴任させてくれない会社が悪いと愚痴をいい…このままではダメだとわかっているけれど、どうすればいいのかわからずに悶々としていました。今にして思うと、「自分には何もない」という思い込みの中で絶望的になって「どん底」に座り込んでいたようです。

コーチングに出会ったのは、ちょうどそのころでした。私のことをとてもよく理解してくれている心の友から、「コーチングっていうのがあるよ。木村に向いてるんじゃない? オンラインで学習できるみたいだよ」と勧められ、2000年の11月ごろになんとなく説明会にいったのが最初です。短くて1.5年、長くて3年で学ぶコースを紹介されました。60万円近かった受講料は、なけなしの貯金を全部投入することを意味しましたが、なんとなく、これにかけてみよう!と踏み出しました。

学び始めて最初のころは、色々なインプットが刺激的です。納得感もあり、忙しい会社勤めの時間をやりくりして、高いモチベーションでどんどん進みました。しかし、一年半もたつと中だるみが来ました。なんとなくやる気がわかず、ガクンと興味が薄れて、コーチングの勉強のために時間を割くのが億劫になりました。

ふと、「なんだかつまらなくなってきたな、面倒だなぁ」という思いが頭をよぎったとき、「あ“(汗)!」と気づきました。

ある時気づいた、自分の中に存在する"無意識的な器用貧乏”のパターン

「なんでもこうやって、“なんとなく”始めて、“なんとなく”やめてきたんだ…」
私がそれまでの人生でずっと繰り返してきていた、“無意識的な器用貧乏”のパターンが見えて、サイクルの入り口のワクワク感と出口の倦怠感がいつも同じ感覚だったことが一気に明らかになりました。


だから、結果的に何も形をなしていないってことね。
せっかく始めて一年半もやったコーチングも、今やめたら、また何も持っていない自分に逆戻りしちゃう。もう器用貧乏はまっぴら!ここでやめちゃだめだ!!

そう思って、意識的に “続けること”を選択したことを今でも覚えています。
初めて、なんとなく(無意識的に)ではなく、はっきりと(意識的に)決意しました。

どうしてもやらなきゃいけないわけではない。
面倒くさいし、やりたくない。
そこへの興味も、熱意もない。
けれど、将来の自分の為に今は踏ん張ると決めた、私にとって初めての感覚でした。

そして、なるべく長く続けられるようにするために、自分のモチベーションを支えられるようにするために、その当時、将来これを達成できたら自分で自分を認められる、もう努力をやめてもいいよと大手を振って言えるような、思いつく限り高いゴールを設定しました。それは、国際コーチ連盟(ICF)のプロフェッショナル認定コーチ(PCC)の資格を取得することでした。

当時のルールでは、PCCを受験するには今自分が受講しているコースを修了するだけでなく、コーチングを750時間提供した実績がなくてはなりませんでした。そのうち90%以上は有料セッションであることが前提です。会社勤めをしながらですから、いつ受験できるようになるかは皆目見当のつかない目標数字でしたが、とにかくそれをゴールにすることにしました。

”脱器用貧乏”の意識が、見せてくれた景色

一足飛びにトロフィーが手に入るわけはありません。それ相応の時間がかかります。毎日小さい歩幅で歩き続けていかなければ、遠くまで行くことはできません。

手始めに国内のエントリーレベルの資格試験を受けるために、無料で実験台になってくれるクライアントを探しました。声の掛けやすかった実の弟や叔母、会社の同僚などを含む5人に3ヶ月のコーチングを提供させてもらいました。一生懸命さだけが取り柄だったと思いますが、人が気づいたり変化したりしていくのを支援できるコーチングという関与が楽しくなってきました。受ければ誰でも受かる試験でしたが、それなりに達成感がありました。

その後すぐに、自分のコーチからその上の資格を取ることを勧められました。当時その試験機会は一年に一度しかなく、次は4ヶ月後でした。当然私は来年を想定して話を聞いていましたが、彼女はまだ4ヶ月もあるよ!と今年のチャレンジを勧めました。その時点の私が受験要件を満たすには、すぐにでも新規に10名のクライアントを獲得して全員と3ヶ月契約のセッションをスタートする必要があります。


もちろん、コーチは私に選択権をゆだねてくれました。少しだけ悩みましたが、「ダメ元でやってみよう」と決めました。勇気を出して自分自身とコーチングの効果を売り込む資料を作り、周囲の人のつてを頼ってクライアントを大募集しました。火事場の馬鹿力が発揮され、3週間ほどのマーケティングで一気に10名を獲得。そこから3ヶ月ずっと、出勤前の平日の朝・帰宅した後の夜・週末、ほぼすべての空き時間にコーチングセッションをやり続けました。かなりな促成栽培でしたが、ラッキーにも合格できました。

以前の“器用貧乏パターン”で生きていた私なら、「もうこの辺でいいな」ときりをつけていたかもしれませんが、底を打って“脱器用貧乏・国際コーチ連盟PCC獲得”を強く決意していた私は、かえってここで弾みをつけることができました。自然に、以前とは逆の思考パターンが動き出していました。ここまで来られたんだから、もっと行ける!

PCCに挑戦するには、有料のコーチングを提供しなくてはなりません。会社は当時副業禁止でしたので、規定の例外措置を適応してもらう必要があります。人事で門前払いを食わされたくなかったので、一足飛びに社長にアプローチして、私がプロコーチになることがいかに社員と会社への貢献になるのかをプレゼンテーションして売り込み、OKをいただきました。そして、2003年から、サラリーマンとプロコーチの二足の草鞋の人生が始まりました。

実際にPCCを受験したのは2007年の秋。ちょうど会社では人事担当の執行役員として評価制度・給与制度を含めた大幅な人事制度の改革を敢行しようとしていた年でした。会社の仕事で睡眠時間もままならない中、PCC受験の申請準備はかなり苦しい戦いでした。
アメリカ出張の往復のフライト中に、自分のコーチングセッションの録音60分×6本を聞き直し、寝ずに提出用の資料を書きました。あの時あれほどの集中力で頑張れたのは、「あの時もう少しだけがんばっておけばよかったのに…」という後悔は金輪際ごめんだ!という強い思いのおかげです。まさに、自分を証明したい一心でした。

あの時の「どん底」に支えられ、後にもたらしてくれたもの

あれから10余年。PCCの上のMCC(マスター認定コーチ)となった今は、さすがに、自分を証明することのためにコーチングをすることの害悪を心得ているつもりです。それでも、あのがむしゃらさが今の私の原点であることを認めざるを得ません。

後悔と劣等感でできた「どん底」が、実はこれ以上なく強く温かく私を励まし、支えて、大きく育ててくれました。

あなたは、どんなことにコンプレックスを抱いていますか?
そして、その痛みから、あなたはどんな恩恵をうけて、どんなリソースを培ってこられましたか?

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