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「明るい北朝鮮」と呼ばれて

光と影の間でぎっこん、ばったんを繰り返していた私の、苦い経験をお話します。

私は幼いころから、いつの間にかリーダーになってしまうタイプでした。小学校ではクラスや学年の行事などで、学生時代は部活動などで、先生や仲間からの推薦をいただきました。全く知らない人達同士で何かを始めるときにも、その場でしばらく沈黙の探り合いがあった後、何となくみんなの視線が私に集まって、「じゃあ、私が……」となります。

リーダーとしてやるからには、「きちんと結果を出さなければならない」と責任を背負い込んで緊張し、肩に力が入っています。周りが自分と同じ体温ではないことにイライラするものの、自分のそうした感情をきちんと扱うこともなく、「じゃあ、私がやるからいいよ」となり、仕事量もフラストレーションも増えていきます。そのうち、自分が独りだけ頑張っている気がしてきて、疲労感、孤独感、怒り、悲しみなどの否定的な感情が色濃くなります。これが全体主義的なリーダーシップに偏っているときの私の顕著な傾向。

外資系企業の役員時代の私の重要な業務の一つに、自社の企業変革のリーダーシップをとり、社員のマインドと行動をシフトさせ、成果の質を転換するというミッションがありました。心から信頼し合える素晴らしいチームに恵まれ、会社を良くしたい、社員に笑顔で働いてもらえる環境にしたいと強く願いながら、彼らと知恵を寄せ合い、一生懸命でした。このチームで一丸となって、自分たちにとっては至極明確なビジョンとともに、様々な取り組みに挑戦しました。

でも、今にして思えば表面的・部分的な変化はあっても、全社レベルで根本的な変化を起こすことはできなかったように思います。


なぜ、会社を、組織文化を変えることができなかったのか?


退職してからも、その問いはずっと私の中にありました。そして、人や組織の変化を支援することを生業としたがゆえに、その問いは一層私に答えを迫る力を増しました。

そして数年後のある時、脳天から打ちのめされる感覚とともに、腑に落ちるすがすがしさをともなう、ある気づきを得ました。

なぜ私には、会社を、組織文化を変えることができなかったのか?

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