見出し画像

本当は逃げたかった…理想のリーダー(ウルトラマン)を演じた私が迎えた限界とは?!

前回の記事では、自分が描いた理想のリーダー像を演じきるために、ウルトラマンの着ぐるみを装着したセルフイメージを作り上げたお話を書かせていただきました。

今回はその結果として、引き起こされた予想だにしなかった事柄に触れていきます。

ウルトラマンの「光」を演じ続ける一方で、着ぐるみの中の心身は気がつけば限界に…

ウルトラマンという光を演じ続けていた私の身体は、着ぐるみのなかで悲鳴を上げるようになっていきました。実際にはそのサインはずっと前からあったのです。でも、ウルトラマンになりきっていた私は、それらを感知できなくなっていたようでした。


35歳になって会社の健康診断で初めて婦人科検診を受けた時、大きな子宮筋腫が見つかり、ほどなく手術をしました。
医師からは、「こんな状態で、よく普通に働いていましたね。相当な痛みがあったでしょうに」と呆れられました。
確かに長年ひどい生理痛を抱えていました。大きな仕事と生理痛が重なることが度々ありましたが、薬を飲めばなんとか我慢できる痛みになっていたので、特に問題視することもなく仕事を優先していました。


30代後半に競合チームのサブリーダーをしていたころ、慢性的な睡眠不足で、朝はめまいや吐き気に悩まされ、休日には眠りたいのに眠れず、夕方までベッドから出られませんでした。
深夜残業をして午前2時ごろ会社の前からタクシーにのり、行先を告げて静寂に包まれると、悲しくもないのになぜか涙があふれてくるのがいつものことになっていました。
当時は、まだメンタルヘルスへの社会的な理解がありませんでした。私は、仕事への気力がわかない自分を「根性が足りない」と責めていましたが、今思えば自律神経がやられていたんだろうと思います。


そして、限界がきました。
47歳の時、自分の生命保険や医療保険を見直して、とあるがん保険に加入しようとしました。本来は検診を受ける必要があったのですが、業務繁多で時間が取れませんでした。交渉の末、3年前の会社の健康診断の記録を提出することで審査してもらえることになりました。
しばらくして、その保険の査定部から手紙がきました。
「3年前にこの状態で、あなたの年齢だと、現在既に発癌している可能性が非常に高いため、弊社のがん保険をご提供することはできません」との通達でした。

「え?!私が癌?」

あまりのショックで、にわかには受け入れがたく、しばらくそのことを考えないようにしていましたが、やはり専門医で検査を受けることにしました。検査結果から、細胞の異形成がかなり進行しており、このままだとすぐに癌になると診断されました。


初めて “自分が死ぬ”ということを真剣に考えました。
もし病気を克服できたとして、この先にも人生が与えられるなら、私は残りの時間をどう生きたいのか?
真剣に考えました。
何がしたいのかはわかりませんでした。
外資系企業の役員という社会的地位も経済的安定も手放しがたいものでした。
でも、このままこの職場に留まってこれまでと同じ仕事をすることは、自分で自分を殺すことになる、それだけは避けたいと思いました。

そして、全く先が見えないまま、21年間勤めた会社を退職したのです。

ここから先は

2,804字 / 1画像

¥ 150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?