【読書日記】11/2(約1300字)
私の住んでいる団地では金木犀が満開になりました。道を歩くと、良い匂いが漂っています。先ほど窓を開けて部屋の空気を入れ替えたときも、かすかに金木犀の匂いを含んだ風が入ってきて、心地よかったです。
『ながいでしょ りっぱでしょ』はサトシンさんらしい絵本です。平凡なニワトリのところに、いろいろな動物が自慢にきます。例えば、象だったら、鼻がながいでしょ、りっぱでしょ、ウサギだったら、耳がながいでしょ、りっぱでしょというわけです。
ニワトリには自慢できるものがないように見えるのですが、でもーーー。結末は胸のすく展開です。どんな生き物にも自慢できるものはあります。それは人間も同じです。みんなの良いところを大事にしよう、というサトシンさんのメッセージに励まされます。
金子光晴と草野心平の2人が日本の詩人の中で一番好きです。金子光晴はどうしようもない女好きでした。それが分かる詩も、この詩集の中に含まれています。(それが特によく分かるのはエロチックな連作の「愛情69」)
同時に強靭な反骨精神の持ち主で、軍部の圧力に屈することなく日本人の後ろ暗いところを戦時中も書き続けました。この詩集にも収められている「おっとせい」が、そんな作品で同調圧力に弱い日本人を痛烈に批判しています。
ただ、この詩は自分にも批判の矢が向けられるところが素晴らしく、金子光晴の透徹した感性を感じます。
好色さと戦争反対は私の中では不思議と両立します。女性さえも殺してしまう戦争をこの詩人が好きになるはずはありません。多くの文学者が戦争賛美の作品を書き続けた中で、戦争批判を続けた金子光晴の姿勢には脱帽です。
女好きといっても、女性の心を弄ぶような人ではなかったことは確かです。「女への弁」という詩は「女のいふことばは、いかなることもゆるすべし」という表現で始まります。女のあやまちに動揺するな、と続きます。この優しさ。寛大さ。最後の連ではいかなる場合でも女性に寛容であれ、とさえ言い切っています。ただ愛することを知らない女は蔑め、と痛烈な言葉でこの詩は終わります。
金子光晴は人間が抱えているどうしようもない寂しさを、誰よりも理解していた人でした。実際「寂しさの歌」という詩も書いています。この詩人の詩を読んでいると、人間の心に開いている真っ黒い穴を、意識することになります。真っ黒い穴を抱えた人間同士が、つかの間それを忘れられるのが恋愛です。
でも金子光晴の詩は暗いものばかりではありません。ぬけぬけとしたユーモアを感じられるものもあります。そのよい例が「もう一篇の詩」です。尾籠な話で申し訳ありませんが、この詩は「恋人よ。たうとう僕は あなたのうんこになりました」と始まります。
そして、あなたのうんこになっても、全然構わないと展開していきます。この詩は読むたびに笑えるのですが、哀感も漂っていてしみじみとした気持ちにもなります。この笑いたいような泣きたいような味わいは、絶品です。
これは、詩作に打ち込み、多くの女性たちを愛し、向こう側の世界へ突き抜けてしまった金子光晴しか書けない詩です。
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