見出し画像

Moyo

ケニアのティカ(Thika)を拠点に、助けを必要としている子どもたちを支援しているモヨ・チルドレン・センターを訪問させていただきました。1999年に松下照美さんによって設立され、昨年2022年に松下さんが亡くなられたあと、佐藤南帆(ナミ)さんによって引き継がれています。

まず、モヨ・チルドレン・センターの子どもたちの家を訪れました。ナミさんから一通りの説明を受けたあと、壁側に一列で座っている子どもたちと対面で座りました。子どもたちの視線を一斉に浴びながら、人生でこれまで出会ってきた人間とは異質な空気を強烈に感じました。私は思わずたじろいで、目のやり場に困り、視線を泳がせてしまいました。それはケニアの路上を生き抜いて来た子どもたちの迫力だったのかなと思います。モヨにはいわゆる完全孤児はほとんどおらず、貧困、DV、薬物など家庭の問題からストリートに出た子どもたちを保護するケースが多いそうです。そんな中、タンザニアから母親と人身売買で売られてきた青年が現在子どもたちの家で全く身寄りが判明していない唯一の子供とのことで、人身売買はケニアでは全く珍しくないという現実に衝撃を受けました。唯一頼れるはずの母親もタウン(*1)で売春をしながらその日暮らしをしているそうです。人身売買で買われた子どもたちは売春、銃の運び屋(子供は捕まっても刑罰にならない)、物乞いの手助け(子供がいると稼げる)、そして少年兵など、、、

モヨ・チルドレン・センターにて

その後、ドラッグリハビリテーションセンターを訪れました。ストリートに出た子どもたちの多くは、シンナーを入り口としてドラッグに依存するようになります。子どもたちがドラッグから脱出するという目的のため、センターは都会の喧騒から離れた山の中にありました。私達が到着したとき、ちょうどダンスレッスンの時間でした。子どもたちはとても元気にアフロビートに合わせて踊っていました。しかし、子どもたちがセンターに連れてこられて警戒を解き、踊りといった自己表現をのびのびとできるようになるにはとても時間がかかるそうです。シンナーを吸う理由は、食べ物を買うよりも安いからです。また、小学生やそれ以下の年齢で親や頼れる人のいない状況への不安は想像を絶するものだと思いますが、そういった気持ちを薬物で紛らわすのだそうです。

子どもたちと昼食を取りながら、一人ひとりをよく見ると、子どもたちの顔や体にはたくさんの傷があることに気づきました。ナミさんはそれを、ストリートで喧嘩し、また警察の暴力を浴びてきた子どもたちの勲章だと表現していました。センターに来てすぐは、いざこざになると平気で刃物を持ち出す子どももいるそうです。特に印象に残っているのは、腕にナイフで大きくFUCK YOUと書き込んだ男の子でした。彼なりのファッションであり、不条理への怒りを体で表現しているように感じました。

ランチに子供たちが調理したチャパティとマハラグェ(豆料理)を頂きました!美味!

モヨは子どもたちにとって一時的な避難所であり、できるだけ家族(*2)で引き取り手を見つけることを大切にしています。しかし、その家族への返し方を適切に実施できないと、子どもが再びストリートに戻ってしまいます。例えば、子どもの学力が実際の年齢より大きく下回っているにも関わらず、世間体などから引き取り手家族がその孤児を年齢相応の学年に入れてしまい、勉強についていけず学校をドロップアウトしてストリートに戻った子どもがいました。また、ストリートで育つことでモラルの基準が社会一般とズレてしまい(人のものを勝手に使うことを盗みと認識しないなど)、学校の中で孤立してしまいストリートに戻るケースもあるそうです。ソーシャルワーカーと連携しながら、子供たちが家族やコミュニティと適切に自立してもらうこと、社会性を身に着けさせるための教育を地道に行うことが大切なのだと学びました。

モヨにおけるソーシャルワーカーの最も重要な役割の一つが、保護されたストレートチルドレンたちの身辺調査です。何が原因で子どもたちがストリートに出てきたのか?家族の中に引き取り手となるような人物はいるのか?どのような環境であれば子どもたちは家族に帰れるのか?これら調査をもとに引き取り手候補と徹底的に話し合いを行い、子どもたちが家族に帰る支援をしていきます。子どもたちの自己紹介(*3)の中で、ソーシャルワーカーになりたいと言っていた6歳くらいの男の子が一人いました。ナミさんも初めて聞いたそうで、驚きながらとても嬉しそうでした。まだまだ長い彼の人生の先でソーシャルワーカーとして巣立っていくのかは神のみぞ知ることですが、小さな希望の温かみを感じました。

Nzuri (グッド)👍

代表のナミさんは看護士時代に様々なNGOを訪ね歩く中で、松下照美さんの運営するモヨに出会ったそうです。家族のような雰囲気がとても好きで、モヨに関わり始めたとおっしゃっていました。子どもたち一人ひとりの名前とバックグラウンドを丁寧に説明する姿は本当に家族のように子どもたちへ寄り添っているのだなと感じました。一方で、外国人の支援でなりたっていることは歪なことであり、ケニアの問題は本来ケニアの人たちで解決していくべきだとおっしゃっていました。しかし、特に政府が現場とかけ離れた理想の政策や目標を立てるばかりでどうしようもないそうです。例えば最近8年以内に児童保護を無くすという宣言が出されたそうですが、8年以内にストリートチルドレンがいなくなるはずもなく、では代わりに誰が子どもたちを保護するかといった議論もなされていません。

モヨ(moyo)とはスワヒリ語で、心、魂、精神、などを意味します。名は体を表すと言いますが、松下照美さんの精神を引き継いで、子供たちの心の回復と自立に寄り添い続けるナミさんの温かいモヨを感じることができました。

Baadaye (またね!)

*1: タウンとはナイロビのCentral Business District(CBD: 中心業務地区)の通称。CBDといえば丸ノ内のような華やかなオフィス街をイメージしますが、ナイロビのタウンは売春や犯罪の巣窟です。
*2: サブサハラ・アフリカにおける家族の概念は日本と大きく違うところがあります。例えば、AさんからBさんを「私のシスター(姉/妹)」として紹介されたとします。このBさんがAさんと核家族の血縁関係にあるとは限りません。つまり、同じ母親から生まれた兄弟姉妹でないことはごく一般的です。日本人からすると顔も知らない遠ーーーーーーーい親戚が普通に家族だったりするそうです。
*3: ケニアで学校や児童施設を訪問すると、子どもたちの自己紹介で必ず締めに将来何になりたいかを言ってくれるのでしょうか?マゴソスクールでもモヨでもそうだったので他の学校を訪れることがあれば注目してたいです(笑)。モヨでは弁護士、パイロット、医師などいわゆるお金持ちが人気の職業だった印象ですが、ドライバーや車のエンジニア(修理工)など現実的な職業を言う子もいました。将来の夢にはトレンドがあり、誰か一人が言い始めると人気の職業になるそうです(笑)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?