国語力はなぜ大切なのか

国語力

皆さんが学校で聞いていたことがある言葉なのでなじみがあると思うが,とても抽象的な言葉だ.単純に文章を読む力,理解する力だが様々な分野で必要とされるスキルである.

今回国語力について書こうと思った背景にあるのは,私がセンター試験の国語で盛大にやらかしてしまったからだ.そして,その当時は単純に文章を読む力がなかったからテストの点数が悪かったと思っていたが,今思うと国語力が影響を与えているのは国語のテストだけではないことに気づいた.ここからは国語力の大切さを伝えていきたいと思う.

1 国語テストへの影響

言わずと知れたことだが,国語力がないと国語のテストでいい点が取れない.評論だけでなく,登場人物の心情を深く読み取ることが必要な物語文も読解することができない.

テストでいい点が取れないのは,全体を通して言えることだが,今読んでいる文章に注意しすぎて前の文章の内容を忘れて,つながりが見つけられないからだ.

国語力がない人でも集中しているれば,今読んでいる文章を理解することができる(めちゃめちゃ難しい文章でなければ).ただ,前の文章とのつながりを見つけられないことによって,瞬時に筆者の言いたいことが理解できず自分なりに解釈ができないのだ.だから,国語力がない人は要約もできない.

もうひとつの原因は,イメージだ.国語力がある人は文章を読んだ瞬間頭の中で映像を流すことができる.一方,国語力がない人は映像ではなく画像しか現れない.前とのつながりがなく流動性に欠ける.つまり,今に注目しすぎて次の文章を読んだとき場面が一気に変わったと感じ,置き去りにされてしまうというわけだ.

2 その他教科への影響

文章を読む力がないと,その他教科への影響も甚大だ.

理数系科目では,問題を読んだうえで解答に取り掛かる.また,問題に取り掛かる際はある程度道筋を立ててから問題を解き始めるはずだ.しかし,問題をとしっかり読めていないと,ゴールが見えない.目的がないのに行動し始めてしまう.これにより本質的にはそこまで難しくない問題でも難しいと感じてしまう.

英語も国語力が必要だと感じる.選択肢の中で2つまで選択肢を絞れたけどそこから解けなかったり(ニュアンスは同じだがその言葉の本質が違うう場合),文法問題は得意だが,長文問題は苦手ということがある.英語の長文問題はそもそも英語ができから解けないと反感を買いそうだが,それは違う.文章をイメージできていないのだ.そして,英語の場合はイメージに加え想像も追加されるが(文章を100%理解するのが難しいため).

つまり,東大レベルになると全部の教科ができてすごいといわれるのは,国語ができるからほかの教科もできるというわけだ.


最後に

私は高校時代を振り返ると,教科書を読んで理解したというよりは,むしろ先生がわかりやすく教えてくれたから内容が理解できていた.また,教科書を読んで一人で進められたことがなかった.

一方,大学の先生は授業がわかりにくい(そもそも教えるプロではないため).加えて,教科書もわかりにくい(言葉が難しい).そんな状況でも私は大学の難しい授業を一人で進めていくことができた(授業を聞いていなかったため一人でやるしかなかった).国語力が上がることで,独学も容易になり自分のスキルアップに役立つはずだ.


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