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【感想】辻村深月「噛み合わない会話と、ある過去について」

さて、これから感想文の記事を書き始めようとしているところですが、先にお伝えしたいことがあります。まだ全部は読んでいません。
こちらは短編集で、「パッとしない子」「早穂とゆかり」の二篇だけ読みました。
残りの二篇も読み終えてからやっと記事を書くのがベストだとは思いつつも、今日はこの二つの作品の衝撃が強すぎてこれ以上読めそうにないのと、今の気持ちをどうにか言葉にして残しておきたく、筆を取った次第であります。

尚、この記事は物語のネタバレを含みます。
これから読む予定のある方は、前のページに戻っていただけますよう……


こんなにも読んでいて精神的に削られる物語は、久しぶりでした。前に同じことを感じたのは、今年読んだ「傲慢と善良」を読んだ時で、こちらも偶然にも辻村深月先生の作品です。
いやぁ、辻村先生、すごい。感受性と攻撃性の強さ(褒めてます)がえげつない。

私はどちらというと、虐げられてきた側に感情移入しながら読み進めていたのだけど、こんなにも相手の心臓を突き刺すような強い言葉を向けても相手には上手く伝わらない、ということが、あまりに鮮明に書かれていました。
それと同時に、私自身もきっと自分の記憶にはないようなさりげなくやってしまったことで、もしかしたら誰かを深く傷つけていて、それが今もその人にとってある種「呪い」になっているかもしれない。
いつか自分がその呪いを真正面からぶつけられたら、どう感じるのだろうか。

この二つの物語では、昔はあまり目立たず、そのコミュニティの中では決して発言力や人望があったとはいえない人物が後に地位を築き、当時の彼らを知る「当時彼らより高い地位にいた人物」の目線が描かれるところから物語が始まります。

「パッとしない子」の美穂は教師として後の国民的アイドルである佑をパッとしない子だったと周りに話し、「早穂とゆかり」の早穂はカリスマ塾経営者となった同級生であるゆかりのことを霊感少女で痛い子だった、と言っています。

美穂は教師と生徒という立場だったこともあり、今の活躍を疎ましく思っているわけではない。
むしろ今をときめくアイドルの過去を知っている自分、を周りにアピールしたい気持ちが先行し、「みんなは知らない面まで私は知ってるよ」と示すためにも、パッとしなかった、おとなしかった、と周りに話しているのだろう。
自分だけが知っているのなら胸の内に秘めておけばいいじゃない?と思うかもしれないけど、いやいや、彼女らは、自分の言葉によって皆が知ってる有名人の解釈が変わった、というところに、また自分の存在価値を感じて喜んでしまうものなのです。でもそれは、まったく無意識のうちにやっていることでしょう。
誰かを通して自分をすごい人物に見せたい、という感情は、虎の威を借る狐という言葉があるようにあまりよく思われる行動ではありませんが、でも生きていく中で周囲の人物に自分という存在を認めさせたい!と願った時、時にそのように、滑稽とも言える形で現れることがあるものだとも思う。

早穂は小学校の同級生だったゆかりの活躍を、あまりよくは思っていません。あんな恥ずかしい過去を持つお前が、何をしたり顔で教育がどうがとか語っちゃってんだ、という気持ちがだだ漏れです。
お前なんか興味ないよ、というスタンスを周囲に対しても貫きたい気持ちはありつつも、本当はどうにか鎮めてやりたい。自分よりいい思いをしてほしくない。そんなふうに考えているから、つい周りに小馬鹿にするような話題を出して酒のつまみにしているのでしょう。
早穂は所謂陽キャで、ゆかりは陰キャでした。
やっぱり学校というのは自分が習い事や塾以外でほとんど唯一関わる社会で、そこでの地位がものを言う、というのはよくあること。
だからこそ陽キャに近づく、陽キャグループに入る、認められる、ということが、当時のゆかりが自分を肯定するために必要と考えた手段でした。それが「霊感がある」キャラを演じること。
早穂は後にこの出来事をもって虚言癖、嘘をついて傷ついた、と話しましたが、実際のところ傷付いてはいないと思う。傷がついたというよりは、面白くない、という感じかな。
きっと小学校時代のゆかりは、どんなに頑張っても早穂の地位にはつけなかった。霊感少女以外の手段を取っても、絶対に無理だったと思う。
あの時はそれが全てだったけど、人の人生は長く、それが全ての世界も続かない。
そこに救いを見出したゆかりと、それを面白く思わない早穂。
私の目にはそのように映りました。

自分は正しくて、正しいからこそ強者側にいて、正しいからこそそれを脅かす者は間違っていて、それは淘汰してもいい。脅かされた自分は被害者で、淘汰することは加害行為じゃない。そう思いたいんでしょ?

でもね、そう思ったとして、相手の立場からしたら加害されたってことになるんだよ。それは被害妄想?
どうしてあなたの視点で起きたことが真実だと思えるのだろう。この世界にはあなた以外にもたくさんの視点がある。どれか一つだけが正しいなんてことが、本当にあると思う?

佑とゆかりに感情移入して読み進めていくと、美穂と早穂のあまりの理解の無さ、ここまで強く言われても自分は絶対に悪くない、他の誰かが悪いはずだ、と主張したり、心の中で考えている描写に苛立ちを覚えます。
きっと辻村先生も意図的にこのような強い言葉を使っているのだと思うし、読者として苛立ちこそ感じるものの、言われた直後は私もこう考えてしまうかもしれない、と思いました。
この二つの物語は、昔の出来事について掘り返された直後で終わっています。なので、この後に自省して自分の悪さも振り返ったのか、はたまた相手が悪いと言い続けているのか、それは分かりません。
直後の感情としては私も同じようなことも思うかもしれないな?というのが、正直な感想です。

自分は間違っていたと認めるのはとても苦しいことで、それが過去の出来事であったとしても、今の自分を形成する一部である過去に誤りが見つかってしまったら、今の自分が崩れてしまうかもしれません。
あの時の自分は実は間違っていた、あの時正しいと思ってした行動は実は間違っていた、と自覚しそれを認めることは自己否定になり、自分自身を嫌いになることにも繋がる。

私たち人間は悲しいことに賢くなりすぎてしまい、ただ生きる、ということができません。ただ三大欲求を満たし続けるだけで生きられるほど、強い人ばかりではありません。
だから自分という存在を認め、社会にも自分を認めてほしいという欲求がある。
それが満たされなかったり却下されてしまうようなことがあった時、周囲には滑稽に映ったとしても否定したいという気持ちが湧き起こるのは、生物学的にも(生物学のこと何も知りません、ごめんなさい)普通のことなのかも…なんて思ったりします。

だから、やっぱり腹立たしいけど、美穂と早穂の感情もまた、仕方ないものかもしれないと思います。

佑とゆかりが黙っていなきゃいけない義理もないでしょう。
彼らは、必ずしも相手は意図していなかったとしても、人格否定と取られるような言動行動を受け取ってきた。
相手はきっと無意識で、むしろ無意識だからこそ、相手にそのように大きいこととして捉えられ今自分に復讐しているという事実を受け止めきれず、「被害妄想だ」「曲解された」と思うのは無理はない。
でも同時に、この世に被害妄想も曲解もない、とも思う。

人それぞれ自分だけの感情があり、受け取り方も違います。違っていいんです。
こう捉えないといけない、こう思わないといけない、なんて、ものはない。
人の感情までもコントロールできるものだと思うことはとても危険。
意図したように伝わらなかったとしたら、それは、受け取り方を間違えている相手が悪いのか?
それとも伝わるような伝え方をしなかった自分が悪いのか?
きっとどちらも悪いのでしょう。どちらか一方じゃない。

悪いのはどっちか?なんて問いをよく見るけど、どちらか一方だけが正しかったり間違っていることなんてそうそうない。
一方的な加害者もいなければ、一方的な被害者もいない。

白黒ハッキリつけられなくてグレーな状態は落とし所がなくて気持ち悪いけど、でも人生の中でそんなことってたくさんありませんか。

もちろん、仕事だったり、時間が決まっている中で何かを決めなくてはいけないシーンは存在するから、そういう時はエイヤで白黒ハッキリさせることもあるでしょう。
でも、私はこれを、誰々は加害者だとか被害者だとか、正しいとか間違いだとか、人の存在意義や価値にまで展開してハッキリと線引きをしようとする風潮がとても怖い。

人は一人では生きられないのだから、時に人に自分を正当化して示す必要があるようにも感じます。
自分は「正しい側」にいると思い込んで安心したいこともあるでしょう。考え続けるというのは、ものすごくエネルギーの要ることだから。
でも、そうなってしまった社会の被害者でもあり加害者にもなろうとしている自分を、もう少し俯瞰して見ることはできませんか。
俯瞰しすぎる必要はもちろんないし、あなたはこうするべき!というベストなラインを私が示すことはもちろんできませんが、もう少し、自分の言動行動の影響力を思い返すことはできませんか。

全員にそれをやれということは言えませんが、少しでも自分のことを見直してみたい、違う視点を持ってみたい、思う人が、きっと本を手に取る人には多いんじゃないかな…と思ったり。
小説って自分とは違う視点で物語の中に入って、違う人の人生を体験できるようなツールだから。

この社会の中で強者になることにはたしかに意味があります。でもそれが全てですか?
これを全てにしていない人もいるということ、そのような人も存在していいということ。それを考えてくれる人がもっといたらいいなあ…なんて、私は思います。

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