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【小説】ダイアログ(4)

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  四

 私の見た最後の母は、いつも通りの優しい笑顔だったように思う。またランドセルの蓋が開いてるよと、靴紐を結ぶ私の後ろから声がして、パタパタとスリッパの音が軽やかに近付いてくる。そのまま立ち上がる頃には音はすぐ近くまで来ていて、私の背後でピタッと止まる。つんっと肩に力が加わるのを感じると、ランドセルの蓋のマグネットがカチッと音を立ててくっつき、またカチッと鳴って錠がかけられる。

「はい、大丈夫」

 両肩を軽く叩かれてから振り向くと、母は私を抱きしめながら「今日も大好き」と耳元で囁く。その声は真実だけで造られているみたいで、幼い私には永遠に届け続けてほしいと願うほどに甘く優しく響いた。「私もママ大好き」と返すと、母は軽く頷いてからそっと腕を離し、いってらっしゃいと手を振った。まだ暑さが本格的になる前の、六月二十二日だった。
 毎朝のことだから、てっきりそのまま永遠に届け続けてもらえるとばかり思っていて、特に印象に残すなんてことはしなかった。だからなのか、肝心の母の笑顔を思い出そうとすると、それがその時その瞬間の母の顔だったのか、それとも既に朧気になり始めている記憶を補う為に、写真や動画で残されている母の顔を当てはめているだけなのか、ひょっとしたらあの時の母は笑顔なんかじゃなくもっと違った表情をしていたのか、今はもう全くわからなかった。
 それでもきっと、母はいつもと変わらない美しい笑みを私に向けてくれていたのだろう。何か明確な証拠があるわけでもないのに、唯一耳にこびりついて離れない「今日も大好き」の鮮明な響き一つだけで、母が私に特段の愛情を注ぎ続けてくれていたことを信じて疑わずにいる。

 その日の夕方、学校から家に帰ると玄関の鍵が閉まっていた。いつも車と塀の間に置いてある母の自転車が無かったので、まだ買い物から帰っていないのかなと思い、背中からランドセルを下ろし、それを椅子がわりにして図書室で借りてきた「おさかな探検隊」を読みながら母の帰りを待った。リーダーのフィッチが珊瑚の間に謎の洞窟を見つけて、覗き込んでみたら中にいたウツボと目が合ってびっくりしたあたりで、会社にいるはずの父が何故か道の向こうから走ってきた。息を切らし大量の汗をかきながら「ママのところに行くぞ」とだけ言い、私を車に乗せた。車中一言も話さない父の様子を見て、子供ながらに言い様のない恐怖を感じ、母に何かあったのだろうかと思いながらも聞けずにいた。
 いつも風邪をひいたときに行く近所の病院とは違い、マンションのように大きな建物の駐車場に車を停めると、私は父に手を引かれて中に入った。ここで待っててと言われ、黄緑色のベンチに腰をかけると、高い天井に響き渡る話し声や前を横切るストレッチャーのカチャカチャという金属音の反響がやけに耳について痛かった。夕方頃の病院はまだ人が多く残っていて少し賑やかで、もしかしたら母がこの中のどこかに座っているのだろうかとキョロキョロと辺りを見回したけど、どこにもその姿は無かった。受付から戻ってきた父に再び手を引かれて、私たちはエレベーターで地下へと向かった。
 一階の賑やかさとは打って変わって、地下のフロアは静寂で耳が痛かった。白衣を着た三十代くらいの男性がこちらですと言って白い扉を開けると、静寂の密度が増した空気が私達のほうに流れ込んできた。明るい部屋の真ん中にはベッドが一台置いてあり、そこに眠るように目を瞑る母が横たわっていた。母は少し血色が悪いようにも見えたけど、それ以外にはいつもと変わらない美しい顔をしていた。長いまつ毛の一本一本は扇形に広がって、小ぶりな鼻はすっと筋を通したようにまっすぐで、薄く口紅の塗ってある唇は、真一文字に閉ざされていた。蝋人形のようにも見える母の姿が現実のもののようには思えなくて、私は今何を目にしているのだろうかとしばらく考え込んでしまった。
 父が私の手を握ったまま母に近づいていくので、私もそのまま一緒にベッドの横に立った。父は母の頬に手を伸ばすと、小刻みに震えながら何度も上から下へとゆっくり撫でた。

「冷たいね」

 喉の奥のほうで父が呟くと、足元にポタポタと水が垂れてきた。父の泣き顔は何となく見てはいけないような気がして、私は床に落ちてくる涙の跡が増えていくのをじっと見つめた。部屋の寒さに軽く身震いをすると、そういえば今日は母がつい先日買ってくれた新しい夏用のワンピースを着ていたことを思い出した。今朝、これを着ているところを見せられて良かったなと、割とどうでもいいことを思いながら、私はまた目の前にいる母を凝視した。胸の前で組まれている両手の間に、小さな緑色の葉が一枚挟まっていた。強く握られていたのか、折れた部分は濃く色が変わっていて、まだ死に抗っているみたいだった。それは生きようとする意思そのもののようで、直に枯れてしまうのは確実なのに、生えているとき以上に生き生きと輝いて見えた。握り締める母からは、その気配を感じられない。きっとここが生死の境なんだろうなと思うと、母が亡くなったことが現実のものとして私の中に渦巻き始めていた。それでも、泣き出したり遺体に抱きついたり、そういった情動的なことを一切しなかった私は、まだその時点で母の死を受け入れることができなかったのかもしれない。
 お互いに無言のまま帰宅をすると、そのまま食卓に向かい合って座り、父が状況説明をしようとしてくれた。文字通り状況をただ淡々と説明しようとしてくれたのだけど、時折声を詰まらせたり、何度も鼻をかんだりしながらだったので、何とか冷静に努めようとしてくれていても上手くいかないみたいだった。その度に、私のほうは益々冷静さに拍車がかかり、父の動揺につられないようにしようと身構えながら聞いていた。
 母は横断歩道で信号待ちをしていて車に巻き込まれたそうだ。左折しようと曲がった車が歩道にそのまま突っ込んできて、母の他にも小さな男の子とその母親、外国人観光客のカップルが巻き込まれた。車が最初に衝突したのが母の自転車の前輪で、そのまま転倒した母は頭を強く打ったまま、車が停車するまでの約五メートルを引きずられていった。他の被害者は皆一命を取り留めたものの、男の子はまだ意識が戻らず、カップルの男性はまだ声を出せずにいるらしい。そして、母だけが死んでしまったのだ。母だけが、その場から命を奪われたのだ。運転手の情報なんかは、後で警察から詳しく聞いてくるからと父は言っていたけど、その後私に教えてくれることはなかった。私もあまり加害者のことを知りたくなかったし(知ったらきっと、そいつを見つけ出して刺し殺すと思う)、母が死んだということ以上に知らなければならないことなんて無いような気もした。

「明日からしばらく学校はお休みね。今日は、もう寝る?」

と父が涙目で聞いてきたので、私は少しでもいつも通りでいたくて首を横に振った。

「お風呂入ってくる」
「そ?じゃ、入っておいで」

 自分の部屋のドアを閉めると、真っ暗なままゆっくりと息を吐いてみた。微かにお腹の上のほうが震えているみたいで、私は全くいつも通りじゃなかった。母が死んだ。もう明日から、何ならもうすでにこの瞬間から、母と一緒に生きていた私はいなくなった。全然実感なんか湧かないのに、体はそのことを思って震え続けていた。それなのに、涙だけは一滴も出てこなかった。

 お葬式自体の記憶は、正直あんまり残っていない。見たことのない女の人達が泣きながら私達に頭を下げて、次々にお焼香をしていく姿や、何か励ましのような言葉をかけてくれる人の憐れんだ涙声なんかをぼんやりと思い出せる程度だった。年齢的にはもちろん死ぬことがどんなことかを理解はできていたけど、母が実際にいなくなってからまだ三日と経っていなかったものだから、私達の今後の生活がどんなものになるかなんて想像すらできなかった。
 ただ、母を愛してくれていた沢山の人達が、泣きながら別れを告げていく姿を眺めていると、この瞬間この人達の中で母は死んだことになるんだと思ったことだけは、強く心に残っている。死んだからお葬式をするんじゃなくて、お葬式をすることで母が死んでいくような気がした。参列者一人一人が母を無理やりに成仏させようとしている。元気でねとか、ありがとうとか、母の横たわる棺に向けて死の念押しをし続けることで、残された私達も、きっと母自身ですらも、その死に自覚的にならざるを得ない状況にさせられている。それを今この場で受け入れるべきなのか、それとも抗うべきなのか正解は分からないけど、お葬式というイベントを逃してしまったら、私はどこで母の死を自覚すればいいんだろう。そういうときがちゃんと来てくれればいいけど、もし来なかったら、このままの状態が続いていくのは結構苦しいような気がした。
 もちろん母はちゃんと死んでいるのだけど(ちゃんとってなんだ)、死んだことにできるほどの余裕を、そのときはまだ持てずにいた。もたついた心を持て余している間に、お葬式は終わってしまった。「本当に偉いね、ずっと泣くの我慢して」なんて、おばあちゃんがくしゃくしゃに泣きながら抱きしめてくれたけど、涙なんて流れるわけがなかった。私はただ淋しいとか悲しいとか恋しいとか、そういうものが湧き出てくる以前の状態で、頭の中のモヤモヤしたものをどうやって消せばいいのかな、そもそもこれ、この先消えてくれるのかな?と、そればかり考えていた。
 ちらっと隣に立つ父の顔を見ると、びっくりするくらいいつも通りだった。母の遺影を両手で抱えて、弱々しくも精一杯の力で私を抱きしめるおばあちゃんの姿を見つめていた。すでに涙が乾いてしまっていたのか、そもそも私と一緒でずっと泣いていなかったのか、わからなかった。

 その日以降、一粒の涙も流さないまま父と二人の生活が続き、気付くと三年もの月日が経過していた。私も中学生になり、友達に誘われて何となく入部した陸上部での活動も、真面目ではないながらも楽しく取り組んでいた。その頃の悩みといえば、毎月一週間くらいの間、友達と一緒にトイレに行くのが苦痛なことだった。十四歳になった私は、未だ初潮を迎えていなかった。友達がトイレに行くときポーチを持ち歩くようになり、「今日二日目だからマジしんどい」「寝てる時後ろ伝ってこない?」と鏡の前で身支度をしながらあるあるネタで盛り上がる中、私は自分の幼さに対する焦りと、周りの女子全員に対して理不尽な汚らわしさを感じたり、大人に一歩も二歩も近づいていく彼女達への羨望も渦巻きながら、今以上の不安定さで毎日を過ごしていた。

 早く来てほしい気持ちと、このままずっと来てほしくない気持ちとが交錯していく中で、いずれは来るものなはずだから準備をしておいたほうがいいと思い、生理用品を求めて一人で薬局にも行ってみた。自分の想像を遥かに超えるたくさんの種類のそれらを前に、一体どれを選ぶのが今の自分に最適なのかさえわからず途方に暮れた。パッケージに書かれている文言を流し読みしながら、「モレ安心」と書かれているものを手に取ろうとしたとき、三十代くらいの女性が近づいてくるのが横目で見えて、思わず手を引っ込めた。女性はまっすぐ隣の「多い日用」と書かれたものを手に取りカゴに入れて去っていった。その迷いの無さが大人の女性然としているというか、私みたいな優柔不断さが全く無くて格好良く、生理が当たり前の日常になり変わっているであろうことに、やっぱり少し汚らわしさを感じてしまった。結局それぞれの違いもわからないまま、「モレ安心」を買うことにした。家に着いてすぐ自分の部屋にいくと、椅子を脚立代わりにしてクローゼットの一番上の棚に紙袋のまま隠しておいた。もうこの頃には父も私の洗濯物を畳むことはなくなっていて(父なりの気遣いだったのだろう)、クローゼットの中を見られることはないはずだ。そもそも私の部屋に滅多に足を踏み入れて来なくなっていたので、どこに置いておいても平気だったとは思うけど、当時の私はとにかく少しでも自分に生理が来ている、或いはその準備をしているということを父に知られたくはなかった。父は父のままなのに、こう感じていることで私が気づかないうちに父を一人の男性として見ているようで、その自意識過剰さが気持ち悪くて、やっぱり自分も汚れ始めているようだった。

 生理用品を買ってから半年が過ぎて、クローゼットの上の辺りを意識しなくなり始めたころ、それは突然やってきた。そろそろ寝ようとトイレに向かうと、歩きながら股間のあたりに違和感があった。気づかないうちにおもらしをしたのかと思い、すぐに部屋に戻って椅子を確認すると、尿で濡れているはずの座面には、まるでバラのドライフラワーのような赤黒いシミが広がっていた。自分の下半身を見てみると、同じような色のシミがパジャマにまで染みていて、私は軽くパニック状態になった。初潮の始まりがこんなにも唐突で衝撃的なものだとは想定していなかったので、何をどうしたらいいのかも分からず、とにかく今着ているものを脱いでみた。ザリガニみたいな生臭い匂いに顔をしかめながら、パジャマの汚れていない部分で股間や足に付いた経血を拭った。そうだ、ナプキンあるじゃん。と思い出し、それと同時にクローゼットの一番上に置いてしまったことも思い出して絶望した。まだ少し膣内から経血が伝ってきている状態で、椅子の上に乗ってその紙袋を取ることができるだろうか。不安と恐怖で満たされながらも、やるしかなかった。どうしてあんなところに置いてしまったんだろう。皆あんなに携帯性のあるポーチにナプキンを詰めて持ち歩いているじゃないか。いつどんなときでも対応できるようにしているということは、それだけ急にやってくるものだということじゃないか。周りの友達を見ながら、私はどうしてそんなことにも気付かなかったんだろう。そもそも、恥ずかしがって誰にも言わないなんて馬鹿げていた。みっちゃんでもあずさでもユーリンでも、誰にでもいいから「あたしまだなんだよね」と打ち明けて、どういう準備が必要なのかを聞いておけば良かった。皆馬鹿にするような子達じゃないし、保健の授業や修学旅行前の「女子だけの居残り講習」だけでは不十分な情報も補完できたかもしれない。スースーする足の間を気にしながら紙袋に手を伸ばし、届いた瞬間に私はバランスを崩して椅子から転げ落ちた。ドスンと大きな音と共に尻餅をつくと、弾みで経血が数滴床の上に飛び散った。下半身丸出しのままで血を垂れ流し、冷や汗で広がった髪の毛を振り乱す汚れた私の姿。強く打ち付けたお尻の痛みと一緒にじわじわと広がっていく惨めな気持ち。本棚から私を見つめるテディベアのクッキーちゃんの真っ黒な目と、床に放り出された「モレ安心」のピンク色のパッケージ。
 私はこの三年間、溜めに溜めていた涙を一斉に放出するかのように号泣した。どうして私はこんな目に合っているんだろう。ママがいてくれたら、こんなことにはならなかったのに。ママが慰めてくれて、ママが教えてくれて、ママが抱きしめてくれて、ママが「大丈夫だよ」と言ってくれて、ママが自分のときはどうだったとか話してくれて、ママが汚れたパジャマや下着を洗ってくれて、ママが生理用の下着を買ってきてくれて、ママが翌月「またそろそろじゃない?」と気にかけてくれて、ママがナプキンの種類を教えてくれて、ママが「ママと同じやつでいいよね?」と微笑みながら言ってくれて、ママが、ママが、ママが、ママが。
 どんなに涙を流しても、どんなにママと叫んでも、どんなに必要としても、どんなに恋しく思っても、どんなにありえない未来を想像してみても、母はどこにもいなかった。母はもうここにはいなかった。私はこのとき初めて、三年も不在だったはずの母が「いなくなった」ことを知った。この先もずっと、私は母の不在を意識する瞬間が訪れるたびにむせび泣くことになる。いつまでもいつまでも、風景や物や音や色や形や体験や、ひとつひとつの事象の中に母を見つけては目が腫れるまで泣き喚くことになる。そんな状況で私は生きていけるのだろうか。

「ねぇ、大丈夫?すごい音したけど…」

 ノックの音が二回したあと、ドアの向こうからくぐもった父の声が聞こえてきた。

「来ないで!」

 咄嗟に大声でそう叫ぶと、しばらく沈黙が続いた後で「そろそろ寝なね」とだけ言って父は去っていった。階段を降りるスリッパの音を聞きながら、私はまた泣いた。今度は嗚咽を押し戻すようにして、自分の苦しみを直接感じられるように泣いた。父は何も悪くないのに、今私を心配してくれるのがどうして母ではなく父なのかと、どうしようもなく理不尽な怒りと悲しみを父に向けて抱いた。きっとあの瞬間から、父への嫌悪も同時に生まれてきたのかもしれない。

 どれくらい泣き続けたのかはわからないけど、やっと涙が止まった私は、新しい下着を引っ張り出して初めてナプキンを付けてみた。何となくこの辺かな?と、適当な位置で羽を折り曲げてくっつけると、恐る恐るナプキン付きの下着を履いてみた。オムツを履いているみたいな感覚で、自分が大人になったのか子供に戻ったのかよくわからなくて思わずふふっと笑ってしまった。

「赤ちゃんみたいじゃない?オムツだし、超泣いてるし」

 いないはずの母に向けて呟いてみる。当然、返事はない。私はまた少し泣いた。


(5)へ続く




食費になります。うれぴい。