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「だから私は」執筆感想

 創作大賞が今年も開催されるということで、昨年に引き続き小説を投稿しました。

 前回の拙作「想い溢れる、そのときに」は、応募期間の〆切までに完成させることができなかったので、今回はしっかりと期限内に終わらせることを目標として書き進めました。
 目標設定が低次元すぎる。

 今回、連作短編の形を取ったのは、私の飽きっぽい性格に合わせてのことでした。
 元々、長い作品を書くときも時系列に沿って書くことができず、虫喰い状態で完成まで持っていくことがほとんどの私。同じテーマや一つの場面に対して延々と集中して書くことができないのです。

 だったら連作短編はどうだろう?と、今回初めて挑戦してみたのですが、恐らく今後二度とやりません。少なくとも、一人称では書きません。文体が似通ってしまうというか、お話毎の語り手の差別化をあまり上手くできませんでした。
 彩花は自分に対して少し卑屈に、康太は喋らない分心の中では五感をフル活用しているように、穂鷹はなるべく理屈っぽく、由奈は感情のみで語るようにと、それぞれに合わせた文体で臨んだつもりでした。
 しかし蓋を開けてみるとどこを読んでも全て私。当然ではあるのですが、こんなに差が出ないもの?と、自分で自分にがっかりしてしまいました。
 湊かなえ先生の凄さよ。

 初めに書き終えたのは、表題作であり最終話である「だから私は」でした。
 こちらのお話は、私がこの世の中で最も美しい楽曲だと思っている椎名林檎さんの「依存症」から着想を得ました。甲州街道や品川埠頭など、楽曲内に出てくるモチーフもほとんどそのまま使用しているので、オリジナリティという点に於いては些か不安はあるものの、私なりにこの楽曲に寄り添ったお話を書こうと頑張りました。
 そこから、各話の登場人物達の相関図を作り、プロットを組み立ててから「密やかに吐く」を書き始めた時点で既に5月も下旬。仕事の方も忙しかったり落ち込んだりとしているうちに、あっという間に〆切日となってしまいました。

 結果、期限内に終わらせるという目標を12分オーバーしてフィニッシュしました。これは最終話だけ選考対象外になる…?と不安ですが、そもそも昨年、未完のまま中間審査は通過していたので、審査基準に変更がなければその辺りはクリアなはずと言い聞かせています。

 〜密やかに吐く〜と、〜だから私は〜の二篇は平成、残り二篇は令和のお話です。
 時代によって恋愛そのものに対する人々の意識も変わってきていますので、様々な種類の形を描ければなと思い、男女以外の恋愛や、そもそも恋愛感情なんて持てないという人達のことも題材として取り入れました。
 実はこのことに関して、「流行りに乗ってるだけ」というコメントを某所で頂いたのですが、私としてはセクシャリティに関する事象は流行り物ではなく、「時代を問わずそこに存在していたのにいないものとされてきた人達」という解釈でいます。
 私自身もマイノリティ側ということもあり(当事者だから書いていいというわけではもちろんありませんが)、相互理解の為にも沢山の形を示せた方がよいのでは?と思った次第です。

 何より、今まで私は自分自身に対する違和感の解消を、先人の偉大な小説群から手助けしてもらいました。「こういう考えの人もいる」「こういう世界もある」と、それを知れただけで心が救われる作品が世の中に一つでも多く存在することが、次世代の人達の生の一助になると信じています。示される道標が多いに越したことはないですから。


 インターネットの片隅で密やかに公開されているこの小さな作品でも、誰かの心に残ってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
 激しさを持つ恋愛小説ではないかもしれませんが、気に入っていただければ幸いです。

食費になります。うれぴい。