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【エッセイ】男っぽさの呪縛は機会損失に繋がってしまうという話

先日、子らを連れて実家に帰った時のことです。

洗面所で手を洗っていると、棚に見慣れない化粧品が置いてありました。丸いジャータイプの容器の蓋に、クリーム色のシールが貼ってある。そこには「uno」と書いてありました。

てっきり母のものかと思っていたら、まさかの男性用化粧品。紛れもなく、父のものでした。

私の記憶の中の父は、あまり清潔な印象がありません。彼の名誉の為に書いておきますと、父は特段汚いというわけでも、不潔な見た目なわけでもないのです。が、例えば烏の行水よろしく、お風呂の滞在時間が5分以内であったり、たまに肩にフケがついているときもあったり、枕カバーから頭皮の脂の臭いがしていたり。

当時の年齢の男性としては極々当たり前のことだったのかもしれませんが、若干潔癖気味な私からすると、父は綺麗好きの反対、「汚い好き」にしか思えませんでした。

中学生になってから髭の生え始めた私は、しばらく父の髭剃りを使わせてもらっていたのですが、どうにも皮脂の臭いが気になってしまい、母に自分用のものを買ってほしいとお願いしたものでした。
勝手に使っておいて、やっぱり使いたくないと突っ撥ねる。我ながら、酷くわがままな息子です。でも嫌だったのだもの。

そんな父が、洗顔後のオールインワンジェルを常備しているだなんて…。
かなり驚いたので、そのまま母にこの話をしようとニヤニヤしながらリビングに戻る途中、私は思い留まりました。

男性学という考え方

「男性学」というものを、皆さまご存知でしょうか?

男性性を一つのジェンダーとして捉えて、従来標準とされてきた男性性から生じる諸問題を、男性の視点から解決・研究していくという学問です。
日本に於いては、大正大学心理社会学部准教授の田中俊之氏がその第一人者として挙げられます。

エッセイストのジェーン・スー氏と田中氏の対談で、私は初めてこの学問を知りました。そして、自分自身が今まで感じていた生き辛さの根源が何なのかを、初めて言い当てられた気分になり救われたのです。

女性同様、男性もその「標準」からはみ出すことを是としない風潮が、一般社会の中には存在します。

私は幼少期より言動が女性じみていた為に、この風潮による生き辛さは、人よりも多く体感しているところと思います。
そこで周りにおもねって、男性の標準に嵌ろうとしなかった結果、未だにその生き辛さは続いています(自分で選んだから、別にいいのですけどね)。

男性学というものを知るまでは、それは私が特殊なジェンダーであることも理由のひとつなのだろうと思っていました。バイセクシャルなんて、そもそも生き辛いものでしょうよ、と。

しかし、実際には「標準」に見える男性の中にも、私と似たような生き辛さを感じている人が多くいることを初めて知りました。
ホモソーシャルでしか成立しない、あの独特な共通文化は、私のような人間以外の男性は当たり前のように受け入れているものなのだと思っていたのです。我慢して合わせているだけの人がいるだなんて、考えもしませんでした。

でも、考えてみたら当たり前ですよね。女っぽい男っぽいという、古くなりつつある価値観で言うならば、その「っぽさ」の割合なんて人それぞれ。どちらか一方に振り切れている人の方が少数派なはずです。
そこにセクシャリティは関係なく、自身の好みや性格、周りの環境などがその割合を決めていくのでしょう。

何より、私自身がこの「男っぽさ」の呪縛から逃れたくて抵抗してきていたのに、他の男性達に無意識にそれを当てはめ、そういう生き物なのだろうと決めつけてしまっていたことに気づき、恥ずかしく思いました。

二回目ですが、人間の中には男女それぞれの感覚(従来的な価値観で言うところの、です)が無数に存在するだなんて、ましてそれがその人の性の在り方とは無関係に存在しているだなんて、考えてみたら当たり前のことなのです。


(笑)が聞こえた気がして

前置きがかなり長くなりましたが、私がリビングに戻る間に思い出した記憶がありました。

私がまだ高校生だった頃、当時は姉と共用でドクターシーラボのオールインワンゲルを使っていました。
いつものように、朝の洗顔後、鏡の前でゲルを塗っていると、

「それ、なんで塗るの?」

と、父が尋ねてきました。
今、同じ質問をされたら、そこから30分は説明できます。洗顔後の肌の状態から保湿の重要性、各人の肌タイプとそれに合ったケア方法。女性だけでなく、むしろ男性の肌がいかに放っておかれダメージ補修をされずにきているか等。オタク特有の早口ひと息説法で以って、父の質問に答えることができるでしょう。

しかし、思春期反抗期真っ盛りな上、自身のセクシャリティや学校内での在り方について日々悩み続けていた当時の私には、父の質問は攻撃としか捉えられませんでした。

「それ、なんで塗るの?」の台詞は、嘲りと共に発せられているように聞こえてしまい、思わず

「うるさいな、なんだっていいじゃん」

と、何故かキレ気味に返答してしまいました。
幼少期より、女っぽいと言われてきた身としては、やはり父のこの単純な質問も「女っぽいことやってるよこいつ」という馬鹿にした意味合いが内包されていると思ってしまったのです。

すると、父は続けて

「俺も塗ったほうがいいのかな?そういうの」

と聞いてきました。当然、私はこれも馬鹿にされていると勘違いし(我ながら歪み過ぎでしょ…)、

「もううるさいからあっち行ってよ」

と、まるで取り合わずに父を拒絶してしまいました。

本当は興味があっただけ?

あれから十数年。この出来事を類推してみるに、恐らく父は単純に肌ケアについて興味があっただけなのでは?と思うのです。肌ケアと具体的な事象に関してではなくとも、少なくとも私や母、姉達の行っていることに対して興味を示していただけだったのでは?

また同時に、私の中で「一般的な男性はこういうことをしない、興味もない」という固定観念が存在し、知らぬ間に父を始めとした身近な人間にそれを押し付けていたのでしょう。

攻撃と捉えたのは私の完全な私情と言いますか、経緯を考えれば仕方のないことだと思うのですが(過去の自分を慰めてあげたいので、ここは仕方のないことと表現させてください。反抗期はいっぱいいっぱいだったのです…)、父の好奇心を蔑ろにしてしまった結果、男っぽさの価値観を押し付けてしまったのではないかと思うのです。
「おじさんなんだからそんなの必要ないだろ」と、無意識の圧を掛けてしまった可能性は否定できません。

ここで現在の私が、「ちょっと、お父さん保湿ケアし出したの?」と母に言うことは、意志と無関係に彼の行いを馬鹿にする行為にはならないだろうか?それは私が父から受けた何気ないひと言の中に、身勝手に悪意を込めて解釈したときと同じ状況です。

父が私と同じような捉え方をするかは分かりません。しかし、この話題で母とひと盛り上がりすること自体、従来型の男性性を世の中の人(男性だけではなく女性にも、ということです)に根付かせる後押しになってしまう気がしたのです。

もしかしたら父も、女性のしていることで自分もやってみたいと思うことが今まで沢山あったのかもしれません。それを当たり前のように諦め、ホモソーシャルで生き抜いてきたのかもしれません。

私達世代とは比べ物にならないくらいの圧の中、仕事をし、家庭を築いてきた時代の人です。その父の現在の自由を、このような形で蔑ろにするのは間違っていると思うのです。

価値観のアップデート

少しずつではありますが、世の中の流れは確実に変わりつつあります。取り残されていきそうな年配の方々がいる一方、柔軟に対応して価値観をアップデートできている方々もいます。
父が後者になりつつある証拠でもあるのかなと、むしろ喜ばしいこととして捉えることにしました。

また、そのように考えられる自分自身にも、あんた成長したね、と言ってあげたいです。
価値観のアップデートをしなければいけないのは、何もご年配の方々だけではありません。全ての年代の人間が、変わりゆく時代の中で生きていく当事者なのです。

アップデートできていない人に対して、「あの年代の人ってそういう考え方だから」と鼻から決めつけてはいないでしょうか?
自問自答をする癖をつけて、その人自身のことをしっかりと理解できるように努めて参りましょう。
そこでお互いを知ることができたら、私達はより生きやすい世の中を作ることができるのではないでしょうか?

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